パラオ #12
* 目白百々乃の欠片
「土岐田」の手掛かりを見つけるために、毎日のように鳩山の品の無い車を使って、時間の許す限り東京中を走り回った。
「土岐田」という人物が協会に関係ある人間なら、協会会員の集まる場所に必ず情報があるはず…。
協会の地区割りや主要な協会会員ことは、目白宗一郎の持っていた協会資料や協会名簿をこっそりと書き写し把握している。
その資料と名簿を車という機動力を活かして虱潰しに当たれば「土岐田」という人物に関することが何か引っかかるんじゃないかと…。
高校生の浅知恵ではこの程度が限界だけど「でも今はこれしかない。」と思い、好きでもない鳩山に協力させている。
鳩山はあたしのやろうとしている事を詳しくは知らない。ただ「上手いこといったら付き合ってあげる。」って、言って手懐けてある。
鳩山という男は、若大将シリーズに出てくる「青大将」の様な奴。無邪気で自分知らずで浅はかで…言い出すと切がない。
太郎さんは、あたしとそんな鳩山が毎日のように連れ立って行動するようになってから、あたしを気にかけることがなくなった。
『悲しい…。けど、これで良かったんだ。良かったんだ…。』
太郎さんには汚いものには触れて欲しくない。だから、これで良かったんだ。
そう思えば思うほど、言い聞かせれば聞かせるほど、あたしの目からは涙が溢れた。
鳩山の下品な車を使って都内を捜索し始めてひと月ばかりが経過した頃、なぜだか協会会員達が騒めき出していることに気が付いた。
学校帰りに、なぜか改名した寿丘不動産へ立ち寄り、それとなく気になった事を目白宗一郎に尋ねてみると「協会がこれから、政治の世界に進出しようとしているんだ。」と、教えてくれた。
「だから、協会の色々な人が浮足立ってるの?」
「浮足立つ…。ハハハ…確かにそうかもしれないね。」
「今回の件って、あたしにも何か手伝える事ってあるのかな?」と、あたしは協会の活動に参加意欲がある振りをして目白宗一郎に聞いてみた。
この協会は、親が協会会員である場合、その子供達も自動的に協会の二世会員にされる。
子供達は幼い頃より協会の行事や活動に積極的に参加させられる。
だから、子供達も協会が何かし始めると、それを手伝う事は当たり前の事だと思っている。
こわいことに、生まれながらに、こんな風に教育されているのだ…。
「そうだね…。これから色々な所に選挙事務所なんかも出来るだろうから…。高校生だと…、ボランティアで事務所の掃除とかかな…。」
これはいいことを聞いた。少しは協会の内部に潜り込めるかもしれない…。「土岐田」の情報に近づけるかもしれない…。
あたしは目白宗一郎に事務的に「ありがとう。」と、言って、寿丘不動産いた鳩山に車を用意してくれるよう伝えた。
目白宗一郎の話から暫くして、都内の主要な駅の近くには各政党の選挙事務所が建ち並びはじめた。
あたし達の協会の選挙事務所には、必ず協会会員であれば分かる「旗」が掲揚される。だから協会会員ならば、立候補者を知らなくっても他政党の選挙事務所と間違えることは絶対ない。
あたしは看護学校以外の時間を許す限り、鳩山の低俗な車を使って一か所づつ協会の選挙事務所に赴き、選挙事務所前の道路掃除のボランティアに充てた。
そこで、協会会員達の会話に「土岐田」の名前が出てこないか熱心に聞き耳をたてた。
そんな地道な活動を繰り返していた最中、とうとう待望の言葉を耳にすることができた。
それは、国鉄の渋谷駅近くに出来た協会の選挙事務所前の道路清掃のボランティアをやっている時、突然きた。
開け放たれた窓から、中にいる協会会員達の会話が聞こえていた。そこに微かだが間違いなく「土岐田」の言葉が出てきたのだ。
その言葉を耳にしたあたしの体は打ち震え、頭の血が「スゥー」と下がり、その場にしゃがみ込んでしまった。
一緒に道路掃除をしていた鳩山があたしの異変に気付き、選挙事務所で休ませてもらえるようお願いしてくれた。
これはよい機会と、あたしもかなり調子の悪い振りを装い、強引にでも選挙事務所内で休めるよう計らってもらった。
あたしの件が落ち着くまでは選挙事務所内もざわついていたが、直ぐに平静を取り戻し、協会会員達はまた会話を始めた。
外と違って選挙事務所内は会話は聞き取りやすかった。あたしは寝た振りをして、今まで以上に集中して聞き耳を立てた。
「ここは…土岐田…推す…。」
「…岐田の娘…この前…結婚…16…」
「…鉄鋼王の中年息子…」
「…政略…莫大な党資金…」
会員達の会話は、途切れ途切れではあるが、はっきりと「土岐田」と、言っていた。
あたしはこの時に聞いた会話を絶対に忘れないように頭の中で何度も何度も反芻し続けた。
『渋谷の選挙事務所で得た情報を直ぐにでも確認したい…。』『誰か話を聞ける協会会員の大人はいないだろうか…。』ただし、安易に誰彼構わず聞きまわることは出来ない…。
あたしが企てている事は絶対にさとられるわけにはいかない。あたしの行動が絶対に「土岐田」の耳に入いるようことはあってはならい。絶対に秘密裏に事を進めなくてはならない。
目白紗千のノートによれば、目白のウソ親二人は「土岐田」のことは知っている…。面識がある…。あたしが「土岐田」という言葉を出せば、あたしが何かしようとしていることはあの二人には直ぐにバレるだろう。
協会の活動に熱心な協会会員にも聞けない…。
協会認定企業の寿丘不動産を切り盛りしている太郎さんは…。論外だ。
「土岐田」の事を知ってそれでいてあまり詮索しない大人の協会会員…。誰だ…。いったいどこにいる…。
* 天路信子の待望
1961年 昭和三十六年 初秋
『いたいた…。』
男の目の前で黄金色のスポーツカーを停めた。
「うわあ!天路室長!」
「おはようございます、目白さん。」
「おっ、おっ、おはようございます、天路室長。」
「違うでしょ。」
「…???…あっ!あっ!シンコさん。」
「はい。よろしい。」
「…。」
「じゃあ、荷物、後のトランクに入れちゃって…。」
「は…、はいはい。」
本当、この人は変わらない。
「早く…乗って乗って。じゃあ、出発!」
「ええっ…?」
面食らってる。おかしい。
「じゃあ、湯河原まで飛ばすわよ。」
「ええええええ…。」
* 目白宗一郎の機嫌
「シンコさん。シンコさん。湯河原で他の方々と合流するのですか?」
「他の方々…って?」
「えっ?えっ?慰労会の旅行の他の参加者は…?」
「ここにいるだけよ。」
「はぁ…!?」まただ。彼女はいつも僕を驚かす。
それも、鮮烈で強烈な方法で…。
でも、何故か、嫌な気はしない…。
* 天路信子の慕情
楽しい時間は本当にあっという間…。
温泉に浸り…、美味しい料理を堪能して…、温泉街で馬鹿騒ぎ…、本当に楽しい。楽し過ぎる。
このまま…、この時間が止まって欲しい…。
このまま…、ずっとこの人と一緒にいたい…。許されるなら…、このままずっと…。
* 目白宗一郎の内心
トン…。トン…。
「はい。はい。」
「天路です。」
「えっ!あっ…。はいはい。今、開けます。」
部屋の扉を開けると、浴衣姿の彼女がいた。普段の装いからは想像もつかない怪しい程に艶めかしく美しい姿だった。
そう確認した瞬時、彼女は細い腕を僕の首に絡ませ、彼女の薄桃色の唇を僕の唇に押し当てた。
仰天した。
しかし、僕は、それを拒む気にはなれなかった。
この湯河原で彼女と二人だけの楽しい時間を過ごせたが、何故か僕は物足りなさを憶えていた。
心の中のどこかで「何か」を期待していたのだろう。
僕は彼女の細い腰に腕を回し、部屋の中へといざなった。そして、恒久と思える程の熱い口づけを交わした。
僕たちは熱く焼けるような戯れを、何度も何度も繰り返した。後ろめたさも罪悪感も無く、単純にお互いを求めあった。
彼女とのこのひと時は、僕の今までの人生にとって、何事にも代えがたい貴重な瞬間となった。このまま彼女に溺れることで、僕は彼女を果てしなく深く知れると思った。
そして、何度目かの互いの体を焦がし終わった余韻に浸っている最中、彼女は僕に静かに言った「私…、二週間後に結婚します。」と…。
「…。」僕は言葉を失っていた。
「目白さん。あなたもご家庭のある身…。これは今日だけのことと…。」と、彼女は表情なく抑揚なく述べた。
「…。これが…。あなたの…。協会の…。【御礼】ってことですか…?」僕は僕の彼女への思いが独りよがりだったと思い、憤りから彼女を責める様な事を言ってしまう。
『いったい何を言っているんだ…。僕は…。』
「そう…。受け取ってもらって構いません…。」彼女が放ったこの言葉の刹那、僕の目は彼女の濡れた眼差しを捉えた。彼女の瞳に涙が滲んでいる。彼女の体が小刻みに震えている。
『彼女の言葉は嘘だ。』僕には彼女の虚勢が見えた。僕には彼女の本心が透けて見えた。
『僕【思い】と彼女の【思い】は同じだ。そこには噓はない。』と…。
彼女は悪役に徹しようとしている。
こうなったのは彼女のせいだと…。
彼女が一方的に関係を結んできたのだと…。
あくまで彼女は【御礼】に過ぎないのだと…。僕と僕の家庭を守るために…。
心にもない彼女の言葉は、僕を割り切らせるどころか、皮肉にも、より一層、彼女を愛おしく思わせる結果となった。
僕は彼女を力強く抱きしめた。
彼女は声を上げ泣いた。少女の様に泣いた。
彼女を抱きしめる僕の体に伝わる彼女の素肌の冷たさは、彼女の揺るぐことない固い決意を表していた。
『これは一度限りの逢瀬…。夢から覚めたら、いつもの二人…。』だと…。
彼女の体温の頑なまでの冷たさが、僕の彼女への想いが、永遠に独りぼっちなことを痛い程、理解させた。
僕は何事もなくそれを受け入れられるだろうか…。
* 天路信子の転生
『私は彼に何を言っているんだろう…。』
でも、これで良いんだ。
紗千さんから…。百々乃ちゃんから…。彼を奪うことは出来ない…。
さあ…。明日は…、いつも通りの二人に戻りましょ。
翌朝、互いに無言で車に乗り込んだ。
会話もない。気まずい。でも、しょうがない。
「交わった二本の線は、刹那に分かれて行くけど…。どんなに二本の線が離れて行ったとしても、交わった点は消えるわけではない…。」唐突に彼が話し出した。
「…。」
「僕は、昨日の事は忘れない。僕は、色あせて白黒の思い出になったとしても忘れない。僕は、あなたの全てを忘れない。僕は、それだけは譲れない。」
「…。…。」
『道がぼやけて…、運転しづらいじゃない…。』
『この人には、やっぱりかなわないなぁ…。』
『演じきれなかったかなぁ…。』
『長い人生のたった一夜のこと…。』
『忘れ去っていいんだよ…。全て私のわがままだから…。』
頬を伝い落ちる温かい涙が私の朧気を洗い流してくれた。私は、すっきりと「天路信子」という人間に戻れる気分になれた。
しかし、この時、二度と彼を忘れられなくなるものを得ていた事を、私は知る由もなかった。
二週間後、私はあの時の言葉通り結婚した。そして「雉川信子」という人間になった。
私の伴侶となった者は、かなりの高齢で練馬で総合病院を営み、医院長をしている。
この者とは、現協会会長の紹介で知り合うことになった。
会長選後に「天路君、ぼちぼち身を固めてはどうかね。」と、現協会会長が言ってきた。
私は協会の言葉には逆らえない。
私は、協会に恩を返さないといけない。
なぜなら、それは私が戦災孤児だから…。
この協会の施設で育ててもらったから…。
そして、この協会を体現する者としての教育を受けてきたから…。
だからこそ、私は最年少で幹部となれた。
私は本当の名前を知らない。私は協会によって『天路信子』という人間として育てられた。
私の人生は全て協会によって作られ、私はその協会に全てを捧げている。
私にとって協会の命令は全て正しいことなのだ。
年齢の離れた見知らぬ老人と結婚することも正しいことなのだ。
結婚して数カ月経った頃、私はある異変に気がついた。
『生理が来ない…。』
はじめは慣れない結婚生活の緊張から遅れているものだと思っていた。
しかし、乳が張り、嘔吐する状況が起こり、妊娠を疑った。
『もし…妊娠しているなら…あの人の子供…。』
伴侶とは寝床を一緒にすることは滅多にない。
同衾することがあったとしても按摩を頼まれるだけで交接は未だかつてない。
この高齢の伴侶にとって、私との結婚は若い住み込みの家政婦を持った様なものなのでしょう。
私は「妊娠」に心ときめいた。心から幸せを感じた。
ただ、冷静になったとたん、現実を理解した。
男女の交わりのない夫婦に子供が出来るはずがない…。のだと…。
私は焦った。どうすれば良いか分からなくなった。
そんな悩みを抱えた日々を送っている最中「医院長が倒れた。」と、言う知らせが入った。
伴侶はあっけなく自分の病院のベッドで終生を終えた。
私はこの幸運に小躍りしそうな気持ちを抑え、悲しむ未亡人を演じた。
亡き夫の初七日法要が終わった翌朝、協会から弁護士と行政書士、司法書士、会計士、税理士が病院へやって来た。
協会から、私に遺された財産の目録作成の手伝いを言い渡されてきた、と…。
私は、協会の素早い動きに『この結婚は、はじめから協会の書いたシナリオ通り…。』と、疑った。
『新規会員獲得のために病院経営への進出を狙っているのだろう…。』と、推測した私は、協会にひとつの提案をした。
「私は、亡くなった雉川医院長の子を身籠っている。」と、嘘を付き、子育てのために、雉川医院長の未亡人としての地位だけを保障して頂けるのなら、
私とお腹の子供が受け継ぐ財産の大半は協会に寄進する。雉川総合病院の経営も協会に全て委任する。
その代わり、私は「天路信子」には戻らない。協会幹部にも戻らない。一般の協会会員に格下げして欲しい。その立場で協会を支援させていただきます。と…。
雉川医院長の未亡人として子育てをさせて欲しい。と…。
後日、協会からの「概ね了承」の返事を得た。「概ね…。」の理由は協会が私に条件を出してきたからだ。
その協会の条件はひとつだけ「雉川総合病院の理事長として協会の支援を行うこと。」で、あった。
私はそれを受け入れ「雉川信子」として産まれてくるこの子を育てていく事に決めた。
昭和三十七年 七月半ば、私は男の子を産んだ。名を「勝雄」と命名した。
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