年越しの慌ただしい準備も終えて、後は晦日みそかを待つだけと、今年最後の店じまいを小和がしていると、からりと店の入り口が開いた。


 時刻はの刻を過ぎている。町の集まりで夜遅くなるおかみさんからは、ほどほどにして休みなさいと言われていたのだが、つい、茶釜をみがくのに没頭してしまっていた。


「御堂さ……」

 入り口に見えた姿に小和はそう声を上げようとして、すぐに、ハッと口を閉じた。


 店に入ってきた御堂は、いつもと同じ、黒いあわせ脚絆きゃはん姿だったが、その瞳は、満月のような琥珀こはく色をしていた。


「あの、少しお待ちいただけますか」


 小和がそう言うと、御堂は少し首をかしげたが、ああ、と短く頷いた。小和は急いで手を洗い、庭を横切って自室へと向かう。棚から小さな香色こういろの絹袋を取り出して、再び駆け足で店に戻った。


「お待たせしました」

「いや、時間ならある。あまり急ぐな、転ぶぞ」

「はい、でも、すぐにでもお渡ししたくて……」


 小和は、手の内に抱えていた絹袋を、手を開いて両手で御堂に差し出した。


「約束の、琥珀糖こはくとうです」


 御堂は、微かに目を見開いた。

 しかしすぐに微笑んで、何も言わずに絹袋を受け取る。


「変わりないか」


 絹袋を懐に入れた御堂は、そう言って小和を見た。小和ははい、と答える。


「増穂さんも笹岡先生も、ご帰省前に、お店に立ち寄ってくださいました。よいお年を、と」

「そうか。体調は」

「御堂さんが見張ってくださっているので、前より少し楽をさせていただいています」


 小和が微笑むと、しかし御堂は眉をひそめて、それは、と視線で示される。洗い場に置きっぱなしにしていた、先程まで磨いていた茶釜だった。これは、本当についやりこんでしまっただけなので、今日はもうこれで休むつもりだと小和は告げる。


 御堂はあの茶会の後も、ずっと尾羽の町にいた。小和の体調ならば、もう随分前に普段通りに戻っていたし、三角の時期も過ぎ、お詫びがわりのお茶会も終わった。そろそろ、お山に帰らなくても良いのだろうか――訊いてみようかと、小和は口を開く。


「……あの、」

「邪魔をしたな。早く休めよ」


 小和が口を開きかけた瞬間、しかし目の前にいる御堂は、そう言ってきびすを返した。小和はそのまま声を飲み込んで、御堂を見送ろうと追いかける。


 と、不意に彼が、立ち止まる。

 ああそうだ、と、戸口に手をかけながら振り返って、


はぎの君の淹れるお茶が美味しいのは分かるが、そろそろ一度山に帰ってきなさい、と、御堂に伝えておいてくれるか」


 その、琥珀色の瞳を、たのしそうに細めて。

 御堂は、店を出ていった。


 ――萩の君。


 小和はぽかんとしながら、その言葉を頭の中で繰り返す。


 萩、は、奈緒が好んで着ている柄だ。秋の柄だが、茶会などの特別な日でもない限り、奈緒は工夫をしながら通年、着ている。


「……そう言えば、御堂さん、最近は奈緒姉さんの淹れるお茶ばかり、飲んでいた……」


 奈緒も察して、御堂が来るとすぐに対応に入っていたように思う。だから、気がつかなかった。


 小和はぼうとしたまま入り口の前に突っ立っていたが、やがて、驚きのあまり彼の人を見送り損ねたことに気付くと、しょんぼりと肩を落とした。

 溜息を吐く。


「……年明けにはまた、あなたにお会い、できますように」






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