2022年 夏 2022年 夏

2021年 令和三年 夏

パソコンに収められていた文章を読み終えた頃には、月明かりは、朝日へと変わっていた。目頭を指で押え、目の疲れを癒やす。

『最終更新日、2020年…。』

ファイルに残されていた内容は、フィクションなのかノンフィクションなのか、私には分かりかねた。

ただ、文字やニュアンスは変えてはいるが、私の知る限りではあるが、話に登場する人物は実存する。背景も存在する。

それに、社会人からの今日子の内容は、若干の脚色や誇張はあるが、大筋で鏡子の人生をなぞっている。

『鏡子にこんなことが…。』

もしこれが鏡子の実在の家族の事を書いているのなら、私が鏡子の事を本当に何も知らなかったことを再認識させられた。

物語の重さに自分の浅はかさを実感させられた。

目頭を押える指の隙間から液体がこぼれ落ちる…。

『私は涙を流しているのか?』

その悔しさからか、情けなさからか、感情に乏しい私には、この時の自身の感情は分からない。ただ、私は初めて号泣した。

声をあげて泣いた。鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながらも泣いていた。

多分、私は泣き方をよく知らないのだろう。泣くことがこんなに息苦しく、こんなに疲れる事をこの時初めて知った。


私は鏡子の写真を持っていない。でも今は、心の中に鮮明に生きている。それ程までに彼女は私の心を知らぬ間に占領していたのだ。

今日、初めて、私の鏡子への想いを知ることになった。


(これで終わり?) 私の頭の中の【声】が私の感傷を打ち破る。

(これじゃあ、ときたは仕返しされてない。) 私の頭の中の【声】が話の問題点を突く。

(損したのは、女達だけ。) 私の頭の中の【声】が話を要約する。

(あの時、入れ替えはあったのかなぁ?) 私の頭の中の【声】が私と同じ疑問を呈した。

(もし、入れ替えてなかったら?) 私の頭の中の【声】が私と同じ仮説を述べる。

そう。入れ替えていなかったのなら、いちろうはえいこの子供でときたの孫。だから、鏡子の書いた通り…。

でも、入れ替えていたのならば…、いちろうはきじかわの子供で、ときたとは関係がない…。

『どう言う事だ?』

『鏡子は何故、この小説を書いたのだ?』

『これは虚構なのか?実話なのか?』

『乳児の入れ替えはあったのか?なかったのか?』

『これが実話で、入れ替えがなかったなら、鏡子は私を憎んだに違いない。恨んだに違いない。』

『これが実話で、乳児の入れ替えがあったとしたら…、私は誰なんだ?』

『だとしたら…私がかつおでかつおがいちろう…。』

『鏡子は今日子なのか?』

『時系列で考えれば、きょうこは乳児の入れ替えを知る事はない…。』

『もしかすると、きょうこは後に、乳児の入れ替えを知ったのか…?だからこれを記したのか…?』私が色々と考え込んでいると…。

(なんでパラオ…?) 私の頭の中の【声】が新たな疑問を投げかけた。

『パラオ…?』確かにそうだ。この物語の題名は、パラオ。

でも、内容的には家族の物語…。

私はパソコンの画面のスクロールバーを戻していった…。


『そうだったね…。』そしてその時、初めて鏡子の思いを知った様な気がした。

お祖母ちゃんの決意…。ママの決意…。そして、バトンを渡されたきょうこ…。

『大丈夫。君のバトンは、私が受け継ぐ…。』




2022年 令和四年 夏

「喜寿川先生、小鳥遊様がお越しになられました。」

「どうぞ。」

私は夕刻に練馬にある喜寿川総合病院の医院長室である嘉葎雄の真っ白な部屋を訪れた。

「小鳥遊、久しぶりじゃないか。鏡子さんの…、1年ぶりになるか…。」

「久しぶりだね。嘉葎雄。」

「鏡子さんの一周忌法要は済ませたのかい?」

「今度は、私一人ぼっちで済ませたよ。本当に鏡子には申し訳ないよ。」

嘉葎雄は少し申し訳なさそうな顔をした。そして話を変えてきた。

「少し小耳に挟んだのだけど、小鳥遊、会長辞めたんだって…。」

嘉葎雄の部屋の窓から夕焼け空が見えた。

「そうなんだよ。会長もグループも全て譲ったんだ。」

「そうだったんだ。鏡子さんのことから色々あったんだろね…。」

「うん。まぁ…、そうだね。」と、髪をかいてみせた。

夕焼け空の赤が、真っ白な部屋を少しづつ染めていく。

「小鳥遊、俺、今度、結婚することにしたんだ。」

『…知っているよ。…聞いている。俺達の歳の半分以下のお嬢さんだよね。…だからこそここに来たんだよ。』

私は笑顔をたたえて嘉葎雄に近づき、彼の横に立った。

そして、嘉葎雄の後ろにある窓からの夕焼けを見ながら「おめでとう。」と言う。

その言葉に嘉葎雄は振り向き私に何か言おうとした…。

その刹那、右手に持っていたナイフで嘉葎雄の頸を裂いた。

真っ白な部屋は、夕焼けと嘉葎雄の血で真っ赤に染まっていく。

刹那、そのナイフで自分の頸を切り裂いた。真っ白だった部屋は面影もなくなった。

『時田の血は嘉葎雄で終わり…。』

『パラオ…。終わらせる…。パラオで生まれた血はここで終わらせる…。』

『鏡子…。これで…。』

私は薄れゆく意識の中で達成感を味わっていた…。

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