パラオ #02

* 目白宗一郎という男


また始まった。土岐田の無理難題が…。

見合い、結婚の次は子供か…どうにでもなれ…だな。

全ての始まりは僕自身の蒔いた種…。

戦前、僕は学友の誘いからある集りに参加していた。その頃の僕は無知だった。

学友が誘ってくれた集りは、日本が戦争突入への機運高まる中、反戦を謳っていた。

若かった僕も「反戦」には賛成だった。だからこそ、ある程度、熱心に活動した。

しかし、その集りは所謂「赤」…共産主義者の集会だったのだ。

戦争が始まると、共産主義者の集りは、犯罪者集団のレッテルが貼られた。

そして僕は、日本国の特高警察から追われる身となった。

僕の通っていた集会は散り散りに別れた。僕も帝大から去り、集会からは距離を置き、逃げて逃げて…パラオ移民団に潜り込んだ。

この遠い遠いパラオという異国の地で熱りを冷ます気でいた。


ところが、この遠い異国の地で「土岐田」という男と出会うことになる。

土岐田は何故だか僕の素性を知っていた。

僕は恐怖した。土岐田に恐怖した。しかし、土岐田は脅すわけでもなく、強請るわけでもなく…ただ、土岐田の言うことを利かされた。「わしの下で働け…。」と…。

それから暫くの間、パラオでの僕の仕事は、土岐田が局長である移民局の小間使いのようなものばかりだった。

官庁街の移民局で土岐田から言付けられる仕事は、平穏そのものだったので、僕はある面、安心しきっていた。


それが二年前の三月、土岐田が急に「看護婦と見合いしろ。」と、言ってきた。

見合い相手の看護婦には、何度か官庁内で会っていたので面識はあった。

色黒の瘦せぽっちで陰気…そんな印象しかない。僕は『牛蒡みたいだな…。』と、思っていた。

その「牛蒡」と見合い…よく分からなかった。しかし、土岐田には逆らえない。「見合いだけなら。」と、土岐田に言われるがままおとなしく見合いした。

暫くすると土岐田は「目白君、ぼちぼち所帯持ちや…。」と、言ってきた。

三月の見合い以降、何も進展のない関係のまま、僕は「牛蒡」と結婚する羽目になった。

結婚して暫くすると、「牛蒡」は看護婦を辞め、家内の事に専念した。

祝儀のつもりか、謝礼のつもりか、土岐田は結婚を機に、僕の給料を上げた。給与金額は悪くはなかった。「牛蒡」に無理に働いてもらう必要もなかった。

「牛蒡」は一通り家事は出来た。僕にとっては、住み込みの家政婦を雇った様なものだった。それ以上でも、それ以下でもない。

兎にも角にも、僕は「牛蒡」と一定の距離感を保ちながら静かに生活を送った。信じるよりは疑っている方が気が楽だったからだ。

無理矢理の結婚生活に然程の波風も無いまま、僕たちは終戦を迎た。日本への引き揚げが決まり、準備していたところへ官庁からの招集がかかった。

僕たちは、意味も解さぬまま官庁庁舎へ出向き、そこで土岐田の話しを聞いた。

どこの馬の骨とも分からない赤ん坊を養子に取れ…と。土岐田の話に僕は、怒りよりも、呆れてものも言えなかった。

『馬鹿げてる。馬鹿げてる。土岐田は狂ってる。』僕はその言葉を心の中で何度も何度も繰り返した。


ただ、終戦を迎えても、多分、僕は土岐田には逆らえない。土岐田もそれが分かっている。「自分の蒔いた種…。」僕は諦めた。

官庁へ出向いた二日後、僕は土岐田の申し出を受け入れる返事をした。


* 目白紗千の啞然


目白宗一郎が養子の話の返答を済ませた翌日、私達は、正式に養子縁組を行った。

昨日、土岐田の話を聞いた同じ部屋で、あいつの目の前で、養子縁組の為の書類に必要内容を幾度も記入し、幾度も押印をした。

『こんな紙切れで、人間の子供のやり取をするんだ…。』と、私は、驚きと呆れが同居した気持ちになった。

全ての「儀式」が終わると、昨日のあの長身の少女が、赤ん坊を抱いて部屋へ入ってきた。

『この少女の名前はなんだったけ…?』名も知らぬ少女の子供を養子とする事の異常さを、この時、私は再認識した。

あいつは、少女の細長い腕から赤ん坊を剥ぎ取った。赤ん坊を取られた少女は、カクカクと壊れたブリキのロボットの様に震えていた。

毛むくじゃらのあいつの腕に抱かれていた赤ん坊は、直ぐに目白宗一郎に渡された。

目白宗一郎に渡された赤ん坊は、泣き叫ぶものだと思ったが、案外、静かに眠っていた。赤ん坊を見る目白宗一郎の顔に何故だか赤みがさしていた。

両手が自由になったあいつは、持って来た革の鞄をテーブルの上に置き中身を取り出そうとしていた。出てきたのはカメラだった。

そしてあいつは、私と少女に向かって指さす方へ並べと言ってきた。私達はのそのそと言われるがまま移動した。

少女は昨日と同じ白いワンピースを着ていた。そしてワンピースの裾をつぼめながらゆっくりとした動きで指示された椅子に座った。

私には、その少女の横に立てと、指図してきた。私は心持ち少女から離れて立った。

横に見える少女の目は充血し、瞼は赤く腫れていた。

あいつは私達に何やら合図をした。そして、一拍おいてカメラのシャッターが押された。


* 目白宗一郎の覚悟


不意に、土岐田に赤ん坊を渡された。

赤ん坊の抱き方も知らない僕では、居心地が悪く、大声で泣くもんだと覚悟していたが、赤ん坊は全く動じることなく僕の腕の中で眠っていた。

「とても軽い…とても温かい…。」「僕がこの子を育てるのか…。」実感は無かった。が、重かろう責任は感じた。感じた責任が冷や汗となって背中を滴り落ちる。

「御包みが桃色だから…この子は女の子なのか…。」この瞬間、養子縁組の書類に無関心だった自分自身の姿勢を知った。

「肌の色も然程黒くはない。むしろ、桃色がかっている。」この瞬間、この子の生命を感した。

「まるで、犬か猫の子を貰うような気持ちで…。」この瞬間、僕は、己を恥じた。頭に血が上るのが分かった。

土岐田のいつもの嫌がらせに「身から出た錆」だと軽口で引き受けたが、軽口を叩いた己の行為を心底恥じた。

「本当に僕に育てられるのか…?」重圧が僕の両肩にのしかかってくる。急に赤ん坊が重たく感じる。

この子の生命の尊さ、それを軽んじた己の浅はかさ、軽率な行動への後悔、そして、この子を守る覚悟…様々な感情が僕の中で渦巻き、知らず知らずのうちに涙で眼を霞ませてた。

その霞んだ目で見えたものは、苦々しい顔の「牛蒡」と俯向いた少女が土岐田に無理矢理写真を撮られている光景だった。

どいつもこいつも本当に狂っている…。


* 紗千の不本意


1946年 昭和二十一年 三月 コロール

私達まがいもの家族の引き揚げの順番がきた。

土岐田は、養女の件が片付いたとたん、己の妻と己の赤ん坊を連れてさっさと日本へ引き揚げていった。

私達の養女となった赤ん坊には目白宗一郎が『百々乃』という名を付けた。

目白宗一郎という人間は相変わらずの無口で私には何を考えているのかさっぱり分からない。

引き揚げまでのこの数か月の間、百々乃のご飯も、オムツの交換も、風呂も、全ての世話は目白宗一郎がやった。

養子縁組をした日以来、いたく可愛がっている。溺愛している。

本当に目白宗一郎という人間の考えは全く分からない。


私達の引き揚げ予定の日時が近づいた頃、珍しく、目白宗一郎が私に話し掛けてきた。

目白宗一郎の話しは、日本に帰ってから何処に居を構えるかということであった。

私は何も考えなしに「何処でもいい。」と答えた。

日本本国では戦後混乱の物資不足から都市部では餓死者が出ていると聞いていた。目白宗一郎の実家は東京だった。

目白宗一郎は「焼け野原の東京では安心して百々乃を育てる事が出来ない。出来れば、紗千さんの実家に住まわせて欲しい。」と、願われた。

私にとっては嫌で逃げてきた場所なので、出来れば断りたかった。ただ、目白宗一郎は「百々乃にひもじい思いだけはさせたくない。」と、言う。

しょうがなく私は、私のあの故郷に三人で住む事を承知した。


* 目白宗一郎の変節


「牛蒡」こと、紗千は結婚して以来、変わる事なく有能な家政婦だった。

僕は愛おしさからか贖罪からか、百々乃を養女と迎えたあの日からずっと、彼女の世話を一心不乱にやっている。

しかし、赤ん坊を育てた経験のない僕には、見よう見まねで世話は出来ても、片づけまで気が回らない。

哺乳瓶の洗浄や食べこぼしで汚した衣類の洗濯や汚物の処理や…知らぬ間に「牛蒡」が全てきれいにしてくれている。

「牛蒡」も百々乃を育てることに協力してくれようとしているのだろうか…。信じていいのだろか…。


僕達の日本への引き揚げの日が近づいてきた。偽物の家族三人での帰国…先行きが見えない。

僕は、特高警察から身を隠すためだけにひとりパラオへ逃げてきた…結果的には、土岐田のおかげでこの地で職にありつけ、生活できていた。

日本ではどうだろうか…。どの様にして生計を立てようか…。実家の東京は焼野原だ。治安も悪く、配給もままならない。

東京が…日本が元に戻るまでに如何ほどの時間を必要とするのだろうか…。

それに、僕にとっては重大問題である「共産主義者狩り」が沈静化してるのかも分からない。今度の帰国は、僕ひとりではない。

もう、逃げ回るわけにはいかない。百々乃を育てるためにも落ち着ける場所が必要だ。


僕は、実家が焼野原である事と百々乃に栄養が必要な事を理由に「牛蒡」の故郷に身を置かせてもらうことを懇願してみた。

「牛蒡」からは直ぐには返答はなかった。「故郷」と聞いただけで嫌々な雰囲気だった…が、百々乃のためにと渋々承知してくれた。

彼女も懸命に母親になろうとしているのだろうか…嫌なことを我慢してでも百々乃を守ろうとしてくれているのだろうか…。本当に信じていいのだろうか…。

「牛蒡」にも親としての自覚が芽生え始めたのかも知れない…。信じるのは難しい…でも、今となっては疑うのはもっと難しい…。

僕は考えを改めた。彼女は有能な家政婦の「牛蒡」ではなく、百々乃の母親「紗千」だと。


* 目白紗千の決意


1946年 昭和二十一年 三月某日 コロール 

私達家族の引き揚げ当日、小さな港は国民服を着た人々でごった返していた。

目白宗一郎は今、引き揚げ船乗船の手続きで私達の元を離れていた。

沖合に錨泊している引き揚げ船へは、この港から巡行船を使って乗り込む。

その乗船順番を百々乃をおんぶし待っていると、百々乃の実母たるかの少女が駆け寄ってきた。

少女は息を切らせ、たどたどしい日本語で「この子…お願い…お願い…。」と、泣きながら頭を下げた。

何度も何度も頭を下げた。彼女の眼から滴り落ちる止めどない涙は、港の砂に吸い込まれ呆気なく消えていく。

私は「もういいから。」と、きつい口調で言い放ち、少女の動きを止めさせた。そして、手拭いで少女の涙を拭いてやった。

少女は膝から砂の上に崩れ落ち、ひくひくと引きつっていた。

私は、少女の耳元に顔を寄せ「相手は誰なの?」と、問うた。

少女は悔しそうなぐしゃぐしゃの顔で「…土…岐…田…さん。」と、だけ答えた。

『土…岐…田…。あの野郎…托卵しやがって。絶対に許さない。』と、私は、心の中で唸った。

土岐田に対する怒り、憎しみ、恨み、悔しさの様々な感情が混ざり合い「死んでも許せない。」と、いう感情がぐつぐつと私の中で湧き上がってくる。

死ぬためにここにやって来た。全てを壊すためにやって来た。全てを断ち切ってもらうためにやって来た。その私に絶対に死ねない、断ち切れない、終われない理由ができてしまった。

私は少女の細い両肩を掴み彼女の眼を見て「大丈夫。ちゃんと育てる。安心して。心配しなくていい。約束するから。」と、笑顔で伝えた。そして、少女にここから立ち去るよう即した。

少女が去った暫く後に、目白宗一郎が私達の元に戻ってきた。

「さあ、さあ、帰ろう。」と、言う目白宗一郎の言葉に、私は「はい。」と、信念と決意を持った声で応えた。

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