3



 学校で会った時のセーラー服も清楚で上品に映ったが、今日はより華やかで、どこか眩く見える。


 小和は、咄嗟のことですっかり強張ってしまった体を、ハッと動かして、ぎこちなくお辞儀を返した。


「ご、ご心配をおかけしました、すみません」

「いえいえ、そんな」

「そうですわ、頭を上げて下さいませ。謝ることではありませんわ。でも良かった、ご快復なさって。私、あれからずっと、小和さんにまたお会いしたかったの」


 ミルクのような、そのなめらかな声を震わせて、増穂は小和に近寄って、その白皙の指で小和の手をとる。小和は、心臓が跳ねるのを耳で感じた。それが、増穂から感じる眩しさからなのか、それとも、二階に御堂がいる不安からなのか、分からない。


「せんせ、こちらは?」

 ちかが、楽しそうに笹岡に訊ねた。増穂のことだろう。表から戻って接客をしていた奈緒も、こちらの様子をそれとなく窺っている。

 笹岡は、ちかから水を受け取りながら、答えた。


「舘川さんは、学年でも一等成績の優秀な方なんです。僕の授業も、与太話まで楽しそうに聞いているんですよ。それで、前から僕がよく話すこちらのお店に、行ってみたいと仰っていて。今日は連れてきました。運良く小和さんにも会えて良かった」

「小和さんとは一度、先生の資料室でお会いしたんです」


 ね、と増穂が頬笑む。小和は、とられた手をそのままに、とりあえず席を勧めた。動悸を落ち着かせるためにも、そのまま給仕につこうとして、今度は奈緒に止められる。


「いいから、それより荷物を片付けて、二階の方に一度顔を出してきなさい。送っていただいたんでしょう?」

 言われて、小和はまだ荷物を御堂に預けたままだったことを思い出した。さ、と血の気が引く。


「は、はい! すみません、失礼します!」

「小和がそんなに慌てるのも、珍しいわね」

 小和が早足で店の二階に向かうと、転ばないようにね、と奈緒が笑った。 


 二階では、おかみさんが御堂に二煎目のお茶を淹れているところだった。座敷に客は御堂しかおらず、中庭と尾羽の山が一度に見渡せる、座敷の中でも一等の席に座している。小和が顔を出すと、御堂は心得た様子で、目線で階段のすぐ脇を示した。そこに、小和の荷物が、御堂のものと分けておいてあった。


「あ、ありがとうございます。申し訳ありません、失礼いたします」

 肩を縮こまらせて小和が殊更に頭を下げると、構わん、と御堂が短く答える。おかみさんは、空になった急須と盆を抱えてこちらに戻ってきながら、小和に、急がなくていいから、ゆっくり片づけてきなさい、と小声で言った。


 小和は頷いて、荷物を持って蔵の二階の自室に行く。ゆっくりと言われてできるはずもなく、荷を解くのを後にして、部屋の箪笥たんすから小さな赤い巾着を取り出した。中に入れていたびんの中身を確かめて、一つ頷くと、店に引き返す。


 店の一階では、奈緒が笹岡と増穂に茶を出していた。それに軽く会釈をし、先に二階へと上がる。二階では、御堂が一人、まだお茶を飲んでいた。茶菓子の胡桃饅頭くるみまんじゅうは、二つとももうなくなっている。


「……旨い茶だ」

 御堂が茶碗を茶托ちゃたくに置いて、言った。小和は顔を綻ばせる。


「はい、おかみさんのお茶は、いつもとても美味しいんです」

「お前が胸を張るのを、初めて見たな」

「……、すみません」

「なぜ謝る。それだけお前が、ここのおかみを尊敬しているという証だ。弟子が師匠を褒められて、嬉しがるのは当たり前だろう」


 他人の威を借るのと尊敬は別物だぞ、と、御堂は眉をひそめる。はい、と小和は俯いた。


「馳走になった。下にお前を訪ねてきた客がいるようだが、相手は程々にしろよ。まだ本調子じゃない」

 そのための目付役みたいなものなんだからな俺は、と、独りごちるように言って、御堂は立ち上がった。お茶は綺麗に飲み干されていた。


 階下の出来事を全て諒解しているような物言いに、やはり、人ではない方なのだと小和は思う。


「あの」

「何だ」

 すれ違い様に、何とか声をかけると、御堂は足を止めた。


「これを、宜しければ。送っていただいたお礼です。おかみさんのお茶とは、比べるべくもないものですが、私がこしらえた琥珀糖で……」

「貰おう」

 意外にも、御堂は小和が差し出した赤い巾着袋を、すんなりと受け取ってくれた。


 階段を下りていく御堂の後を、小和も追いかける。店の入り口で、御堂がおかみさんに礼を言い、ちょうどよく迎えに来ていた倉戸の番頭さんに案内されて行くのを見送ってから、ようやく、小和は小さく息をついた。


「小和、小和」

 ちかが、横からそっと肩を叩いてくる。

「一応聞いておくけど、本当に、小和のい人、じゃないんだよね?」


 その、言葉の意味を、少しだけ考えて。

 そうして小和は、顔をすっかり茹で蛸のようにした。


「ち、違います、まさか!」

「あら、違うの?」

 軽やかな声が、ちかとは別の方から小和の耳に届く。まろやかな、ミルクの。


 縁台に腰かけて、揶揄うような声をかけた増穂は、胡桃饅頭を膝の上で丁寧に切りながら、悪戯っぽく頬笑んだ。


「今、ちかさんや笹岡先生と、そんな話をしていたんですのよ。立派な殿方でしたから、つい」

「御堂さんは、お坊様で」

「あら、下世話なことを申しました。気を悪くなさらないでね、本気で話していたわけではないの」

「いえ、その……」


 言葉に詰まる小和に、増穂がにっこり笑いかける。


「小和さん、病み上がりですから、無理にとは言いませんけれど、良ければこちらにお座りにならない? このお饅頭、とっても美味しいわ」

「あ、ありがとうございます。ぜひ、尾羽のお茶も楽しんでいってください。ちか姉さんの点てるお抹茶は本当に美味しくて」

「あら、じゃあそちらもいただこうかしら。ちかさん、お抹茶二つ、頼んでもよろしい?」

「ぜひ。よければ来年の、春のお茶会にもいらしてくださいよ」


 ちかが元気に腕をまくるのに、増穂も笹岡も勿論と頷いて、小和は、思わず広げてしまった会話を閉じれないままに、あれよという間に増穂の隣に座らされてしまった。


 おかみさんも奈緒も、これで小和が働こうとしなくて助かる、といった顔で、笹岡たちに一礼をして給仕に戻っていってしまう。そうして、どうしたらよいのか分からないまま四半刻ほど、小和はただ、くるくると話題の変わる、けれど決してやかましくはない増穂の声を、聞いていた。


 増穂の声は、とても聞き心地がよかった。


 小和はただ頷いていることしかできなかったが、しばらくすると、あまり長くお邪魔しても身体によくないわねと、増穂はあっさり立ち上がった。

「また、お店に来るわね。その時はまた、お話し相手になってもらえると嬉しいわ」

 隣町から呼んだ馬車に、笹岡と共に乗り込みながら、増穂はそう言ってにこりと小和に笑いかける。


 小和は戸惑ったまま、いつものように、お待ちしてます、と答えていた。

 これほど慌てた半日はなかったかもしれない。


 ――また、お話し相手になってね。

 増穂の、温かいミルクのような声が、小和の耳にとけるように残った。


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