パラオ #11

* 目白宗一郎の環境変化


1961年 昭和三十六年 三月

ここに来て、この数年の繫忙が噓のように落ち着いた。

めじろ不動産は、この春に大学を卒業し建築士の資格を取得した太郎を取締役として迎え入れ、彼を中心に業務を回していくことにした。

一時期、自閉的で反抗的だった百々乃も今では元に戻り、百々乃の希望していた看護学校に無事通うこととなった。

協会の天路様との約束も守れそうだ。彼女は精力的に僕の企てを実行してくれた。そしてそれは、彼女が望んだ結果を迎えようとしてしている。

僕の方も、めじろ不動産を上級協会認定企業とし、僕自身も上級協会会員になることで、少しでも彼女の力になれるよう努めてきた。

【上級協会認定】の効果なのか、めじろ不動産は、協会会員の利用増加で幸いなことに右肩上がりの成長を続けられている。

利用者の増加に対応出来るよう従業員も増やした。事務所も手狭になったので左右の家屋を買取り、太郎の設計で事務所の増築も行った。

そして、新しく広くなった事務所には、様々な人々が集う機会が増えた。

集まる人は協会に所属していたり、協会に興味をもつ者であったり、取引先であったり、ご近所様であったりと【老若男女】【職業、年齢、性別問わず】と、いったところである。

その中に、この頃頻繫に来る若者がいた。

「日活の石原裕次郎」を真似た、裕次郎には似ても似つかない今風を気取った国産の真っ赤なスポーツカーを乗り回す大学生だ。

はじめは、協会会員の友達に付き添って来ていたが、今ではひとりでもやって来る。名を「鳩山広志」という寡黙な青年だった。

鳩山君は西の地方の出身のようで、偶に話す言葉に関西弁の抑揚が表れる。

「日本のカルチェラタン」と、言われる神田の明治大学に憧れ、通うために東京へ出てきたらしい。

実家は農家を営んでいて、東京での生活は実家からの仕送りのみで賄っていると聞いた。文京区のアパートに一人住まいをしているらしい。

先日、太郎が鳩山君に「協会に興味があるのか?」と、問うたが、のらりくらりと的を得ない返事しか返ってこなかったようだ。

人が集うようになると有象無象の輩が増えるのは詮無いこと、ただ、めじろ不動産に集う人間達の興味の大部分はあくまでも【協会】の事ある。

鳩山君は協会に微塵も関心がないのに毎日様に来る。彼の目的が今一つ分からない。

時には手土産として関西地方の地酒を持って来る時もある。そんな時は鳩山君は集まった人々に惜しげもなく地酒を振舞う。鳩山君本人もかなりいける口だ。

鳩山君は酒が入るといつもの寡黙な青年ではなくなり、陽気で子供っぽい人格になる。その勢いのまま場所を変え、僕や集まった人達と楽しく麻雀を囲んだりもする。

僕にとって、今のめじろ不動産で過ごす日々は、もう一つの疑似家族が出来た様な魔訶不思議な時間となっていた。

出来の良い長男(太郎)と出来の悪い次男(鳩山)と、いうところだろうか…。

しかし暫くすると、この次男(鳩山)の言動・行動をつぶさに観察していると、彼がここに毎日の様に来る理由がつまびらかになった。

彼の興味の的は「百々乃」だと。


* お隣の鈴木の印象


「おはようございます。」

「あら、百々乃ちゃん。おはよう。もう学校?」

「はい。そうです。」

「気をつけて、行ってらっしゃい。」

「はい、行ってきます。」

本当、あの娘、綺麗になったわねぇ…。

小さな時から可愛かったけど、高校生にもなると…こんなにも化けるものなのねぇ…。

身長も高いし…目鼻立ちもいいし…残念なのは色黒のとこだけねぇ…。

紗千さんに全然似てないのに…色黒だけ似ちゃったみたいねぇ…。

確か…看護婦に成るために広尾まで通っているのよねぇ…。

しっかりしたいい娘よねぇ…。


* 目白百々乃の計画


この春からあたしの念願だった看護学校へ通っている。

進路の希望を目白のウソ親に伝えた時、目白紗千はあからさまに嫌な顔をした。

目白紗千は自身が看護婦をしていたことをあたしには話していない。

あたしが看護学校を選んだ偶然を「不安」で「不快」に感じたのだろう。

安心して、これは偶然ではなく必然だから…。

じっくり考えた。どうすれば力のない女が腕力のある男をねじ伏せられるのか…殺せるのか…。

答えは「薬」と出た。

眠らせる薬…麻痺させる薬…死に至らしめる薬…これらに楽に近づけるのは【医療関係者】だけ…。

だから、あたしは看護婦になることにした。

どんな形をとったとしても必ずや復讐する。あたしという汚物をこの世に生み出した事を後悔させてやる。


* 太郎の憂慮


この春から高校生になった百々乃ちゃんは以前にも増して輝いている。ただ、ぼくに対してだけは相変わらず距離を置いているようだ。

百々乃ちゃんは数年前の正月におかしな行動をとったことがあった。でも、それも暫くして元に戻った。ただ…、ぼくに対してだけは戻らなかった。

ぼくは何か、百々乃ちゃんの気に障ることをしたのだろうか…。思い当たる節が見当たらない…。心当たりがない…。

どうすればぼく達は以前の様な関係に戻れるのだろう…。


* 天路信子の決意


1961年 昭和三十六年 夏

昭和三十四年の1月3日のあの日、私は彼の話を信じ、協会の賛成も無いままに今日まで彼の言う通りに実行してきた。

そして、彼の予言通りの成果を得られた。

うちの室長は、昭和三十五年には協会理事に、そして今年、協会会長に就任した。

私は会長選の一番の功労者とされ、空席になった室長の座に最年少で座ることとなった。

それもこれも、全ては彼の戦略のお陰だ。

あの日以来、私は彼に会うこともなく、現会長の期待に応えるためだけにこの二年半邁進してきた。

そして、この二年半、物足りない日々を繰り返してきた。それもこれで終わり。

二年半前のあの日から、私は彼に魅入られてしまった…。

彼に会いに行こう。私が私で居れる彼の元へ…。


* 目白百々乃の行動案


看護学校に通いながら時間の許す限り「土岐田」について調べるようにしてきた。

いったい何者なのか…?どこに住んでるのか…?家族構成は…?何でもいいから知りたかった。

けど、高校生の行動範囲なんてたかが知れている。ここまで何の情報もない。埒が明かない。

めじろ不動産にたむろする者の中に目白宗一郎が可愛がっている自動車を持ってる大学生がいたはず…。

そいつにすり寄って自動車を使えるようにしたい。

太郎さんは他人行儀でよそよそしくしているあたしをまだ気にかけてくれている。

事あるごとに話しかけてくれる。すごく申し訳ない…。

『どこの馬の骨が産んだかも分からない汚れた出自の女なんて太郎さんには不似合いだよ…。』

あの格好だけの田舎者の大学生に近づけば、太郎さんも尻軽女に映るあたしを流石に気にもしなくなると思う。

あたしみたいな洗ってもきれいにならない汚らわしい女には、あの程度の軽薄軟派男がお似合いだ。

あたしはこの復讐を成し遂げるためならば、あたしの全てを使う…。

この身が真っ黒に汚れようと、この心がぐちゃぐちゃに腐ろうと…。

でも、あたしが本当に愛した人だけは絶対に汚させない。

あたしは太郎さんのお嫁さんになることを心の底から夢見た。そして、なれると疑わなかった。

でも、あたしの夢は一瞬で打ち砕かれた。…けどね、太郎お兄ちゃんには…絶対に幸せになってもらいたいの…。きれいな女性と一緒になってもらいたいの…。

それだけが…。それだけが、唯一の…。今のあたしの夢だから…。


* 天路信子の恋慕


お気に入りの英国製スポーツカーに乗って約束通りの夕刻に彼の会社を訪れた。

彼の不動産会社は、両隣の土地を買取って増築されていた。

会社の入口の前にイエローのスポーツカーを停めると、あっという間に彼が表に出てきた。

「ご無沙汰しております。天路室長。お元気でしたか。」

そこらじゅうに聞こえそうな大声で、私は思わず吹き出しそうになる。

「お久しぶりでございます。目白さん。お元気そうで何よりです。」

「ありがとうございます。毎度毎度、こんなむさ苦しいところへ…。」

まただ。昔と同じ台詞に思わず笑いが込み上げた。

「目白さん。中に入らせてもらっていいかしら?」

「あっ…ああ…。はい。どうぞ。どうぞ。」

「アハハハ…。」この人は全然変わらない。

あぁ…駄目だ。この人の前では私は私のままでで居られる…。彼にどんどん惹かれていく…。


めじろ不動産の事務所は倍以上の広さになっていた。

数台の事務机に数名の若い男性、女性が着座している。

「お邪魔します。」

「いらっしゃいませ。」青い元気な声が一斉に返ってくる。

「天路室長。ここは騒がしいから、二階の応接室に参りましょう。」

「ええ、わかりました。」

『二階も出来たのね…。結構儲かってるんだ…。』

二階の応接室は六畳程の床板張りの部屋に、ローテーブルとソファーが置かれているだけだった。

しかし、一見、何も無いように見えて、繊細で綿密に計算されているのだろう、とても居心地が良い。

その居心地を暫く楽しんでいるとドアがノックされた。

「失礼します。」と、言ってお茶を持ったセーラー服姿の女性が入ってきた。

その女性は、はち切れんばかりの若さ以外に、長い黒髪で背が高く、手足も長く、小さな顔に整った目鼻立ちという、完璧で圧倒的な美しさを兼ね備えていた。

「ありがとう。娘の百々乃です。」

「はじめまして、目白百々乃です。」

「こちらは協会の室長の天路様。」

「こちらこそ、はじめまして。天路です。」

度起こした眩しさを放つ少女は形式的な挨拶を済ますと、そそくさと退室していった。

私は、彼女の桁外れな美しさにしばし、お茶をすするしか出来なかった。

それに、初めて彼の現実的な生活の一片を垣間見てしましたことに対する心の動揺も大きかった。

私は呼吸を整え「目白さんのご助力のお陰で、私どもの室長が協会会長に選出されました。その節は、誠にありがとうございました。」

「とんでもない。全ては天路様以下、皆様のお働きの結果じゃないですか。」

様…か。今はしょうがないか…。

「貴社、めじろ不動産様も協会の認定企業としてご協力頂いて…今のランクは「赤」なのですね。」

「はい。やっとお役に立てるようになれました。」

相変わらず謙虚な姿勢…。でも、私は知っている彼の本性を…。

認定企業のランクは上から「秀」「優」「良」三段階に分かれている。

三段階のランクにはそれぞれ色が設定された紋章があり、認定企業の協会への貢献度合いによって付与される。

「秀」は赤「優」は黃「良」は青と…。

彼のめじろ不動産は赤の紋章を入口近くに掲げていた。

協会への多大な【支援金】を毎月支払わなければ、「秀」の紋章は獲得出来ない。

それに、彼のシャツの衿には協会の「金」のバッチが輝いている。

十段階に分かれている協会会員ランクの最上位の証だ。

これも、月々の協賛会員の会費以外に、多大な個人【支援金】を毎月支払っているということである。

「赤」の紋章と「金」のバッチ…。このふたつを得る事は一筋縄ではいかない。

彼の並々ならぬ努力と「僕に任せて…。」と、言った実現力に心底敬服させられた。

「目白さんは、男子部会にも熱心に足を運んで頂いているようで、ありがとうございます。」

「いやぁ…お恥ずかしい、お恥ずかしい。今のめじろ不動産は従甥の太郎が切り盛りしておりまして…、僕には時間が出来たものですから…。」

嘘つき。彼は私との約束を叶えるために従甥にめじろ不動を任せたのだ。

「じゃあ…目白さんはしばらくは、お時間に余裕がおありかしら…?」

「…えっ。…ん。…そう、…そうですね。…あると思います。」

「それはよかったわ。本日、参りましたのも、会長から「お世話になった方々へ何か御礼をしなさい。」って怒られちゃったもので…。」

「そうだったんですね…。」

「先ずは、これ…。会長から。」

私は会長が和紙に墨書きしたものを彼に手渡した。

「ん…。【寿丘】…?」

「会長がお書きになられました文字です。会社名を「めじろ不動産から寿丘不動産へ変更して下さい。」と、申しておりました。」

「…えっ?」彼は目を白黒させて驚いていた。

「こちらの社名をお使い頂ければ「長きにわたっての貴社の繁栄を間違いなくお約束いたします。」との事でした。」

「成程成程…協会認定企業だけではなく、協会新会長のお墨付きってことですね。分かりました。早急に社名変更をいたします。」

「ご理解、ありがとうございます。それと…会長選の慰労も兼ねて、温泉にでもお誘いしようかと思いまして…。」

「慰労会で温泉ですか…。いいかもしれませんね。」

「よかった。まだ日取りは決めてないのですが、たぶん初秋頃になると思います。」

「秋か…。いいですね。是非是非、参加させて下さい。」

「ありがとうございます。是非、ご参加ください。」


* 目白百々乃の推測


ア・マ・ジ…。目白紗千のノートにあった名前…。

確か…、あの会場…。目白紗千が表彰されたパーティーを催した…。あの協会の偉い人…。

あの会場…、か…。

「土岐田」の事を知ってるかもしれない…。


* 太郎の決別


ここ最近、百々乃ちゃんは鳩山のスポーツカーに乗って出かけることが多くなった。

そういうことだったんだね。よく分かったよ、百々乃ちゃん。

カッコいいスポーツカーを颯爽と走らせるお洒落な奴が良かったんだね。

全然、分かってなかったよ。ぼくは…。

勉強しか取り柄の無いぼくとは正反対のタイプが好みだったんだね。

だとすると、ぼくに付きまとわれるのは嫌だっただろうなぁ…。苦痛だっただろうね…。

ごめんね。百々乃ちゃん。

今まで迷惑かけて、もう付きまとわないから。ごめんね。

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