パラオ #26
* 雉川信子の記憶
今日子ちゃんの口から出た【ときた】という言葉が、私の中の大昔の記憶の扉を開く呪文となった。
その中には数少ない良い思い出と、封じ込めていた大量の嫌な思い出が入っている。
【ときた】は私の嫌な思い出に登場する人物の名前だった。
そう。あの時。私は何も分からぬまま、協会を体現する広告塔として生きていた。
あの当時の私はまるで生き神様のような扱いを受け、私の態度ひとつ、言葉ひとつが協会会員たちを右往左往される程であった。
その私を単なる人間に引き戻したのが、今日子ちゃんの祖母である目白紗千だ。
協会は戦後まもなく、協会会員の増加と収入の増加を目論見、新聞の発行を打ち上げた。その会員勧誘を協会は婦人部会を使ってコンクール形式で行ったのだ。
コンクールの下馬評では、協会の最年少幹部である私が統括地区の婦人部会を動かしてダントツで一番だろうと目されていた。1年目は下馬評通りの結果だった。
しかしながら、蓋を開けてみると、2年目以降は無名の平会員である目白紗千という者が一番をかっさらていった。それも3年連続で…。
そのおかげで私の威信は失墜した。
それは、私が自分自身を見直す契機ともなった。
そして、そのコンクールのもう一つの顔が、協会の政界進出。
強引な協会会員の獲得の理由は、選挙票の取り纏めが目的だった。
その協会の政界進出の立役者となる立候補者のひとりが、今日子ちゃんの言う【ときた】こと土岐田次郎であった。
協会内で彼は、戦前、パラオ共和国で邦人や現地人を統括する任務を遂行し、戦後はパラオ共和国からの邦人の帰還に尽力した人物と紹介されていた。
そして、そのイメージと協会の後押しを持って選挙に打って出た。しかし、立候補の数年間は落選が続いた。しかし現在では、協会の政党員のひとりとして当選回数数回を誇る、現役東京都都議会議員をやっている。
紗千さんと結びつく【ときた】と言えば…、私が思い当たるのはこの土岐田次郎だけだ…。
* 鳩山今日子の取材
「おば様、何か思い当たる節が…。」
「ん…。関係あるかどうかは分からないけど…。紗千さんと結びつく【ときた】は、齢80歳で現役東京都都議会議員の土岐田次郎氏…。かなぁ…。」
『都議会議員…。』前にも、ママのお見舞いから帰る車の中で、太郎おじさんが同じようなこと言ってた…。
「そんな偉い人とお祖母ちゃん、関係あるんでしょうか?」
「そうねぇ…。大昔の一時期、確かに接点はあったと思うわ。」
「そうなんですね。その時って、ママもいましたか?」
「百々乃さん…?紗千さんが幼い百々乃さんをよく連れて来ていたから…。会っているかも知れないわねぇ…。でも、何故そんなこと聞くの?」
「ママも寝言で【ときた】って言ってたんです。」
「百々乃さんも同じことを言ってたの…。じゃあ…、本当に土岐田議員かも…。」
「土岐田議員さんって、どんな方なんですか?」
「そうねぇ…。私も詳しくは知らないんだけど…。【立派な人格者】だって、言われてるわねぇ…。」
「そうなんですね。」
「若い頃から日本の役人として海外に出て、日本人のお世話をしていたそうよ…。」
「そうなんですね…。」
「戦争後は海外に残されている日本人の帰還に尽力されたようで…。」
「海外って、どこなんでしょうか?」
「オセアニア地域。今のパラオ共和国よ。」
「パラオ…。きょうわ…。」…!!!
『パラオ…。パ…、ラ…、オ…。パ……オ。パ……。……オ。』!!!
『ぱーう!見つけた!』
間違いない!絶対にこいつだ!お祖母ちゃんが…。ママが…。深く根に持ってる人間は…。
『どうにかしてこいつに近づきたい…。こいつに近づくこと…、こいつに近づくことが…、パパを見捨てた、パパを馬鹿にした全ての奴らを痛い目にあわせるための切り札…。』って、考え耽ってると…。
「今日子ちゃん。どうかしたの?」
「おば様…。大変、不躾なお願いなのですが…。土岐田議員さんにお会いすることはできませんでしょうか?」
「あら。何故かしら?」
「たぶん…、お祖母ちゃんやママが言ってる【ときた】って、土岐田議員さんだと思います。」
「うん。うん。」
「お祖母ちゃんやママが事故の時やうわ言でもお名前を出す御方です。わたしにとってもどんな方かとても興味があります。」
「うん。うん。」
「それに…。お祖母ちゃんやママが、土岐田議員さんにどのようなお世話になったのか知りたいんです。」
「そうなんだ。そうねぇ…。私も直接的には土岐田さんを知らないし…。」
「…。」ダメか…。
「英子さんに聞いてみるわ。」
「えっ…?」
「あっ。英子さんは、土岐田さんの娘さんなの。娘さんの方は、昔っからよく知っているのよ。」
「…あっ、…ありがとうございます。おば様。」
わたしは首の皮一枚でつながったことに安堵した。
翌日、雉川のおば様から電話があった。「英子さんは大変多忙なため、会えるまでかなり時間がかかる…。」って、ことだった。
なので、わたしには待つしか方法はなかった。待ってる時間がわたしの心のとげとげをまた鋭くしていった。
* 高梨英子への依頼
先日、シンコから連絡があった。
とても暫くぶりのシンコからの連絡だったのに、要件は私にではなく、私の父にだったの。
忙しい合間を縫って、懐かしさから電話を取ったのに、肩透かしもいいとこ…。
『どうせ、都議会議員の父への頼み事でしょ…。』と、思ったら、何故かしら意地悪したくなり「今、とても忙しいのよ。手が空いたらこちらから連絡するわ…。」と、冷たく応えてた。
シンコの頼みを子供っぽい感傷で無下にしてしまったことへの少しばかりの罪悪感はある。でも、私には、どうしても、この年になっても父に反発してしまう気概がある。
たぶんそれは、何も知らない、何も分からない少女だった私を金持ちの老人に差し出した父への恨みめいた感情からだ。
父はその老人の潤沢な資金を礎に政治家になった。
私は父、土岐田次郎が政治家になるための、そのための贈答品でしかなかったわけだ。
私は老人の期待通りに早々に世継ぎも産んでやった。老人が亡き後の彼の資産・財産も守ってきた。
お陰で四十路を過ぎても女として、女らしく、女の幸せを実感出来た覚えがない。
私の人生は、産卵と中継ぎだけだった。だからか、息子たる一朗に愛情を注いだ事も一度もなかった。
そんな侘しい私の人生に於いて、同時期に子供を産んだ唯一の女友達と言えるシンコの久方ぶりの連絡が、父への取り次ぎである。
この時の私は、私の子供じみた感傷からシンコにあたってしまった。申し訳ない事をしたわ。どこかで時間を作ってあげないと…。
* 鳩山今日子への朗報
ひと月ぶりに雉川のおば様から電話があった。
『なんだろう?』って、思いながら電話に出てみると「英子さんがお話し聞いてくれるって…。」って、言う内容だった。
前回の電話でおば様から「かなり時間がかかる…。」って、言われてたから、思いもよらなかった朗報に小躍りしそう。
約束の時間は月半ばの日曜日。今からワクワクが抑えられない…。
* 高梨英子の面会
今日はシンコに会うので先日のお詫びも兼ね「昼食でも取りながら…。」と、考えていたけど…、こういう時に限って急ぎの仕事が入る…。
シンコの要件は「知人のお孫さんが父に会いたがっている…。」と、言うものだった。いまいち不明瞭な内容だが、なんでも、その子の祖母と母親が父に世話になったらしい…。という事だった。
『あの父がねぇ…。』と、言うのが私がシンコの話しを聞いて最初に持った感想だ。
まぁ…。その子の話はさておき、久しぶりにシンコに会えることを待ち合わせのホテルの部屋で楽しみに待っていると呼び鈴の音が部屋に響いた。
「高梨会長。お客様がおみえです。」約束5分前…。シンコは変わらないなぁ…。
「どうぞ、はいってもらって。」
「ガチャリ」と、ドアノブの爪が外れる音と共に重たい木の扉が音もなく開いた。
「英子さん。ご無沙汰しております。この度は無理を聞いて頂き、ありがとうございます。」シンコも年は取ったけど…、相変わらずの美貌だわ。
「シンコ、久しぶり。堅苦しい話しはいいから。」と、入室を促した。私もソファーに向かおうと踵を返したその時、後ろで声がした…。
「初めまして。鳩山今日子と申します。この度はご配慮いただき、ありがとうございます。」と、若く瑞々しい跳ねる様な声が背中越しに聞こえた。
『あぁ…。シンコの言ってた子ねぇ…。』ソファーに座りながらその声の主を見た。
その瞬間、私は私の態度の失礼さに自己嫌悪を覚えることになる…。
その子…否。その女性は稀にみる美しさを持っていた。私と彼女との共通点は私が【同性である。】ということだけだった。
「シンコ、だ、誰なの?この子?」思わずどもってしまった。
「英子さん。ごめんなさい。ご紹介が遅れました。鳩山今日子ちゃん。私の知人のお孫さんなの。」
「この子が、父に会いたがってるの?」
「そうなのよ。今日子ちゃんのおばあ様が私の知人で、彼女とその娘さんが土岐田先生にお世話になったみたいなのよ。」
「そうなんだぁ…。ええっと…、鳩山さん…。」と、言いかけたとこでテーブルの上の電話がけたたましく鳴った。
「はい。」
『高梨会長。そろそろお時間です。』鶴岡秘書室室長からだった。
「そう。分かったわ。」私は時間が無いことを今日ほど悔しく思えたことはなかった。
私は受話器を置いてシンコ達に首を垂れ「ごめんね。急な仕事で今日はこれでお終いなの。」
「いえ。英子さん。こちらこそ無理を言って押しかけて、すみませんでした。」
「シンコ。この埋め合わせは必ずするから。」
「ありがとうございます。では、失礼いたします。」と、二人は部屋を出ていった。
お茶を出す間もなく追い返してしまった様になった事を後悔するより、鳩山今日子という女性と話が出来なかった事を後悔している自分がいた。
『あの子とは絶対にもう一度会わないと…。』
* 鳩山今日子の面会
この日が待ち遠しくって待ち遠しくってしょうがなかった。
昨日は雉川のおば様に電話して何を着ていけばいいか相談した。
おば様は「高校生だから、制服でいいと思うよ。」って、アドバイスくれた。
わたしは、制服によごれがないかチェックして、スカートのプリーツには一本一本アイロンを…。
制服にハンガーじわが寄らないように、ダイニングのテーブルに平置きにして…。近くには忘れないようにハンカチ、財布、家の鍵を置いて…、就寝。
まるで自分が、遠足に行く前日の子供のようで笑えた。
雉川のおば様のお知り合いの英子さんとの待ち合わせ場所は、赤坂の豪華なホテル…。
少し早く到着したので、おば様とホテルの庭園を散策することに…。
庭園は東京にいることを、都会のせわしない時間を忘れさせるほど静寂に満ちていた。学生の私ですらこの庭園の素晴らしさは感受できた。
『オシャレなおば様はこの庭園に釣り合ってるし、こういう所に慣れてるみたいだけど…。学生服のわたしはどうなの…。』なんて考えてたら、おば様が「ぼちぼち向かいましょうか。」って誘ってきた。
一気に現実に引き戻される。緊張してきた。
ホテルのフロントで到着を伝えると、お迎えの颯爽とした黒服の女性がやって来た。黒服さんと共にだだっ広いホテルの中をしばらく歩き回って、やっとお目当てのエレベーターに到着。『…疲れたぁ。』
黒服さんやおば様は優雅にホテル内を歩いていたが、わたしにはホテルにあるものがどれもこれも物珍しく、知らぬ間に頭をキョロキョロ動かしながら歩いてい
た。
『どっかの田舎者って思われたかなぁ…。』って、思うと顔から火を噴きそう…。
私達が乗り込んだエレベーターは最上階で止まり、黒服さんにより、ひと際大きな扉のある部屋の前に連れて来られた。
黒服さんはおもむろにチャイムを鳴らし「高梨会長。お客様がおみえです。」って、中にいるだろう人物に伝えた。
「どうぞ、はいってもらって。」
黒服さんが「ガチャリ」って、ドアノブを回すと重たい木の扉が音もなく開く。
「英子さん。ご無沙汰しております。この度は無理を聞いて頂き、ありがとうございます。」
おば様はしなやかに腰を折り頭を下げた。相変わらず美しい所作。
「シンコ、久しぶり。堅苦しい話しはいいから。」って、背は低いけど、博多人形ようなおば様が飛び出してきた。
その博多人形のようなおば様は、身振り手振りで雉川のおば様を部屋に招き入れ、自身も室内に戻ろうと背を向けた。
わたしは慌てて「初めまして。鳩山今日子と申します。この度はご配慮いただきありがとうございます。」って、博多人形の背中に向かって挨拶…。
わたしの挨拶が聞こえなかったのか、博多人形は動きを止めることなく、ソファーに座り込みながらわたしを一瞥。ほんの一瞬チラリと見た。
博多人形のこの動作で『わたしって存在感ゼロ?』って、思ってると…。
「シンコ、だ、誰なの?この子?」
『あっ、博多人形が噛んだ。驚かせちゃったかなぁ…。』
「英子さん。ごめんなさい。ご紹介が遅れました。鳩山今日子ちゃん。私の知人のお孫さんなの。」
「この子が、父に会いたがってるの?」
「そうなのよ。今日子ちゃんのおばあ様が私の知人で、彼女とその娘さんが土岐田先生にお世話になったみたいなのよ。」
「そうなんだぁ…。ええっと…、鳩山さん…。」って、博多人形がわたしに話しかけたとこで、テーブルの上の電話がけたたましく鳴った。
博多人形のおば様は電話で二~三言話した後「ごめんね。急な仕事で今日はこれでお終いなの。」って、頭を下げた。
『この人、本当に忙しいんだなぁ…。』
「いえ。英子さん。こちらこそ無理を言って、押しかけて、すみませんでした。」雉川のおば様は立ってまた美しい所作で頭を下げる。
「シンコ。この埋め合わせは必ずするから。」って、博多人形は顔の前で手を合わせた。
「ありがとうございます。では、失礼いたします。」わたしたち二人は部屋を出た。
はっきり言って何の進展もなかったけど…。なんとなく道が開けたみたいな感じは受けた。
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