第13話 望む生き方_1
「見ましたよ、シェミィ様。シゼドールの素敵な騎士様と握手されていた報道」
「あぁ」
「アディンが悔しがっていました。シェミィ様が取られちゃうって」
「心配ない。俺は終生ケイラ猊下とエオトニアの騎士で、イファンシはシゼドールの騎士だ。命ある限り変わらない」
「ええ、そうでしょうとも」
物が少なくがらんとした室内。
鈍色の椅子など必要最低限な家具と、ポリマーコーティングされた押し花の板がいくつか壁にかかるだけ。
騎士が暮らすための離宮と聞いて人が想像するものとは印象が大きく違うらしい。
金属フレームと特殊なゴム樹脂の組み合わせで作られたベッドに新しいシーツを掛けながら、つんと拗ねるような返事を返す給仕服の少女。
十六になったのだったか。もう嫁入りも珍しくない年齢だから少女と呼ぶのは礼を欠くかもしれない。出会った頃の印象が強い。
「記者の質問に、エメテラ様以外の手を握ったのは初めてだとお答えになっていました」
「事実だ。ヒューロゥの手は払いのけたことしかない」
「アディンも握手したって言ってましたけど」
「あれは事故のようなものだ。うっかり触れただけで……いや、すまない。俺が忘れたと思ってアディンが傷ついたのなら謝罪する」
「はぁ……シェミィ様ってば本当に、真面目すぎます」
ベッド周りを整えた彼女が腰に手を当てて深く息を吐いた。
深いえんじ色を基調とした給仕服は地味だが、おとなしい雰囲気の少女ルシルタによく馴染んでいる。
騎士の世話係は死のリスクに同意しなければならない。他の一般人とは扱いが違う。
そう滅多なことはないが、うっかり触れれば大怪我をするかもしれないし、緊急時など騎士が駆ければ巻き込まれる危険がある。
『エオトニア教国の騎士のお傍に仕える栄誉を』
十五の時にルシルタはそう願い、俺の世話係りになった。
四年前の外出で出会った時、アディンは九歳だった。
十までの初等学園の中でも、身寄りのない子供たちが通う孤児院を兼ねた国立施設で出会ったアディン。
それよりさらに三年前に、同じ初等学園で姉のルシルタにも会っていた。
特別政務官クラオニに支援を頼んだ後も、どこか気になっていた。シスターになりたいと言っていたことが。
孤児の養育は国として適切に行っているが、よほど際立って優秀でなければ高等教育課程には進めない。十五になれば労働者として国が選定した仕事に就くことになるはず。希望は叶わない。
アディンの言葉と、意図せず触れてしまった小さく柔らかな手の感触が忘れられず、クラオニに何かしら便宜を図ってほしいと頼んだ。
まさか騎士離宮に送り込まれるとは思わなかったが。
「悔しがっていましたけど、アディンは喜んでいますよ。あの子、シェミィ様と自分のナイショの出来事だって。私にはよく自慢しているくせに」
「そうなのか?」
「ええ、そうですよ。シェミィ様が謝罪されることなんてありません」
ルシルタはここで働けることを喜びだと言う。アディンの扱いについてもたびたび感謝の言葉を漏らす。
騎士離宮。
地下通路で繋がっているカレッサ格納庫と共に、軍事機密として場所は秘匿されている。
おおよその場所はカレッサ起動時の重力異常で他国にも割れているはずだが、正確には割り出せない。カレッサ起動時の地震計の揺れ方は不規則になるらしい。
勤める人間も簡単にここを出ることはできない。
騎士が生活するスペースとは別に彼らの居住区画がある。十四になったアディンもルシルタと一緒に暮らしながら、特別待遇で聖都の学び舎に通っている。地下通路の連絡電車で毎朝。
「お相手……イファンシ様でしたか?」
「ああ、【束帛】アナーヴォの装主イファンシ。若年だがシゼドールの筆頭騎士と知られている」
「綺麗な方でしたね」
「容姿の造形はそうだな。エメテラのような戦女神に似た凛々しい顔立ちとは違うが、柔らかな印象の整った顔形だ」
「シェミィ様にはそう見えるんですね。私は怖いと思いましたけど」
「そうなのか?」
「ええ、シェミィ様を狙っているみたいな目です」
「互いに監視役だからルシルタの感覚も正しい。交代での監視も明日で終わりだが」
ここ数日、ハーノを含めて交代でシゼドールの騎士をマークしていた。
メーティス女王と共にエオトニアの政治家と歓談した日もあれば、技術交流として科学技術担当同士の会合に付き合うこともあった。
女王と騎士という立場の人間でなければ、友好国として特に珍しいことをしているわけでもない。
シゼドール特産の果物の苗木を送ってくれるとか、代わりにエオトニアのワインを送るだとか。騎士が付き合うような話でもなかった。騎士の力が必要な事態が起こっていたなら大問題だが。
「イファンシは物珍しい興味もあるのだろう。シゼドールには年の近い騎士がいないから」
「本当にそれだけです?」
「監視中の俺を見つけて声をかけてこられるのは困るが」
「そんなことがあったんですか?」
「一般人もいる場で突き放すわけにもいかない。だいたいずっととりとめもない話をしている」
「すごく好かれているじゃないですか」
「そうなのか?」
「そうなんです。はぁ……」
疲れたように息を吐いてから、ルシルタが俺に近づいた。
本来なら三歩以上離れるように決まっている。
けれど彼女には許してしまっていた。まだ騎士になる前、幼い俺の世話係がそうしていたように。
シスターになりたかったはずのルシルタに別の道を選ばせ、なのに不満の欠片も見せない彼女に負い目を感じているのかもしれない。
「シェミィ様」
「……」
鉄椅子に座る俺の腕に、ルシルタが小さな手を乗せた。
ルシルタの手を握ることはできない。力の加減ができず彼女の手を砕いてしまうから。
「他国の騎士様とどんなお話を?」
「他愛ないことばかりだ。シゼドールの空気はもっと湿っているとか、空が濃いとか。技術屋と政治家がよく喧嘩しているのを聞くと言っていたから、シゼドールの騎士宿舎は技術研究所と同じ建物なのかもしれない。あぁ、平時は騎士も普通の人間と同じ食事を食べるというのは意外だった」
「
「戦時は飲餉らしい。普通の食事だと量も常人の数倍と言っていた」
「シェミィ様に食べていただけるなら作り甲斐がありますけど」
「俺はいい。正直、年始の祭りにケイラ猊下からいただく
「それは知りませんでした。ふふっ」
「秘密にしておいてくれ」
騎士の食事は
摂取した大半が栄養として体に吸収される。無駄がない。
固形物が胃にあるとカレッサの操縦時に不調をきたす可能性がある。すさまじい加速に振り回されるから。
コックピット内を高圧の液体クーニャ・ゲーで満たして吸い込むのは肺を潰さないように。そこまで必要なのに、興味本位で普通の食事など口にするわけにもいかない。
「シェミィ様が素敵だから、イファンシ様も親しくされたいと思うのでしょうね」
「そういう意味ではないと思うが」
「ヒューロゥ様にも同じようにされています?」
「……いや、エメテラやハーノは声を掛けられた言っていたが」
「ほら、やっぱり」
くすくすと笑うルシルタを横目で見て、かすかに首を傾けた。
俺の腕の上に置かれたルシルタの手の重み。柔らかな手の平から熱がじんわりと移ってきて、触れている部分だけ俺とルシルタの温度が同じになる。
身動きはできないけれど、嫌いな感覚ではない。
「私も騎士様に生まれればよかった」
叶わない願い事を、ぽつりと。
◆ ◇ ◆
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