パラオ #03

* 目白紗千の多謝


1946年 昭和二十一年 六月 日本 信州の村

パラオから引き揚げてきて二ヶ月の時間が過ぎた。私にとっては、四年ぶりの故郷での生活となる。

故郷の村は、戦火を逃れ、私が出て行った四年前と何も変わりなく見えた。

この二か月の間に田畑の緑も鮮やかになり、村全体が緑で燃ゆるようであった。焼け野原となった東京からは想像もつかない光景だろう。


二か月前、何の前触れもなく引き揚げてきた私達家族に対し、故郷の村の人々は面を食らっていたが、表面上は歓待してくれた。

私の過去の印象から考えれば、受け入れられない事も覚悟をしていたが、拒否される事もなく受け入れてもらえた事は、私の気持ちをとても軽くした。


私の両親や兄姉達は、私が夫と子供を連れ帰った事に、大いに戸惑っていた。

彼らの中では、チビで瘦せっぽちで色黒の末娘が結婚出来た事すら信じられないほどの出来事なのに、子供まで授かっている現実は、奇跡としか思いようがないだろう。

私がこの地を出る原因となった兄姉達でさえ、異国人を見るような面持ちで遠巻きから遠慮がちに私達を観察するのがやっとな状況は滑稽としか言いようがなかった。

『なんだ…こんな人達を私は恐れていたのか…。』と、思った瞬間、狭い世界しか知らなかった己の無知さ加減に笑いがこみ上げた。


ただ、彼らも落ち着きを取り戻すと、私達家族の為の住む家や当座の衣食をせっせと用意してくれた。

私は私の両親、兄姉達に生まれて初めて感謝した。

暫く、遠巻きに見ていた姉達が、私が百々乃に脱脂粉乳を与えているのに気がついて、「私達が授乳をしてやる。」と、申し出てくれた。

百々乃は私の子供ではない。私は出産の経験もない。もう子供を産む事も出来ない。故に、母乳が出るはずもない。

そんな事情を知らない姉達は、私の生まれ持っての貧弱な体では母乳が出ないのだろうと勘違いし気遣ってくれたみたいだ。

近所へ嫁いだ姉達は、農家の嫁らしく多産で、まだ乳飲み子も抱えている。

一人ぐらい授乳が増えても問題ないと言うことなのだろう。

私をいじめていた頃の姉達とはえらい変わりようだ。四年という時間は短いようで人を変える程に長かった事に気づかされた。

百々乃は、姉達が授乳してくれるようになり、日に日に活気づき、元気になっている様に見えた。赤ん坊にはやはり母乳が必要なのだろう。


姉達からの育児への協力で、私には自由になる時間が出来た。

それにより、目白宗一郎というよく分からない男と二人きりで与えられた住処にいることに息苦しさを覚えるようになった。

そこで「空いた時間で働きに出たい。」と、目白宗一郎に相談してみたところ「いいですよ。いいですよ。」と、返事をもらい、資格を活かして村の診療所で看護婦をすることにした。

目白宗一郎は東京産まれの生粋の都会っ子。なので、農家の仕事は何ひとつもできない。

村の人々からは次第に「優男」と、陰口言われるようになっていた。

目白宗一郎の日常は、パラオから持ち帰った本を読んでいるか、村を当てなく散歩しているか、姉達と一緒に百々乃の世話をしているか…と、いったところである。

都会では、目白宗一郎の行動は然程、珍しい事ではないのだろうが…片田舎の農村では奇異に映るのは間違いない。

ここでは、戦争で焼け野原となった東京とは違い衣食住には困らない。

今のところは、両親や兄姉達も、引き揚げ者の私達家族に対して同情的なので、目白宗一郎の日がなの生活も多目に見てくれていると思う。

しかし、長い目で見れば、そんな悠長な生活は、農家を営む者からしてみれば到底、理解出来ないだろう。故に、私達は長くここには居られないだろう。

その日ためにも、私が働きに出て、蓄えることのできるものは蓄えておく必要がある。


* 目白宗一郎の秘匿


パラオから引き揚げて紗千の故郷の家族に世話になって二か月程が過ぎた。

戦火を免れたここでは、日々の生活には全く困らない。大空襲を受け焼け野原となった東京では考えられないことだろう。

それに、都会の人間とは違い、ここの人達は、初めて会う僕や百々乃に熱心に世話を焼いてくれる。

母乳の出ない紗千に代わり、彼女の姉達が百々乃に母乳を与えてくれている。農作業や家事の合間を縫っては百々乃の世話もしてくれる。

おかげで時間の出来た紗千は、パラオで退職して以来の看護婦の仕事に復帰した。

ここまでは、引き揚げ者の僕達にとっては出来過ぎの日常である。


僕は、紗千の家族や近隣の住民に勘繰られないように散歩に出るふりをして、日に一度、電報局に足を運んでいた。

電報局への用向きは、僕の東京の親族の安否の確認に託つけて、本当のところは「共産主義者狩り」の状況を知ることにあった。

僕には人に知られてはいけない秘密がある。僕は嘗て、共産主義者の集まりに参加していた。誰かに知られれば即、刑務所送りである。

絶対に捕まるわけにはいかない。僕には守るべきものがある。


電報局に通い始めた頃は、昔住んでいた住所近辺に無作為に電報を送ってみた。しかし、なんの返信もなかった。

最近、やっと幼馴染から安否の返信を受け取ったばかりである。

分かってはいた事ではあるが、彼の話では東京は何処も彼処も焼け野原だという。

そんな状況の中から、やっと徐々にではあるが生き残った人々で復興がはじまっているところだという。


電報を読む目から知らず知らず涙が零れていた…自分達が恵まれていることを再認識させられた。


* 目白紗千の辛酸


1647年 昭和二十二年 春 信州 紗千の故郷

目白宗一郎、百々乃と共にパラオより引き揚げてきてから一年程が経過した。

この一年は、両親、兄姉達にも、冷静さ取り戻すには充分な時間となった。

兄達は、日がな一日何もしないで過ごしている目白宗一郎の事を訝しげに思い出している。

姉達は、一歳を超え成長してきた百々乃が、私にも、目白宗一郎にも似ていないことを詮索し始めている。

私は昔のように兄姉を疑う様になっていた。

『色々と噂される前にここから出よう。

もう昔のように、陰口を叩かれて生きるのはうんざりだ。』

それに、私にとって、死んでも許すことが出来ない土岐田を見つけ出すことは、この地に居てはできない。

ここではお金を使う事も使う場所もない。おかげである程度の蓄えもできた。

そろそろここを離れる時期かも知れない。

後は、目白宗一郎にどう切り出すべきか…。


* 目白宗一郎の決心


この一年の間、ここの人々に勘繰られぬように可能な限り東京の伝手と電報のやり取りをし情報を集めてきた。

東京では、GHQの統制の元、細かな規制や緩和を幾度も繰り返しながら、日本という国の国としての機能を少しづつ取り戻しているようだ。

それに伴い、東京の人々が日常を取り戻す速度も上がってきていると聞いた。

ただ、本年二月、日本共産党主導のゼネストに対し、GHQは中止命令を出したという情報も得た。共産主義者への警戒は変わらず続いているようだ。

しかし…『そろそろここを離れよう…。』

「郷に入っては郷に従え」の教えを忠実に守り、この地に僕達家族の居を構えれば、間違いなく安心安寧な生活を送れるだろう。

ただ、ここは狭すぎる。

この先の人生の全てを演じ生きることは、僕にも僕達家族にも不可能なこと。ぼろが出て、あらぬ噂が立つことは、この集落では命取りにつながる。

僕や僕達家族の様な異質な存在は、大衆の中に埋もれることこそが隠れる事になる。

「木を隠すなら森へ」の例え通りである。

百々乃をごく普通に育てるには、僕が逃げ惑う必要が無くなるには、僕達家族が偽らず人生を送るには、大衆の中に埋もれることが最善だ。

「東京に帰ろう。紗千に伝えよう。」


* 目白紗千の成長


目白宗一郎が、偶然にも「東京へ帰郷したい。」と、話し始めた。

「可能な限り身内の捜索をしたい。」とのことだった。

私にはもとより反対する理由などない。

両手を挙げて賛成だ。出来るだけ早くここから出ていきたい。

その意志を目白宗一郎に伝えると、目白宗一郎は、早々に私の両親に話しに行った。

両親は目白宗一郎の帰郷理由を聞いて承知するほかなかった。

両親共に、百々乃と離れる事には殊更、寂しがっていた。

兄姉達にも子供は沢山いる。しかし、百々乃の可愛さはずば抜けていた。

村落に住む人々も一歳を超えてからの百々乃の可愛いさには舌を巻いていた。

私の産んだ子供ではないが、なぜが鼻の高い思いをした。

パラオのあの白いワンピースの少女の良いところだけが遺伝していてほしいものだ。

今はもう一方の親の事は考えたくない。

徐々にではあるが、私はこの子に愛情らしきものを持ち出しているようだ。

これが母性というものなのだろうか…。


* 目白宗一郎の青写真

噓の帰郷理由を使ったが、帰郷への紗千の賛同を得て、紗千の両親にもここを離れる許しを得た。『第一段階は終了…。』と、いうところか…。

次は、転居先をどうするかだ。

僕にとっては、過去に住んでいた、高田馬場、池袋、板橋、巣鴨ぐらいしか土地勘がない。 

例え土地勘のある所に転居出来たとしても、焼け野原と化した場所でどうやって生計を立てる…?

東京の復興は進みだしているとは聞いたが、働き口はあるのだろうか…?働き口があったとしても…。

幾ら今現在がまだまだ混乱しているとはいえ、就職であれば身の上の提出は必要だ。

自分から身の上を晒してしまう行為は「反共」の現状では、僕にとって危険行為でしかない。

百々乃を育て上げる迄は、危うい行為は避けなければならない。

僕の都合で雇われることが難しいのであれば、起業しか道はない。

『何か簡単な商売でも起こさないことには…。』

そう言えば「早稲田大学は終戦後直ぐから学校を再開をした。」と、電報にあったな…。

もしかすると…今一番、商売に向いた土地かも知れない。

先ずは幼き頃に住んでいた高田馬場へ向かおう。


* 目白紗千の引越


1947年 昭和二十二年 初夏

いったい、どれ程の距離を汽車に揺られてたのか…。暑苦しい車両に何時間座ってたのか…。何本トンネルをくぐってきたのか…。

苦痛としか思えない引っ越しだった。

パラオからの引き上げ船の方が数段ましに思えた。

大人でもまいる程の長時間の汽車移動で、百々乃が少しもぐずらなかった事がせめてもの救いだった。

目白宗一郎に連れられて、やっとの思いで焦げた臭いのまだ残る「高田馬場」という所にたどり着いた。

焼け焦げた空地には、掘っ立て小屋が所狭しと建っている。

一方では、何も無いだだっ広い敷地に堅牢な立派な建物が急に建ってたりする…不思議な所だ。

町は、まだまだ復興途中という状況にもかかわらず、老若男女、至るところに沢山の人がいる。

信州の片田舎では「祭」であっても、ここまでの人数はいない。

目白宗一郎はこの町に居を構える考えらしい。

目白宗一郎は「この町には、数多くの人々が、様々な目的を持って集まる。」と、言う。

そこに目を付け、彼らに向けて何か商売をしようと考えているらしい。

上京するにあたって、住処については親戚に依頼していたようだ。


その住処は、立派な大学がある「早稲田」という町名の場所に戦災を逃れ建っていた。

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