第1話 騎士シェミィ・ノールの休日
歌を聞いていた。
張り上げた声たちはみな幼く、調子も揃わぬまま。十歳までの子供たちが集まる園の講堂――体育館に並んで、ただ懸命に。ただ一人の為に。
日々の恵みに感謝と、穏やかな日々が続くことを願う歌。
特別なものではない。昔から何度となく聞いた歌だった。
「「聞いてくれて、ありがとうございます。騎士さま!」」
歌い終わると皆で大きな声であいさつをした。幼い声が間延びしたり尻すぼみになったりして。
年齢はほぼ同じでも子供たちはそれぞれに違う。顔形も背丈も声の大きさも、話す速さも。
無理に揃えなくてもいい。機械ではない人間なのだから。
「騎士さまがいらっしゃるから、私たちはみんな平和に暮らすことができます。エオトニアのために戦ってくれて、ありがとうございます!」
「「ありがとうございます」」
代表らしい女の子が読み上げた後、もう一度合わせて感謝の言葉を。
お仕着せの白い帽子が、やはりまばらなテンポでひょこりと下がって、また上がる。帽子に刺繍された星十字を囲む二重太陽はエオトニア教国の紋章。
俺にとっては数少ない外出の機会に訪れた保育施設で、いつもと変わらない歓待を受けた。
「礼はいらない。お前たちが健やかに成長するのなら、それが何よりの報いになる」
いつもと変わらない。
けれどいつも違う面々。
当たり前だ。訪れる保育施設は変わるし、年を過ぎれば彼らはもっと上の教育施設に行く。
何度も聞いた歌でも、重なる歌声はいつも違う。同じものはない。
「むくい……ですか?」
「シェミィ様、恐れ入ります。よければ子供たちにもう一度お伝えいただけますと喜びます」
「……お前たちが元気に大きくなってくれればいい。それが俺の一番の喜びだ」
監護者を務めるシスターの言葉を受けて言い直した。
わかりにくい言い方をしたつもりはなかったが、幼い子供によく伝わるように。
「はいっ! 騎士さま!」
「ありがとうございます」
シスターからの礼に軽く首を振った。
彼女らは俺に気を遣い過ぎる。気持ちはわかるが、あまりに過敏になられるとこちらが疲れる。それよりも少し気になることがあった。
「お前はどこかで見た記憶がある。その声、目鼻の形……」
先ほどから代表して話す少女について、何か記憶に引っかかる。
会っているはずはないのに声と見かけに既視感を覚えた。ひとつだけなら偶然似ていただけだと判断したのだが。
「わたしのお姉ちゃんもシェミィさまに聖歌を差し上げてます! 三年前のことなのに覚えていて下さったんですか?」
「あぁ、そうだったか」
「最強のカレッサ【
平時には過敏すぎる自分の感覚だが、少女を喜ばせる程度の役には立ったらしい。
嬉しそうに姉のことを語る少女に、つい目元が柔らかくなったのがよくなかったのだろう。
「アディン! 待ちなさ――」
「っ」
駆け寄って俺の手に触れた少女に対して、車椅子の俺は静止した。
わずかにも動かない。もとより拘束具でほとんど動けないが、微動だにしない。
うかつに動けば少女が死ぬ。アディンと呼ばれた天真爛漫な少女が血肉の塊に変わってしまうかもしれない。
「アディン!」
「あっ……ごめん、なさ――」
俺の左手。騎士の証である白金色のねじれた指輪――結い環をはめた薬指を握る小さな手。
じんわりと熱を感じる。
自分の手は冷たくて硬くて、少女の熱で溶けていく鉄の塊のよう。
「あなたはなんてことを!」
「いい。離してやってくれ」
防護マスク越しにシスターに頼むと、シスターははっと息を呑んだ。
間違えればシスターも死にかねない。俺が何かするか、あるいは噂に聞く呪いのごとき毒で死ぬかもしれないと不安が過ぎったのだろう。
失敗だった。彼女に頼むべきではなかった。
シスターの不安な顔に子どもたちの視線が集まる。アディンもどうすればいいのかわからず固まったまま。先ほどまでの柔らかな空気はない。
「外にいるクラオニを――」
「いえ、申し訳ありません。騎士様。触れることをお許しください」
目を閉じて強く頷いてから、ゆっくりと白い手袋をはめた手を伸ばした。
俺の指に絡みついたアディンの小さな手を恐る恐る引きはがす。
驚いて硬直してしまったアディンの指をひとつずつ、慎重に。
「わたし……ごめん、なさい……ごめんなさいシェミィさま」
「アディン。お前の姉は元気か?」
「う……はい。シスターになるんだって今も勉強して……」
体温の高い子供の熱が離れ、すうと空気に冷えていく自分の指を感じながら話しかけた。
何も心配しなくていい。
「俺との約束を守ってくれているのならいい。シスター、アディンを叱らないでやってくれ」
「そういうわけには……騎士様がそう仰るのであれば、はい」
「頼む」
無事に離れて、アディンとシスターの手が俺から数歩遠のいてから、ふぅっと息が漏れた。
彼女たちの口から、子供たちの口から。
特殊な防護マスクに覆われた俺の口からも、安堵の溜め息が。
「シェミィ・ノール、大丈夫ですか?」
「問題ない」
講堂内の騒ぎに気付いた政務官クラオニが来たが、もう問題は解決している。
三十前の若さで装主付きの特別政務官になった優秀な男は、周りの様子を見てから大きく肩で息をした。
白い手袋をぎゅっと握りこんで震えるシスターを一瞥し、首を振って告げる。
「カレッサ装主に呪毒があるなどというのは迷信です。シスターが下らぬ噂を信じてどうしますか」
「申し訳ありません。大変な失礼を」
「クラオニ、やめるんだ。恐れられるのは仕方がない」
シスターを責めるクラオニを制して、拘束車椅子に座ったまま目を瞑る。
講堂に集まり歓迎の歌を聞かせてくれた子供たちになんの罪があるのか。
不用意に声をかけてしまった俺が悪い。
「そんなことないっ!」
少女が声を上げた。
指導されていたはずの澄ました口調を忘れて、ただ気持ちを言葉にする。
「アディン! 騎士様に対して」
「構わない。子供のすることに目くじらを立てなくていい」
「怖くなんてありません。シェミィさまの手はおっきくて硬いけど、私とおんなじ……みたいに……」
いいと言われて勢いで続けてしまったものの、やはりまずかったかとアディンの声が尻すぼみに小さくなっていく。
ちらちらと俺とシスターを見て俯きがちに。
「なんて失礼なことを、あなたは――」
「そうか。おんなじか」
声を震わせるシスターと、声が震える俺と。
は、と。笑いが漏れた。
「俺もアディンも、エオトニアに生きる一人ということだな。それはよかった」
「シェミィ・ノールはたいそう気に入ったようです」
クラオニが笑みを浮かべて皆を見渡すと子供たちの顔も明るくなる。
「アディン、君が触れた装主様の手はエオトニアの人々と同じだったのですね?」
「うん……うん、はいっ!」
優し気に話しかけながらクラオニはアディンの小さな手を取り、彼の手で包み込んだ。
大事なものを落とさないように。
「覚えておいてください。カレッサ装主は君たちと同じ手でエオトニア教国を守っているのです」
「私、ぜったいに忘れません」
アディンを叱責しようとしたシスターは居心地悪い様子で目線を泳がせ、諦めて目を瞑り頭を下げる。
彼女は彼女で職務に忠実なだけのこと。気にするなとわずかに首を振ってみせた。
「皆の歌が聞けてよかった。シェミィ・ノール、今日のことは忘れないだろう」
「シェミィさま……」
見聞きしたことをほとんど忘れないのも、この身に架せられた呪いのようなものだが。
覚えておく価値があるもの。そう多くは得られない。
「世辞ではなく今日ここに来てよかった。感謝する、シスター」
「もったいないお言葉です」
「クラオニ、こちらの園に花を送りたい」
「手配しておきます」
エオトニア教国の筆頭騎士として戦う以外にできるわずかなこと。
国家予算からいくらかの寄付金を学園施設に贈与する。多少の助けにはなるはず。
「今日は実に有意義だった。皆の歌があれば俺は必ず勝利しよう。エオトニアの明日の為に」
◆ ◇ ◆
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