パラオ #24

* 鳩山広志の噓


「ハァ…。ハァ…。俺が…。俺が…。俺がこの子に頼んだんだ。」息が切れる。ちょっと走っただけなのに…。それにこの子も重い。大きく育ったもんだ。

「お客様…。何を…。」

「だ…、だから。俺がこの子に頼んだんだ…。」

「ですから…。何を…。」

「この金で酒を買うように頼んだんだ。」

「左様ですか…。では、このお金は…。」急に冷たい顔になりやがった。

「ほれ…。この財布だろ。」

「これは…。」目を白黒してやがる。

「だから、この財布から金は頂いたの。分かった?」

「じゃあ…、あんたがこの財布を…。」おっ。口調が変わったねぇ…。

「そうそう。俺がこの財布を…。」

「分かりました。あとは事務所でお話を伺っても…。」

「どうぞどうぞ…。」と、男性店員に笑顔で答え、気を失っている今日子を女性店員に預け、俺はこの場を去った。

『深い理由は分からん。けど…、今日子は俺のためにこんな事をやったんだろう。悪かったな、今日子。』俺にはそう思うほかなかった。


* 目白紗千の辛酸


夕方、学校から電話があった。学校からの電話は過去の経験上、ろくなことがない。恐る恐る出てみると「駅のスーパーで今日子が気を失って介抱されている。」と…。

「スーパーへ迎えに行ってあげて欲しい。」と…。

私は取るものもとりあえず、寿丘不動産から駅のスーパーへ向かった。

スーパーのレジ係の人に尋ねてみると、今日子はスーパーの仮眠室で寝かされているようだった。

仮眠室の場所を聞き、赴くと、そこは簡素なベッドと数脚の椅子の置かれた薄暗い倉庫の様な部屋であった。その簡素なベッドには今日子が横たわっていた。

そして、寝ている今日子の側には二人の女性が椅子に座っていた。一人は制服姿のスーパーの店員…、もう一人は制服姿の…、婦人警官だった。

私は胸騒ぎを覚えた。そして、意図せぬうちに言葉を発していた。

「いったい…。何があったのでしょうか?」と、倉庫の様な部屋に響き渡る程の大声で…。

そのぶっきら棒な投げかけとは反対に、婦人警官は「どういうご関係の方でしょうかと?」と、冷静な優しさを込めた声で私に聞き返したきた。

その優しい問かけは、私に自分が冷静さを失い礼儀すら忘れている事を思い出させた。

「失礼致しました。私はそこで眠っている今日子の祖母にあたる目白紗千と申します。この子を迎えに参りました。」

「ご苦労様です。お孫さん、ここの売り場で気を失ってしまって…。生徒手帳から学校へご連絡差し上げた次第です…。」

「それはありがとうございました。孫は貧血か何かで…?」

「…。」言葉が返ってこない。

「何か…。事故でも…?」

「…。」何故、何も言ってくれない。

「いったい何が…?」

「おばあちゃん。お孫さんね、利用されちゃったのよ。」と、急にスーパーの制服姿の中年女が喋り出した。

「えっ…。どういうことでしょう…?」

「事件に巻き込まれたとお伝えするのが正しいでしょう。現在捜査中ですので、はっきりとはお話できないのですが…。」と、スーパーの制服を着た女の話を遮って婦人警官が話し始めた。

「…はい。…お聞かせください。」


その内容は、今日子の父親と名乗る男がスーパーの客の財布を盗み、その金で今日子に買い物をする様に頼んだ…。

今日子の買い物がおかしいと思った店員から問いただされ、その緊張からか、今日子はその場で気を失ってしまった…。との事だった。

そしてその話は私の頭の中に閉じ込めていたおぞましい記憶を甦らせた。


* 鳩山今日子の誤認


わたしは女性達の話し声で意識を取り戻した。

彼女らの言葉の断片がわたしの目覚めた脳に突き刺さってく…。

『利用…。』『父親…。』『そそのかされて…。』『窃盗…。』『広志…。』『財布…。』『お孫さんは…。』『心配いらない…。』

頭の中にたくさんの言葉の断片がジグソーパズルのピースのように無秩序に流れ込んでくる…。

意味の分からない言葉の断片に頭の中が満たされそうになった瞬間、こわくなってカッと目を見開いた。

光を受け入れていなかったわたしの目は薄暗い光の中に朧気な人影をとらえた。

「おや。お目覚めかい…。」

「…。」お祖母ちゃんの声がする…。

「今日子。起きれるかい?…。」

「…。」言われる通りに体を起こしてみる。体はすんなりと起こせた。でも、まだ正気じゃない。

「立てるかい…。」

「…。」体は素直に言う事をきく。

「じゃあ…家に帰ろう。」お祖母ちゃんはわたしの手を引いた。

「…。」

「大変、お騒がせ致しました。それでは失礼させて頂きます。」って、お祖母ちゃんは頭を下げわたしの手を引きその場を出ようとした。

「あっ…。」わたしは一歩目が踏み出せず躓きそうになる。

でも、お祖母ちゃんは歩みを止めない。わたしの手を引いたまま、強引なぐらいに…。

後ろで「お気を付けて…。」って、声をかけられてるのも無視するように…。


強引に手を引っ張られながらスーパーを後にした。

お祖母ちゃんはわたしに声をかけることなく、無言で手を引きながら家への歩みを進める。

いや。お祖母ちゃんは無言じゃなかった。

スーパーの喧騒から解放された外に出て分かった。

お祖母ちゃんはぶつぶつと小声で独り言を言ってた。

わたしは耳に神経を集中させた…。

「どいつもこいつも…。ろくなもんじゃない…。」

「私達に近づくな…。」

「広志の野郎は、百々乃だけではなく今日子まで…。」

「広志は疫病神…。」

「あいつと同じ疫病神…。」

「二度と私達の前に現れるな…。」

「人様の財布に手をかけたコソ泥の広志も…。」

「あいつも…。あいつも…。二度と…。」

この言葉を聞いた瞬間、わたしの頭の中に無造作に積み上がってた言葉のピースが一瞬で組み上がった。

そして、わたしはパパがまた助けてくれたことを知った。

わたしの頭の中でさっきの出来事が走馬燈のように流れてく…。

わたしの失敗をパパがカバーしてくれた…。

わたしの窮地をパパが救ってくれた…。わたしの犯罪行為をパパが被ってくれた…。

全部パパが…。

そんなパパを悪く言うお祖母ちゃんに『何も知らないくせに!!!』って、怒鳴りそうになるぐらいの嫌悪感を抱いた。

いや。そんな生易しいもんじゃない。憤り、怒り、恨み…。

今日までお祖母ちゃんに対して抑えてた感情がパパへの思慕と相まって瞬時に溢れ出した。

『勝手なことばっか言うこの人を絶対に許せない!』

急に、お祖母ちゃんに触れられていることが許せなくなった。

わたしはお祖母ちゃんに掴まれている手を無理矢理引き払おうと…。

その時…。

「とぉ…、きぃ…、たぁ………。」って、急に聞きなれない言葉を唸るように発しながらお祖母ちゃんはわたしの目の前から消えてった…。

次の瞬間、お祖母ちゃんは歩道から道路に倒れ込んでた。

そしてしばらくすると、黒いアスファルトに赤い液体が広がるのが見えた。


わたしは大声で助けを呼んでた…。


* 鳩山今日子の遺恨


お祖母ちゃんが倒れた。わたしはそれが原因なのか何も手につかなくなった。

何もできなくなった。

学校を休み…。家に閉じこもり…。考えてしまう…、何度も何度も。

お祖母ちゃんが倒れたのはわたしのせいって…。でも、わたしがこんな風になったのはお祖母ちゃんのせいって…。

わたしが苦悩し、葛藤してた頃、太郎おじさんも重体のお祖母ちゃんの受入れ先探しでバタバタしていた。

太郎おじさんは警察から「あの日逮捕した鳩山という人物が目白紗千さんのケガに少なからず関係があるかもしれない…。」って、聞かされたらしく「あの野郎…。出てきたらただじゃおかない…。」って、あちこちで息巻いてたみたい…。


そんな落ち着かない状況の中、寿丘不動産に一本の電話が入ってた…。

「毎度ありがとうございます。寿丘不動産です。」

「こちら、豊島警察署です。」

「お、お世話なっております。」

「そちらに、鳩山様と申される方はおられますか?」

「は・と・や・ま…?はとやまですか…?」

「はい。鳩山広志さんと申される方です。」

「はとやまひろし…。少々お待ちください。」

「…。」

「お待たせいたしました。。はとやまひろしという者は弊社には在籍しておりませんが…。」

「そうですか。過去にもでしょうか?」

「はい。過去にもおりません。」

「分かりました。ご協力、ありがとうございました。」

「いえいえ。失礼いたします。」


それはパパの死を告げるはずの電話だった。

パパは警察での取り調べのため、留置所に拘留中、アルコールでボロボロの体調が悪化し、あっけなくパパの生命機能を停止した…。

ただ、現在いる寿丘不動産の従業員達は、パパのことを誰も知らない。

わたしの名字が「鳩山」だっていうのも誰も知らない。わたしのことは皆「目白今日子」だって、思ってる。

だから、警察に尋ねられてもおのずと答えは「知らない…。」ってなる。

この行き違いがパパを無縁仏にしてしまった…。

タイミングが悪かった…。ボタンを掛け違えた…。そんな話では済まされない…。


わたしがパパに起きた事を知ったのは、お祖母ちゃんの入院・療養先が決まり、学校に復学して1ヶ月ぐらい経った頃…。

警察署に公衆電話から連絡を入れ「鳩山広志」の現状を知ろうとした時…。

「先ずは、お名前をお伺いできますか?」って、質問された。

わたしは何かイヤなも感じ、咄嗟に偽名を答えた。

「年齢は?」

また、質問。わたしは年齢も詐称した。

「お住まいは?」「ご職業は?」

全ての質問に対し全て噓の答えを返した。

「鳩山広志様とのご関係は?」って、問われた時、わたしは「婚約者です。」って、笑える大噓を伝えると…。

「…。大変申し上げ難いのですがね。鳩山広志様はお亡くなりになりました。」って、押し殺した低い声で言われた…。

最初、言われた言葉を上手く理解できなかった。耳の奥で山びこみたいになって同じ言葉が繰り返し鳴ってた。

わたしの脳みそが言葉の意味を理解した瞬間、わたしは「なんで?!」って、受話器に向かって叫んでた。


電話対応してくれてた警察官は「残念ながら勾留中に体調を崩し、そのまま帰らぬ人になった。」って、わたしの叫びに応えてた。

「お墓は?」って、尋ねると「親類縁者を捜し出す事が出来なかったので法律に則って無縁仏とし無縁墓地に合祀された…。」って…。

わたしはこの後、無言で電話を切った。


『どいつもこいつも…。絶対に許さない…。』

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