パラオ #06

* 目白宗一郎の飛躍


1950年 昭和二十五年 五月

初めて家を売ってから一年程が過ぎた。今もなお面白い様に家は売れる。

メグロ号を走らせ、東京中の「家を手放したい。」と、言う家主の元へ馳せ参じ、家を可能な限り安く買う。

そして、メグロ号を走らせ、東京中の「家が欲しい。」と、切望している人々の元へ伺い、仕入れた家を可能な限り高く売る。

とても素朴な商売だ。

売値から買値を差っ引いたものが利鞘(儲け)。

それも今は過度な売り手市場。物の値段は日々上がっていく。仕入れた家は勝手に価格が上がっていく。僕の手元には放っておいても莫大な利鞘が残る。

その上、義叔父の遺してくれたメグロ号という「足」のお陰で、同業他社よりも迅速に、適時に、仕入・販売が行えている。まさに「時は金なり。」だ。

遅々として進まぬ戦後の復興。G H Qや日本政府の行う政策による混乱。慢性的な物資不足。これらに乗じて、人々の欲望が高いうちに売れるだけ売ってやる。


そんな中、近頃、何処で耳にしたのか、「家の売買」を望む人々が僕の噂を聞きつけ、我が家にまで押しかけて来るようになった。

今のところ「家の売買」は、僕の個人事業として現金取引のみで行っている。会社も無ければ事務所も無い。信用取引もしない。

売買の機会損失を起こさないよう、紗千には、家事と百々乃の世話の傍ら、僕の留守の間の来訪者の対応をお願いしている。

「猫の手も借りたい。」とは、よく言ったものだ。

そろそろ、この商売の次の段階を意識する必要がありそうだ。


* 目白紗千の接触


私は、ガリ版新聞に「土岐田」の名前を見つけて以来、どうにか、新聞をくれたお隣の主婦に近づく術を模索してきた。

そのために、先ずは、気づかれない様に、慎重にお隣の身辺調査を行った。…と、言っても、監視するぐらいしか術は持ってない。

直ぐに分かったのは、名前が「鈴木」。大体、規則正しい生活を送っている。年齢は私よりも二回り程、上。旦那さんは何処かに勤めている。

ひと月の内に、何度か出掛け、何度か女性の来客がある。出掛ける日も来客のある日も予め決まっているみたいだ。

この程度の事しか分らぬまま五か月程経った八月十五日、喪服姿で連れ立つ鈴木夫妻に遭遇した。

私は『この機会しかない…。』と、直感し、思い切って声をかけてみた。

「こんにちは。」

「あら。こんにちは。」

「どちらかでご不幸がございましたか。」

「いいえ。私共の息子の供養へ向かうところでございます。」

「それは失礼いたしました。お悔やみ申し上げます。」

「ありがとうございます。先の戦争で没しまして…。」

「そうでしたか。お国のために本当にありがとうございました。」

「お言葉、ありがとうございます。それでは、また…。」

「お呼び止めして、申し訳ございませんでした。お気を付けて…。」

短い会話であったが、これが契機となり、以降、鈴木とは、挨拶を交わし、世間話ができるまでになれた。


私は、世間話が出来る様になった鈴木との会話の中にしばしば「子育ての不安」を織り交ぜてみた。そして、その度に、先輩主婦である鈴木の意見を聞かせてもらった。

ご子息を戦争で亡くしている鈴木にとって、二回り程下の私からの子育ての相談は、娘の子育てを手伝う祖母の様な感覚かもしれない。とても楽しそうだ。

本当の事を言えば、百々乃は全く手の掛からない子供だ。寧ろ、余りにも手が掛からないので、こっちが心配する程…。


ある日、私は鈴木との立ち話の最中に「英霊となられたご子息をお育てになった子育て方法を教えてください。」と、芝居がかった台詞を吐いて頭を下げてみた。

「いいわよ。」と、鈴木は満面の笑みで二つ返事で引き受けてくれた。

それから私は毎日の様に鈴木の家へ押しかけた。

子育ての話が無くても「なんだかんだ。」と、理由をつけて鈴木の家へ押しかけた。

鈴木はそれをあまり嫌に思ってないようだ。

寧ろ、鈴木は毎日茶菓子を用意して笑顔で私を迎え入れてくれる。

この鈴木の歓待は少し不気味な感じもする。しかし「土岐田」につながる糸は、この女のくれた新聞しかない。これがあの「土岐田」なのか、ほんの少しの欠片でも見つけられるまでは毎日押しかけてやる。

私達家族の平穏のためにも今の「土岐田」を知る必要がある。

何でもいいからあいつ情報が欲しい。


* 目白宗一郎の願望


この頃、紗千が百々乃を伴って家を空けることが多くなった。

はじめての百々乃の学童期を迎える子育てからか、元来、積極的に他人と関わりを持とうとはしない紗千の「この」変化に僕は驚きを隠せない。

最初は、お隣の鈴木宅で、奥さんに子育ての相談をしていたようだ。

それが、近頃では、近所の奥様方までが、持ち回りで誰かの家に集まってペチャクチャやっているようだ。

学童期の子育てには、集団生活への適応や知識や技能の習得が求められるようになる。

百々乃も来年の四月からは小学校に通う。百々乃の健やかな成長のために、子育て先輩の主婦の方々に情操教育や集団や社会の決め事を教わっているのだろう。


紗千は家を空けるようになっても家事を疎かにすることはない。何も心配する事はないのだが…。

ただ、留守がちになると、僕への来訪者への対応がどうしても疎かになってしまう。

出来るだけ機会損失は避けたい。今はどんな好機も逃したくはない。

本当に「猫の手も借りたい。」状況になってきたので、叔母の息子夫婦の子供「太郎」を丁稚代りに雇うことにした。

太郎は百々乃より七つ歳上の十二歳。頭の良い子だ。小遣い稼ぎの留守番ぐらいは難なくできる。

時と共に僕の回りの色々な事が変化していっている。これからも、今迄通りでは間に合わない事も多々出てくるだろう。


* 目白百々乃の記憶


お母さんと隣のおばちゃん家から帰ると、お父さんが知らないお兄ちゃんといた。

「ただいま。」 「たらいま…。」

「おかえり。」

「おかえりなさい。お邪魔してます。」

「お邪魔だなんて。太郎ちゃんは大人びたこと言うわね。宗一郎さんが呼び出したんでしょ。何もお邪魔じゃないわよ。」

あたしはお母さんの後ろでみんなのやり取りを見てた。

「百々乃、百々乃、こっちおいで。」

「お父さん、なによ…。」

「太郎、太郎、これが僕の娘の百々乃だ。はじめてだよな。」

「はじめまして。」

「百々乃、百々乃、いとこの太郎くんだ。…って、いとこ…まだ、分からないか…。アハハ。」

「…。」…いとこ…なんだろ…。

「じゃあ…。百々乃の…お兄ちゃん。分かるか?」

「うん。うん。」あたしのお兄ちゃんなの…。

「じゃあ、そういうことで。アハハ。」

「宗一郎さん、駄目ですよ噓教えちゃあ。あとで、教えときますから…。百々乃、太郎お兄ちゃんにご挨拶なさい。」

「目白…百々乃…。五歳…。」

「太郎です。よろしく、百々乃ちゃん。」

あたしは急にお手てを洗いたくなった。


* 太郎の記憶


なんだこのお人形みたいな女の子は…。

宗一郎叔父さんの娘だって…信じられない…。

叔父さんにも叔母さんにも全然似てないじゃないか…。

叔父さん叔母さんに子供がいることは聞いていたけど…。

びっくりした。


* 目白紗千の潜入


1951年 昭和二十六年 一月

鈴木が「今年から本格的な新聞を作るようになるの。紗千さんも是非参加してくださらない?」と聞いてきた。

これは好都合。「土岐田」の事を聞いても勘繰られない理由が出来た。

鈴木に近づいて約半年、やっとあの「新聞」の話が出た。

鈴木は、あの「新聞」をひと月に二回程、隣近所の主婦達に配っている。

新聞も当初のガリ版から普通の印刷物へ進化していた。項数も増えていた。ただ、私は「土岐田」の名前を探すだけで内容は全く把握してない。

「ところで…新聞は鈴木さんが作っているの?」私は問うた。

「そんな訳ありませんわ。あれは私共が入会している協会が発行してますのよ。」と、返事が返ってきた。

「入会している協会…。」…胡散臭い。だが「虎穴に入らずんば虎児を獲ず。」の例えもある。私はふたつ返事で了承した。

鈴木は「この週末に新聞を発行する人達との顔合わせがある。」と、誘ってきた。私は躊躇なくこれも承知した。


約束の週末、朝八時、私は鈴木と共に街道沿いで迎えの現われるのを待っていた。

すると、静かな朝にも関わらず、地を揺らすような爆音と共に黒く地を這う様な物体が近づてきた。そして、私達の前で止まった。

それは真っ黒で艶々した大きな車だった。黒以外の部分は銀の凝った飾りがあしらわれている。車の正面はまるで大きな魚が口を開けている様に思えた。

私は、故郷でもパラオでもこの東京でさえも見たことのない立派な車に度肝を抜かれた。

鈴木は車の後ろ側にある扉を開けて私に乗り込むように催促した。革張りの座席は信じられない程柔らかい。私がそれに仰天している間に、車は滑るように走り出していた。

外の騒音が噓の様な静寂漂う車内で三〜四十分程心地よく揺られた後、車はゆっくりと速度を落とし、ひと際立派な建物の前で止まった。

私の頭の中に「終戦から五~六年程しか経過していないのに、こんな真新しい建物をどうやって建てたのだろう…。」と、いう考えが過る。

車を降り、私が焼け野原にそびえ立つ建物を見上げていると「こちらからどうぞ。」と、建物の前に立っていた女性に促された。

その女性は、仕立ての良さそうな腰が細く括れた上品なコートを着てた。まるで、「ソレイユ」の挿絵から抜け出してきた様な人だった。

茶色がかった艶のある髪を後ろで結い上げ、透ける様に白く長い首を露わにしている。背が高く、若く、とても美しい女性だった。

私は着の身着のままで来てしまったことが急に恥ずかしくなった。

「御機嫌よう、鈴木様。お忙しい最中、誠にありがとうございます。」清らかな声でだ。

「御機嫌よう、天路様。お久しぶりでございます。本日は宜しくお願い致します。」鈴木とは顔見知りのようだ。

「鈴木様、こちらのお方は?この度が初めてでしょうか。」と、私を値踏みする様に見ながら問うてきた。

「はい。私宅のお隣にお住まいの目白様でございます。」

「そうでいらっしゃいましたか。はじめまして。お忙しい中、ありがとうございます。天路と申します。」私に向かい綺麗に結い上げられた頭を深く下げる。

「はじめまして。目白でございます。」

「さあ、こちらでは落ち着きませんので、どうぞ中の方へ。」と、作り笑顔で案内される。

「ありがとうございます。」言われるがまま私達は建物の中へ進んだ。しかし、何とは分からないが、何故か釈然としない思いがあった。


階段を幾つか昇った所に今度は、見るからに仕立ての良い背広姿の男が立っていた。

若く背が高く東宝のニューフェイスの様な雰囲気があった。

「あっ。おはようございます、鈴木さん。いつもありがとうございます。」えらく馴れ馴れしい…。玄関に居た女とはえらく違う…。

「こちらこそ、いつもお世話になっております。」

「今日は、この部屋が会場となります。いつも通り、お願い致します。」なんか調子が狂う…。

「はい。承知いたしました。では、宜しくお願いします。」と、青年に一礼して鈴木と私は部屋ヘ入った。


映画館にある様な両開きの扉を開き歩みを進めると、部屋に入った瞬間「ギョッ」とした。そこは思いもよらぬ程の広い空間だった。

部屋には、隅に大理石の丸柱。天井はとても高く白漆喰で模様が装飾されている。床には数えきれない程の真新しい畳が敷かれ、い草の匂いが部屋中に充満している。

全ての窓には薄い藤色のカーテンが引かれ日光を遮断してる。まだ午前中だというのに薄暗く、そして薄ら寒い。ここだけ空気が違うみたい。

その広い部屋の中央に四十枚程の分厚い座布団が車座に敷かれてる。そして、幾つかの座布団には幾人かの人が座ってた。

薄暗い中、目を凝らしよく見ると、座っているのは女性ばかり。中には子連れの女性もいる。

私も鈴木に勧められた座布団に座った。

何故か鈴木は私の横には座らないみたい。何処かに行ってしまった。

気がつくと、座布団はひとつを残して全て埋まってしまってた。

座布団に座っている女性達は、そわそわと落ち着かない様子。傍に気楽に話せる相手もいない様。もしかすると、わざと顔見知りを近くに配置しないようにしてるのかもしれない。

『いったい、鈴木はどこにいるのだろう。』と、考えた矢先、扉が開き、しじまの中、その鈴木を先頭に数名の人間が一列となって部屋へ入って来た。

花道から登場する歌舞伎役者の如く、彼らの歩は悠然としていて、まるで私達を魅了しようとしてるかのように感じた。

具に見ていくと、一列の丁度真ん中に位置にいる者だけが男性だった。

その男性がひとつ空いている座布団の前に着くと全員の歩みは止まった。

入ってきた全員が車座の方を向くと、男性がゆるりと座布団に腰をおろした。そして、両脇の女性達も畳に直に正座した。何か…演劇の決められた動作を見ているように思えた。

おもむろに男性が話始める。

私は男性と真正面に対座する車座の一番遠い位置だったので、ぼそぼそと喋る男性の声は私にはよく聞こえない。

よく目を凝らすと男性の左隣は先程建物の入り口で会った「天路」と、名乗った女性だった。

コートを脱ぎ捨てた彼女は、女性らしい身体の線に沿ったぴったりとした薄桃色の上着とぴったりとした同色の丈の短いスカートといういで立ちだった。

私には彼女が戦勝国から来た人の様に見えた。


男性の話が途切れると、両脇の女達が笑顔で大きな相槌を打つ。時には手が千切れんばかりの拍手もする。

何を話しているのかよく聞き取れない私からは、その光景が無声映画の一場面の様で滑稽に見えた。

先程まで落ち着かない雰囲気だった車座に座る女達も男性の話に熱心に耳を傾けてた。ある者は目を閉じて…、ある者は涙を流して…。『何故、泣いてるのだろう…。』

私に唯一聞き取れたのは、男性の口から何度となく出てくる「婦人部会」という単語だけだった。

『婦人部会…だから女ばかりなのか…。』と、私はやっとひとつ得心出来た。


小一時間後、男性の話が終わり散会となった。男性の話がよく聞き取れなかった私は帰りの道すがら鈴木に内容を聞いた。

鈴木からの話を要約すると「今年発足させた婦人部会を中心として新聞作りを行う。」

「婦人部会は十八歳以上の協会会員の女性で構成する。【幸福と平和を願う】これを広宣流布するための新聞作りである。」と、言う様な内容であった。

『婦人部会…?耳触りの良い言葉…?』私にとっては、そんなことはどうでもいい。私にとって大事なのは家族が平穏無事で過ごせることだけ。

ガリ版新聞にあった「土岐田」が分かるのならなんだってやってやる。


* 目白宗一郎の懐疑


紗千は百々乃を連だってお隣りの鈴木の奥さんと頻繁に出掛けるようになった。

「ご近所のご婦人達で新聞を作っているのよ。」と、紗千は言っていた。

「変わった活動だね。」と、言うと。

「なんか…幸福と平和を願うためなんだって…。」と、曖昧な返事が返ってきた。

少々、思想じみた活動のように聞こえたので「共産主義とかの活動じゃないよね。」と、かまをかけた。

「共産主義…?うんんん…と。大昔の偉いお坊さんの教えを…今日的に伝える活動みたいよ。よくは分からないけど…。」と、返してきた。

僕は胸を撫でおろした。

どうにかこうにか、ここまで着て、せっかくここまで頑張った事が無にならずにすむ。

「どんなご婦人達が参加してるんだい?」と、少々、探りを入れてみた。

「様々だけど…一応、十八歳以上からしか参加出来ないみたい。主婦が多いわ。」

主婦か…旦那がいる手前、主婦単独での共産主義活動参加は考えづらい。関係はなさそうだ。

「お願いだから、変な事がないようにしてくれよ。こっちはこれからが大事な時なんだから。」と、念を押した。

紗千は笑顔で「分かってます。」と、僕に応えた。


* 目白紗千の躍起


宗一郎さんには知らないふりしたけど、あの集まりが尋常ではない集まりなのは間違いない。

先頃、発行してもいない新聞の「有料購読会員を募れ」と、いう指示が協会本部から婦人部会に下った。

見本すらも出来ていない新聞の有料購読会員になる人なんて居るはずがない。なんて不条理な指示…。

なのに、協会本部は、各婦人部会に勧誘の割り当てを行ない。各々の婦人部会は、婦人会員個々に胡散臭い勧誘の割り当てを行なう。頓珍漢な話。

別に勧誘の割り当てを達成出来なくても婦人会員個人には何の損失もない。でも、不思議なことに皆、目の色が変わった様に勧誘に勤しんだ。

中にはかなり強引な勧誘もあったみたいで、協会の悪い噂が立つ地区も出る有り様…。何が【幸福と平和を願う】よ。

お隣の鈴木が「頑張った人には協会本部から何らかの形で報奨がある。」と、言ってた。協会本部が大勢いる末端の会員にまで報奨を出す程の協会挙げての行事なんだったら少々理不尽な事でも頑張る意味はありそう。

少しでも私の立場が協会内で良くなれば、ガリ版新聞の「土岐田」の事を知る機会に恵まれる可能性は高い。

家族が安心して過ごせるようになるなら「何でも、やってやる。」


* 目白百々乃という女の子


あたし、四月から小学一年生になるんだ。

よく分からない「学校」って、とこ行くんだ。

「学校」で、お勉強するの。

太郎お兄ちゃんが「勉強してね。」って、鉛筆をたくさんくれた。

ありがと。太郎お兄ちゃん。

鉛筆、洗わなくっちゃ…。

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