パラオ #27

* 雉川信子との生活


1988年 昭和六十三年 春

雉川のおば様から「三年生への進級前の春休み、うちでホームステイしてみない?」って、電話が入った。

急で意味不明なお話だったけど、お祖母ちゃんが倒れてから【学校→病院→家】って、繰り返しだけの生活だったわたしにとってはかなり魅力的なお誘い。

でも、入院・療養中のお祖母ちゃんの身の回りの世話があるから『無理だなぁ…。』って、思ってたら、雉川のおば様から「ホームステイ中は紗千さんのお世話は雉川総合病院のヘルパーさんを派遣するから…。」って。

相変わらず気配り行き届く方です。


春休みに入り、わたしは安心して雉川のおば様との期間限定の同棲生活を開始。

女性の自立がやっと当たり前になってきた今日に於いて、女性であって既に総合病院の理事長でもある自立した女性の代表みたいなおば様との生活は全てが新鮮。

社会的地位も経済的収入も公的信用も大抵の成人男性を上回っているにもかかわらず、驕る事無く、謙虚であって優雅。その姿勢は、女性の社会進出の鏡。

この生活中、おば様はわたしに、世界中の良い物や世界で通用する立ち振る舞い、世界の常識…エトセトラ、エトセトラ、を事細かに教えてくれてる。

なぜかって言うと、前にお会いした英子おば様が「穴埋め代わりじゃないけど…。シンコの知り合いのお孫さん。進路が決まってないのなら、うちで働きなさい。」って、雉川のおば様へ伝言してたんだって。

わたしは全然知らなかったんだけど、英子おば様の会社って世界でも有数の超巨大企業なんだって。

日本国内で頭が良い…。なんて、程度なら就職できないレベルの企業みたい…。

英子おば様の会社って、先日完成した東京ドームの工事に関わってたり、今年完成予定の瀬戸大橋の事業にも中心的企業として参加してるみたい…。

そんな【超】の付く大企業の会長が、博多人形こと英子おば様だったの。忙しいはずだよ。

そんな英子おば様からの提示だったから、雉川のおば様はわたしが万が一、その【超】の付く大企業に入社しても困らないように…。って、時間が許す限り色んな事を叩き込もうと躍起なの。

わたしは高校卒業後どうするかなんて全然考えてなかった。

英子おば様のお話は、わたしにとって、とっても良いお話しなんだと思う。

雉川のおば様もそう思われて、おば様なりにわたしの将来を考えて下さった結果の上での今回の行動に、わたしは感謝するほかなかった。

でも、やっぱりまだ将来は分からない…。

でもまぁ…。言葉は違うけど【花嫁修業】みたいな感じかなぁ…。

やってて損はない!


あと、この生活でとっても興味深いお話を雉川のおば様から聞いた。

それは、雉川のおば様と英子おば様は、雉川総合病院で同じ日に出産してたの。偶然なんだろうけど、その辺りがお二人が仲良くなられたきっかけみたい。

そしてその頃、看護学生だったママも雉川総合病院で看護実習のトレーニングを受けてたの。雉川総合病院の古い記録に残ってたんだって。

この事は雉川のおば様もかなり後で知ったみたい…。

おば様曰く「すごい偶然ってあるものねぇ…。」って、笑顔で話されてたんだけど…。

ここまでくると偶然では片付けられないものを感じちゃう…。

ママは敢えて、この時期に雉川総合病院での実習を選んだんじゃないかなぁ…。


* 鳩山今日子の進路


1988年 昭和六十三年 夏

3年生になった途端、学校からの進路希望の催促が矢継ぎ早にくるようになった。

これはしょうがないこと。なんたってわたしの通う学校は、女子校でありながら結構高い偏差値と結構高い進学率を誇ってる。

学校としては【女子校であっても大学進学率100パーセント】を、目標に置いてるみたいで、事あるごとに生徒達や父兄に対して、同校の大学へのスライド進学や他大学への受験の説明会を開いてる。

それ以外にも、保護者同伴の三者面談も頻繫にあって、その場に於いても同じような話が持ち出されるみたい。

わたしは3年生のこの時期になっても進路希望を出せてない…。

進学…。就職…。お祖母ちゃんやママのこと…。って、言うか、ほんと【五里霧中】って感じ。

それどころか、学校側から催促されている三者面談すら一度も受けてない。理由は簡単。【保護者不在】で断り続けてる。学校側もそれは理解してくれてるが、これ以上先延ばしにはできなそう…。


雉川のおば様は「春休み同様に夏休みもうちにホームステイに来てね。」って、言ってくれている。

わたしは進路の相談も兼ねておば様のお言葉に再度甘えることにした。


夏休みに入り、わたしは雉川のおば様宅での二度目のホームステイを開始。

内容は前回同様、大袈裟だけど【どこに出しても恥ずかしくない人間形成】だ。

そんなカリキュラムの合間を縫って、おば様に進路の相談をしてみた。

おば様は「焦って決めることないわ。やりたいことが出来たらそれに向かえばいいのよ。」って、いつもの美しい笑顔で優しく言うのだけども…。

学校からの催促やお祖母ちゃんやママや…。って、考えると、わたしは焦らずにはいられない…。


そんなこんなで2週間程過ぎた頃、おば様が「明日、百々乃さんのお見舞いに行かない?」って、聞いてきた。

『真鶴かぁ…。いいかも…。』わたしもおば様からのカリキュラムや自分の進路でいっぱいいっぱいだったので、二つ返事でオーケーした。


お見舞いに行く当日は、突き抜けるような青空、雲一つ無い晴天に恵まれた。

この日の雉川のおば様は、いつもは病院の地下駐車場に安置してるっていうおば様のお気に入りの車を出してきた。

きれいな山吹色の流線型をした古い外国製のスポーツカー。今日の青空とおば様のスポーツカーの山吹色のコントラストが出発前から気分を上げる。

おば様は「贅沢はしたくないけど…、この車だけは手放せない…。」って、なぜか寂しそうにぽつりと言った。


「はい。これ。」おば様がヘアゴムを渡してきた。

「お天気いいから、オープンで行きましょ。」って、二人して車の真っ黒な幌を上げて、二人して髪をポニーテールにしばり上げた。

雉川のおば様が運転するこの車で真鶴の雉川総合病院の分院を目指す。おば様が運転するとこ初めて見たんたけど、すっごく慣れていてすっごくカッコいい。

運転しながらあちこちのレバーやスイッチをせわしなく触るけど、まるで舞を舞っているようで、とても優雅な動きに見える。

太郎おじさんの荒い運転とは比べものにならないスマートでスムーズな運転。

思わずわたしも免許が取りたくなった。

オープンエアーのドライブとおば様の運転に見惚れている間に真鶴の雉川総合病院の分院に到着。ほんと、あっという間だった。


おば様は雉川総合病院の分院での会議があるので、ママのお見舞いはわたしにお願いするってことだった。

わたしにとっては『いつもひとりでやっている月に一度の動物観察のようなもの…。全然、問題ない。』って、鼻歌交じりに気楽に病室に入る。すると、ママはベッドで体を起こしてて、瞬きひとつすることなく天井を見てた。

「ママ。大丈夫?」

「…。」いつも通り返事は無し。

いつもみたいに微動だにしないママを時間がくるまでじっとして観察する…。それがわたしのママのお見舞いの儀式…。

って、思った時『これじゃあいつまでたっても埒が明かない。』って、気持ちが湧いた。

『進めなきゃ。』って、思った瞬間、あの言葉が口から出てた。

「ママ、【ときた】…。ママ、【ときた】…。分かる…?」

「…。」

「ママ、【ときた】…。ママ、【ときた】だよ。」わたしの口調は無意識に強くなってた。その時…。

「ときた…。わるい…。やつ…。」やっぱり人名だったんだ。

「ママ、もっと教えて…。」

「ち…。ち…。きたない…。きたない…。」

「えっ…?」

「あらいたい…。」

「何を…?」

「きれいに…。」

「だから、何を…?」わたしの口はどんどん厳しくなってった。

「きれいに…。」

「…。」

「おみず…。おみず…。」

「…。」

「おみず…。どこ…?」

「…。」

「どこ…?」

「…。」

ママはベッドでの体勢変えることなく天井を見たままずっと「どこ?」「どこ?」を繰り返した。

さながら壊れた人形みたいだった。わたしは躊躇なくナースコールを押した。


おば様の会議の終わるのを病院のロビーで待ってる間、わたしはママの言葉を頭の中で反芻してた。

『ママの言い方だと【ときた】は間違いなく人名…。そして【ときた】は悪い人…。たぶん、お祖母ちゃんやママは被害者…。』

『ち…。ち…。って、何回か言ってたなぁ…。』

『ち…。何なの?』

『知…。』

『地…。』

『血…。』

『!!!血じゃない。血筋ってことじゃない。【ときた】の血筋は汚い人ばっかりってことじゃない。』

『って…、言うことは【ときた】の一族は嫌な奴だってことじゃない。なんか今日のわたしって冴えてるかも。』

『そうなるとぉ…。お祖母ちゃんが一番嫌がることは…。わたしが【ときた】一族に近づくこと…。なんじゃない!』

『お祖母ちゃんやママに関係ありそうな【ときた】って言えば…。やっぱり土岐田東京都都議会議員…。』


わたしは帰りの車の中で雉川のおば様に「英子おば様の会社で働きたい。」って、告げた。

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