パラオ #30

* 鳩山今日子の闘争心


ニュータカナシホテルでの面談中に英子会長直々に辞令を言い渡された。

「鳩山今日子。明日より、株式会社ニュータカナシ、秘書室勤務を命じます。」って…。

「えっ…。受付カウンターは…?」

「あなたをあそこに置いておいて、また今回のような事が起きたら大変じゃない。」

「すみません…。」

「ですので、余り人目につかない所へ移動。」

「はぁ…。」

「じゃあ、明日からよろしく。」

「はい…。」

「あとはここにいる秘書室室長の鶴岡から詳しく聞いて…。」英子会長は、ずっと隣に立っていた、あの日、12番席に同席してた女性を指差して言った。

「分かりました…。」この女性は秘書室室長だったんだ…。


翌日 朝 8時 本社ビル 地下

「おはようございます。」誰かにではなく挨拶し、いつも通り女子更衣室に入った。

しかし、更衣室で着替えてる女性社員からの返答はなく、何か嫌な雰囲気を感じながら自分のロッカーの前に…。

…瞬間、異変に気づく。

『わたしの名前がない…。』

ロッカーの名札のわたしの名前が剥ぎ取られてる…。

急いでロッカーを開けた。中身がない。何とも言えない寒気が背筋を通る…。

自分の荷物を探そうと、高校の教室ほどの広さのあるロッカールームを探索した。

わたしのその様子を見てクスクス笑ってるような…、音…。

迷路みたいなロッカールーム。その死角になってる隅っこに、ホテルのレストランで使ってたに違いない油まみれの臭いを放つボロボロ食肉梱包用の段ボール箱が不自然に置かれてた。

汚れてない段ボールの蓋の端っこを持ってゆっくり開けてみる…。

そこには、無造作に放り込まれたわたしの制服と私物があった。どれもこれも油まみれ…。

『くだらない。』

今までの人生の様々な場面で、遠巻きに監視されるような行為は何度も経験している。けど…、実害を受ける行為は初めての経験…。

中学生になった頃の不安しかなかったわたしなら、おたおたと萎縮してしまってたに違いない。しかし、ここにいる目的、目標のあるわたしにとって、子供のいたずらみたいな行為に怯えるようなことはもうない。逆に、変な闘争心を抱くぐらい。

わたしは汚いダンボール箱を引きずって、本社ビルの地下3階にあるゴミ集積所に向かった。そしてそこにダンボール箱ごと中身まで全て捨てた。

『つまらない世界との決別。…なんちゃって。』

嫌がらせの詰まったものを投げ捨てたことが、新しい世界へ突入していく迷いを打ち消してくれた。

わたしは、本社ビルの最上階にある秘書室へ向かうエレベーターに乗り込んだ。


* 鶴岡秘書室室長の感


「おはようございます。本日より、よろしくお願いします。」と、秘書室の出入口で、今日から秘書室に勤務となった鳩山今日子が皆に挨拶をしていた。

声がする方に目を向けてみると、ロンドンストライプのオーバーサイズのシャツと水色の細いジーンズといった出で立ちの鳩山がデスクについている女子社員達に頭を下げ回っていた。

私は慌てて声をかけた。

「おはよう。鳩山さん。こっち来て。」

鳩山が長身を丸めて小走りで私の前にやって来る。

「おはようございます。鶴岡室長。」

「何なの?その格好は?」

「申し訳ございません。制服に着替えるつもりだったのですが…。制服が着れる状態ではなく…。」

『…。ふうん。そう言うことね…。』私は彼女に起きた不幸が脳裏に浮かんだ。

「それで、制服は?」私と鳩山の会話にデスクについている全ての秘書室の女子社員達が聞き耳を立てている。

「余りにも汚れていたので…、自己判断で勝手に捨ててしまいました。申し訳ございません。」と、鳩山は深く頭を下げた。

『やっぱりねぇ…。』

鳩山はやっかみからいじめにあったのだ。間違いない。

彼女の周辺で起きた、この数日間の騒動…。そして、実務開始数日での秘書室への移動…。ニュータカナシのこれまでの歴史、これまでの常識では考えられない事ばかりだ。

それもこれも全ては、鳩山の人格や性格のせいではなく、鳩山が生まれ持っている容姿のせいだから…。とことん始末が悪い。

ニュータカナシを目指し、ニュータカナシに入社出来た女子社員達は、少なからず己の容姿には自信を持っているはず…。この場にいる秘書のこの子達も間違いなく持っている…。

それぐらいニュータカナシの女子社員達は美人揃いだ。

斯く言う私もミス✕✕大学に選出された経験がある。

そんな女子社員達が束になってかかってもこの子に叶わなかった。

それもたった数日のうちに衝撃的に思い知らされたのなら尚更である。

それ故に、心無い者達からは、妬み、嫉みは買うだろう。

「そうねぇ…。そんな格好じゃあ秘書の業務は無理ねぇ…。」

「はい…。」

「鳩山さん、ちょっとついてきなさい。皆さん、悪いけど彼女と一緒に少し外出します。業務開始時間になったらモーニングルーティンをお願いします。」と、スタッフに告げ秘書室を出た。

私は鳩山を連れて、隣接するニュータカナシホテルの一階へ誘った。


ニュータカナシホテルには、滞在客のために24時間営業でサービスを提供する様々な店舗が常設されている。

まず、私が向かったのはそのうちのひとつであるクリーニング店だ。

「おはようございます。」

「あらまぁ!鶴岡さん。お早いですね。」

「朝早くからすみません。私のこのクリーニング、頂きに参りました。」と、預かり伝票をふくよかな女店主に差し出した。

忘れもしない。四日前、鳩山にしこたまコーヒーをぶっかけられたスーツ…。

それをここに出していたのだ…。

【災い転じて福となす】て、感じかなぁ…。

「はいはい。あがってますよ。少々お待ちを…。」と、ふくよかな女店主は軽快にカウンター裏へ引っ込んだ。

私はクリーニング上がりを受け取り、鳩山を連れて次の店舗へ向かった。


ホテルでは、長期滞在のお客様のためにお直し専門の店舗もある。ボタンの取り付け、ズボンの裾上げから服のサイズ直し、果ては、下着の修繕までこなす。

「おはようございます。急ぎの直しをお願い出来ますか?」

「おはようございます。鶴岡室長。お時間どれくらいで…。」と、背は低いが、ウエリントン眼鏡と英国風の三つ揃えスーツが良く似合っている仕立屋のご主人が伺ってきた。

「この服のサイズ直しと丈詰めを…。できれば、言いにくのですが…、1時間ほどて…。」

「あちゃ…。厳しいご依頼で…。で、どのように?」

「この子に合わせて欲しいのです。」と、言って、鳩山をご主人の前に押し出した。

「ほうほう。このお嬢さんに…。では、着てみて頂いて…。」と、ご主人は含みのある言い方をしながらも、鳩山を私のクリーニング上がりと共にフィッティングルームに押し込んだ。

ゴソゴソ…、シュルシュル…、物音と衣擦れの音を立てながら鳩山の着替えは数分程で終わった。

『やっぱりね。』鳩山はわたしよりも身長は高く、スタイルもいい。けど、肉付きはまだまだ少女と言ったところ…。

9号サイズの私のセミオーダーのスーツでは、ジャケットが泳いてしまう。

スカートもウエストが緩い。それに、私のスカート丈では鳩山には長過ぎておばさん臭い。

「ジャケットのウエストラインをダーツ毎に2センチづつ詰めて…。 」ご主人が紙に鉛筆を滑らす。

「それから…、タイトスカートのウエストをワンサイズ詰めてもらって…。スカート丈は…、5センチ詰めて下さい。」

「分かった分かった。この娘さんにジャストにすれば良いでしょう…。それも1時間で…。」と、英国かぶれの仕立屋のご主人は苦笑いしながら引き受けてくれた。


次に私は鳩山を連れ、シャツの専門店へ入った。

「おはようございます。」

「おはようさん、鶴岡の室長はん。えらい朝早うからどないな御用向きで?」と、背の高いスリムな体型には不釣り合いな京言葉を使う男性店長が私達を迎えた。

「店長さん、この子に合うシャツを見繕ってやってくれませんか。」と、私は鳩山を店長さんの前に引っ張り出した。

「これはこれは。鶴岡はんも結構なもんやけど…、この子は…。」と、独り言を言いながら店長さんはスラックスのポケットから丸められた黄色のメジャーを取り出した。

すると…。鳩山の首回りを計ったと、思うが早いか、肩幅、腕の長さ、胸囲、胴囲と素早く、手際良く採寸していった。

「ほな、どないな生地がよろしい?」

「この子、今日から私のところで働く事になったんです。どのようなものがいいでしょうか?」

「そやねぇ…。あんま気張らんと、あての感性やと…。無地のブロードのレギュラーカラーあたりでええんちゃうかなぁ…。」と、数点のシャツをテーブルに並べた。

「…。」私は無言でテーブルを覗き込んだ。

「そんで、なんと合わせはるん?」

「黒のトロピカル(サマーウール)のスーツです。」

「ほなら…。この子若いさかい、晒しよりもピンクがええかも…。こんぐらいのベイビーピンクがよろしおすわ。」

店長はベイビーピンクのシャツに黒い生地を重ねて「ほんでもって、同じ素材のポケットチーフ…。えらいうつらはると思うわ。」

「ではこちらをセットでいただきます。」

「おおきに。ほな、ちょっと待ってや。首回りが細おて…。腕がちょい長ごおて…。これでええわ。」

「着ていってもいいですか?」

「へえ。ゆっくりお着替えよし。」


私はジャストフィットのベイビーピンクのシャツを着た鳩山を連れてお直し屋に戻った。

私の黒のスーツは指定通りのサイズで指定内の時間でお直しは終わっていた。私はご主人に感謝すると共に彼の腕前に感心した。

お直し屋にあるフィッティングルームを借りて鳩山を着替えさせる。瞬く間にフィッティングルームのカーテンが開く…。

「…。!!!」

私は啞然とした。ただ、ジーンズからスーツに着替えただけなのに、着替え終わった鳩山を見た誰もが鳩山の完成された美しさに言葉を失った。

単なるスーツ姿なのに神々しいとまで思える鳩山…。そのジャケットの胸ポケットに、私は恐る恐るシャツと同素材で作られたポケットチーフを差してやった。


その後、パウダールームで簡単に髪を整え、必要最低限の化粧を施してやった。しかし、この程度の行為は鳩山にとっては蛇足でしかない。

私は全てを終え、最終チェックに入った。彼女の足元に目を移すと、通勤用に買ったのか、真新しい白の3本線の入った真っ白のスニーカーをはいていた。

本来ならば、秘書の足元は【革製のパンプス】が常套だ。しかし、鳩山のスーツ姿にスニーカーはまさに【怪我の功名】。

偶然にも昨今雑誌等で取り上げられる、流行りのニューヨーカースタイルのキャリアウーマンになっていた。世界中のどんなモデルよりも様になっている。

たったこれだけで光を増す鳩山に『私が男だったらこの娘にいくら貢いでも惜しいとは思わない。』とまで、思ってしまった。


* 鳩山今日子の感想


普段着で秘書室に入った途端、室長からダメ出しを食らった。当たり前だ。

いくらなんでもこんな格好で秘書お仕事が出来るはずがない。転属初日からやらかしてしまった。

『どうしよう…。』考えあぐんでいると、室長はわたしを秘書室の外へ連れ出した。

『場所を変えてお説教受けるんだろうなぁ…。』なんて、考えてると、室長はわたしをニュータカナシホテルの商業施設へ連れて行った。

鶴岡室長はご自分のスーツをわたしサイズにお直しして…。わたしにシャツを買い与え…。

「元々、受付の制服では秘書業務は出来ないし…。昨日、教えなかった私の責任でもあるし…。まぁ…、転属祝いと思って…。」って、わたしに含み聞かせた。


そして着替えたその格好で、室長と共にニュータカナシの各部署に着任式の挨拶をして回った。

室長は事あるごとに「今日から秘書室の一員となった【は・と・や・ま】です。」って、わたしの名前を殊更強調して紹介する。

室長からすれば『出来の悪い部下を少しでもアピールしようと必死だったんだろうなぁ…。』って、思うと、顔を赤らめずにはいられなかった…。

ほんと、申し訳ございません。


* 鶴岡秘書室室長の嫌味


鳩山の見違えた姿を目の当たりにした私には、ちょっとしたいたずら心が芽生えた。

巨大企業の心臓と言えるニュータカナシの本社ビルでは、新人が着任したからと言って、本人を連れ立って各部署に挨拶回りに行く様な習慣はない。

ましてや、繫忙な各部署が、アポイント無しで新人の挨拶回りなど受け入れる余裕など持ち合わせていない。

それは、私が受け持つ秘書室でも同じ事は言える。

ただ、うちの新人をいじめた輩には痛い目にあってもらう必要がある。

二度と「虐めてやろう。」などと、思えないほどのトラウマを植え付けておく必要がある。

だから鳩山を連れ立って敢えて様々な部署を回ってやった。

秘書室の一員となった鳩山を、秘書姿の鳩山を一目見てしまえば、同性であろうと異性であろうと、ひれ伏すしかないからだ。

総務部、人事部、経理部、企画部、営業部、法務部、広報部、情報システム部…、そして鳩山の古巣である受付課を持つ管理部…、本社ビルの全ての部署にアポなしで突撃してやった。

突撃された部署は鳩山の姿を見るなり、老若男女問わず、口をあんぐりと開け固まり、沈黙しか出来なくなった。それ程、鳩山の完成度が高すぎたのだ。

私の隣で鳩山は終始恥ずかしがっていたが、私は厭味ったらしく各部署の、特に女子社員に向かって鳩山の名前を大声で連呼してやった。


この行動の後日、あの時の鳩山の格好を真似る女子社員が急増した。

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