パラオ #29
* 鳩山今日子の就職
1989年 平成元年 五月
昭和天皇がご崩御され新しい元号【平成】に変わったこの年、わたしの社会人1年目は始まった。
千代田区紀尾井町にある株式会社ニュータカナシの本社ビルでの【受付】カウンター業務がわたしに与えられた仕事。
無我夢中の1カ月に及ぶ研修を経て、本日初めて受付カウンターに座る。
『緊張する…。』
かと言って、別にこれといった難しい仕事じゃない。お客様のお名前とご要件を伺い、各部門の担当者に取り次ぐ…。だけ。
朝の9時から夕方の5時までニュータカナシ本社ビル1階ロビーにあるカウンターに座ってひっきりなしにくる来訪者の取り次ぎを淡々とこなす…。だけ。
ちっちゃい子供でも出来そうなお仕事なのであ~る。
確かに、これといった学歴の無いわたしに与えることができる仕事って言えば、この辺りが無難なのは間違いない!
少々、ミスがあったとしても謝れば済む程度のお仕事なのであ~る。
なんだけど…。ニュータカナシの若い女性社員達にとっては受付カウンターって、秘書室の次に羨望の花形ポジションみたい…。
ニュータカナシ本社の顔とも言える受付カウンター。世界中のお客様と会う機会がある受付嬢。
あわよくば、優良物件との出会いから【玉の輿】なんて…。って、言うか、実際にあるみたい…。
そういうことなので…。世界的企業って言われてるニュータカナシだけあって、見た目重視の受付嬢であっても中途半端な学歴では採用されないみたい。
現に、今年度、受付カウンターに配属されたわたしの同期や受付嬢の先輩達も国内外の超有名大学を卒業されてるみたい。
その上、容姿基準も高い。ミス○○大学や準ミス○○大学なんてざら…。ミス日本やモデル経験者、元芸能人もゴロゴロいる…。その上、バイリンガルなんて当たり前。 わたしなんて比べるに値しない。
高卒で日本語以外話せないわたしは『この人達とは目的が違う…。』って、自分自身に言い聞かせてるけど…。単なる、負け犬の遠吠え。
優秀な同期や先輩からすれば『なんでこんな子が…。』って、感じじゃない。
受付カウンター業務初日から憂鬱しかない。
8時50分には、本社ビル1階ロビーにあるドーナツ形の受付カウンターに当直受付嬢が集合する。始業前朝礼が行われる。
ここでは常時、受付カウンター業務4名、交代要員1名の計5名セットで一日の受付業務を行う。これが2チームできるだけの受付嬢の女子社員が在籍してる。
たかが、受付業務のためだけに…。
本日の5人のメンバーは、受付業務担当が、わたしと先輩3人。交代要員が同期の同僚…。って構成。
ドーナツ形のカウンター内にも席次があって…。席は、本社ビル正面入口向きに3席、その正反対向きに1席。って、配置。
本社ビル正面入口向きの3席は滅茶苦茶忙しいみたいで、今日は、正面入口向きはベテランの先輩達3人、正反対向きにど素人のわたし。って、体制。
正面入口向き3席の中央は、特に、会社の顔となる容姿端麗で才色兼備、業務経験豊富な受付嬢が座るってことが暗黙の了解みたい。その両サイドは2番手、3番手の方が座るみたい。
他にもルールがあって…、中央の受付嬢が休憩時間なんかで退席する場合…。両サイドに座っているどちらかの受付嬢にしか中央の席に座ることが許されない…。受付カウンターの【鉄の掟】らしい…。
わたしが間違って座ろうもんなら…。って、考えちゃうとゾッとする。
ほんと変なルール。
本社業務開始の音楽が鳴り、正面入口のシャッターが一斉に上がる。自動ドアが開く。人々がなだれ込んでくる。受付カウンター業務が始まった。
正面入口向きの3席にお客様達が群がり出す。正反対向きのわたしの席にはしばらくは誰も来なかった。
ちょっとでも早く取り次いでもらいたいってお客様が正反対向きで手持ち無沙汰にしてるわたしを見つけて寄って来た。
「△△商事の△△だが、□□開発部部長をお願いしたいんだが…。」って、語気の荒い初老の男性がわたしを見ることもなく言ってきた。
「おはようございます。△△商事の△△様。」って、言って、わたしは下げた頭を上げ、初老の男に顔を向けた。
「…!!!」
「弊社開発部の…。」って、言葉を続けようとしていると、わたしの目の前の初老の男は食い気味に…。
「わ…、悪かった。お嬢さんお名前は…。」って、尋ねてきた。
「えっ…。鳩山と申しますが…。わたくし何か不手際でも…。」わたし、初日初受付から何かやらかしたの…???
「いやいや。そんなことはない。鳩山さんというのだね。」
「はい。鳩山でございます。」
「今日のお昼休みは何時からだろうか…?」
「えっ…?」
「良かったら一緒に昼食でもと思いましてな。もちろん私の奢りで…。」
「…。あの…。えっと…。」
「△△様。開発部の□□が直ぐに参るようです。あちらでお待ちくださいませ。」って、先輩が助け舟を出してくれた。
この後も、次から次へと来る人来る人が、同じようなことばっか聞いてきた。その都度その都度、先輩が助けてくれた。
わたしのカウンター業務初日は、理解不可能な出来事の連続で、訳の分からないまま終了。予定表では、明日は公休日。明後日がカウンター業務2日目。しっかりやらなきゃ…。
* 先輩女子社員Aの憂鬱
「鳩山ってなんなの?いったい…。」
* 鳩山今日子の二度目
受付業務2度目。本日は、カウンター業務が先輩4名。わたしは交代要員。
交代要員は、カウンターの受付嬢との休憩交代、お客様への案内や接客、その他の雑務処理等々が一日の仕事。
今日も9時の音楽と共に人々がなだれ込んできた。
通常であれば、11時からの受付嬢のお昼休み休憩開始までは交代要員は控室を出ることはない。なので、その間は、控室の掃除や整理整頓をしているのが常みたい。
わたしもそれに倣って『掃除でも…。』って、思ってた矢先、控室の内線電話がけたたましく鳴った。
「はい。鳩山です。」
「鳩山さん。ロビー12番席にコーヒー三つ、お願いね。」って、カウンターの先輩から連絡が…。
わたしは言われた通りに、コーヒーマシンからコーヒーを汲み、ミルクポットとシュガーポットをトレイに載せて12番席に向かった。
12番席のソファーには中東の衣装を身にまとった男性がお二人とスーツ姿のアジア人女性が歓談されてた。
「いらっしゃいませ。失礼いたします。」って、一礼して、ローテーブル脇にしゃがんでコーヒーを給仕しようってした…。途端!!!
わたしの傍に座っていた中東の若い男性がわたしの両肩を鷲掴みし、わたしを引っ張り立たせた。
《ガシャーン!!!》
わたしは無理矢理引っ張られた衝撃で、持ってたトレイを落としてちゃって、わたしもお客様も辺り一面も見事にコーヒーまみれ…。
その物音でカウンターから先輩達が飛び出して来る。わたしは先輩達の鬼のような形相と慌てふためく姿を一瞬横目で捉える。
『やっちゃったぁ…。』って、思った刹那、中東の若い男性はわたしを抱きしめてた。そして分からない言葉を発してた。
[僕の妃になってくれ。]
聞きなれない意味不明な言葉をわたしの耳元で囁きながら男性はより強くわたしを抱きしめる。
「痛い…。痛い…。」
すると、コーヒーまみれのもう一人の中東の初老の男性が、わたしに抱きついている若い男性に向かって強い語気で何かを言った。
[おやめください。アミール第三皇太子様。]
[いいじゃないか。エイブラハム。僕はこの娘が気に入ったんだ。]
[いけません。今日は商談のためにこちらに伺っておるのです。恥ずかしい真似はおやめください。]
[分かった。分かったよ。]って、理解不能な言葉を言って、若い男性はわたしを解放した。
その瞬間、12番席に集まった人々から悲鳴とも叫喚とも思えるような謝罪の言葉が飛び出した。
[また、あとで…。]理解出来ない言葉を残し、中東の若い男性は笑顔でその場を去った。
わたしは茫然自失でその場に立ちすくんでた。
* 先輩女子社員Bの驚嘆
「鳩山!!!どうすればこうなるの!!!」
* 鳩山今日子の三度目
12番席の失態で、その日は直ぐに帰宅させられた。
その際「次の出社日は追って連絡するから…。」って、上司から言われた…。
もう二日、自宅待機している。おかげでお祖母ちゃんのお世話に久しぶりに時間をかけられた。
『たった二日間しか業務に従事してないのに、失敗続き…。クビかなぁ…。仕事もまともにできないようじゃあ【ときた】なんて…。』
目的も目標も自信も失いかけてたそんな時、家の電話が喪失を阻むかのように鳴った。
出てみると会社からだった。その際言われたのが…。
「明日、出社してください。出社したらニュータカナシホテルの最上階ルームSに来てください。」って、ことだった。
『ニュータカナシホテルの最上階のルームSって…、雉川のおば様と一緒に英子会長に会いに行ったところじゃない…。』
入社したあとで気づいたんだけど、英子会長に初めてお会いしたホテルも株式会社ニュータカナシの持ち物だったの。
その最上階にあるルームSは英子会長専用のお部屋みたいで、会長が重要なお客様やお取引先を招くためだけに使用されてるみたい。
『はぁ…。クビかなぁ…。』憂鬱になった。
翌朝9時10分前にルームSに到着すると、雉川のおば様と訪れた時に案内してくれた黒服さんが扉の前に立ってた。
「会長。鳩山さんが参りました。」
「入ってもらって。」
黒服さんがドアノブを回すと「ガチャリ」って、鍵の外れる音と共に大きな扉が静かに開いた。
「さあ、鳩山さん。中に入って」って、黒服さんに促される。『なんかわたし、処刑されるみたい…。』
「おはようございます。失礼いたします。」わたしは不安を押し殺して歩を進めた。
前回訪門した時は、全然気づかなかったんだけど、会長の座るソファーまでが遠いこと…。お部屋の広さに改めてビックリ。
会長の座るソファーの脇には女性が一人立ってた。お部屋の照明の明るさに目が慣れるまで分からなかったんだけど、立ってる女性は、先日、中東の男性達と同席してた女性だった。
「会長、おはようございます。」
「おはよう。今日子さん。」えっ…。なぜ、名前呼びなの…?
「会長の御恩にお礼を申す事無く…。」
「硬い話は良いから。そこに座りなさい。」英子会長は自身が座る真正面にあるソファーを指差した。
「はい。」緊張する…。
「業務二日目でやらかしたみたいじゃない。」
「申し訳ございませんでした。」やっぱり…。クビだな…。
「ニュータカナシ始まって以来の出来事で、社内中てんやわんやよ。」
「本当に申し訳ございませんでした。」前にあるローテーブルに頭をぶつけんばかりに下げた。
「それで、どうするの?」
「…。」えっと…。賠償問題にでもなってるの…?
「悪い話ではないけど…。」
「えっと…。どのような…。」これ以上悪い方向に進まないのなら…。
「だから、アミール第三皇太子があなたを第二夫人に迎えたい。って、言ってる話でしょ。」
「はぁ…?」わたしにはチンプンカンプンな話…。
よくよく話を聞いてみると、あの時あの場でわたしに抱きついてきたのがアミール第三皇太子みたいで…、その彼が、わたしに一目惚れし求婚するために抱きついた。って、ことだった。
その後、ニュータカナシ本社の方にアミール第三皇太子側から正式にわたしを妃に迎えたい。って、意向が入り、それで本社は大わらわ。
本社としても、大切な中東の取引先の代表であるアミール第三皇太子の願い入れ。無下に断ることもできない。
それらを踏まえて、英子会長に報告したところ、スケジュールの調整をして、わたし本人との面談をするまでは、ニュータカナシとしての行動、返答を慎むように…。って、お達しを下してたみたい。そしてその面談が今日だったみたい…。
「過去にも色々玉の輿はあったけど…。うちの従業員が海外の王族に見初められるなんて初めてのことよ…。」
「はぁ…。」そんなことかぁ…。
「これじゃあ会社も対応出来ないわ。」
「はぁ…。」それはご迷惑をおかけしました。
「で、どうする?」
「はぁ…。どうしましょ…。」考えるのめんど。
「そうねぇ…。株式会社ニュータカナシとしては…。」
「会社としては…。」どうでもいいけど。
「こんな良い政略結婚はない!」
「はぁ…。」なるほどね。
「ただ…。」
「ただ?」
「第二夫人ってのがねぇ…。引っかかる。」
「どういうことでしょうか…?」
「彼、アミール第三皇太子はまだ結婚していない…。」
「はい。」へぇ…。
「彼の国は一夫多妻を認めている国なんだけど…。」
「はい。」そうなんだ…。
「第一夫人になれる条件があって、それは年齢が25歳までであるって事なのよ。」
「はい。」またまた変なルール…。
「今日子さんはまだ10代。」
「はい。」高卒だからね…。
「第一夫人になれる条件を満たしているのに…、第二夫人。って、言ってきた。」
「はい。」それが…。
「そこには、人種や風習や宗教や…、様々な問題が絡んでいるはず…。」
「はい。」中東って面倒臭そう…。
「いい縁談だけど…、将来的に苦労しそう…。」
「はい。」全然良くない…。
「シンコにお願いしてニュータカナシに来て貰った娘を…。不幸には出来ない…。」
「…。」それはそれは…。
「まぁ…。兎にも角にも、よく考えてみて。」
「…会長。お断りできますか?」考える必要なんて…、一切無し。
「だから…。よく考えてって。いいお話しは間違いない。あなたの人生なんだから。」
「いえ。お断りしたいです。」そんなことのためにこの会社に入ったんじゃないから…。
「…分かったわ。ニュータカナシから正式にお断りの通達しとく。それでいいのね。」
「はい。」それでいいのよ…。
* 黒服さんの予言
この娘に会うのは確か…、今日で2回目…。この娘が様々噂の鳩山だったのね。
前回は保護者同伴で会長に会い来ていたが…、うちの社員になってたんだね。
あの時も彼女の人並み外れた美貌に驚かされたけど…、今回もその美貌でニュータカナシを慌てさせるなんて…。
ニュータカナシには美しい女子社員なんてゴロゴロいる。それすらも寄せ付けない突き抜けた鳩山の美しさ…。
末恐ろしいたらありゃしない…。
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