小学生の頃・2

今回は最初に、現在いまはない。

総合的なだったか?にだったか?学習の時間の記憶の話。

僕がこの授業で覚えてるのは

「クラスで生き物を飼う」「川の掃除」。


クラスで生き物を飼う、これは2〜3年の頃だったろうか?

ハムスターを4匹飼った、種類はふたつ。

メジャーなジャンガリアン。


今ではペットショップではあまり見かけない。

いや、僕がそう思っているだけか、見かけないだけか…

足の速いロボロフスキーという種類だ。

授業の内容の目標としては「命の尊さを知る」というとこだろうか?


僕は母方の祖父の家で、色んな動物や昆虫に触れることが多かったせいか

最初はこの授業は嫌いじゃないかった。でも途中から嫌になった。

ハムスターのケージの掃除、おがくずを入れ替える時のことだった。

逃げないように、ロボロフスキーを手で包むように持っていた時


逃げがしかけてしまった。

理由は単純なもの、手の隙間から出てきてしまった。

それだけ、他の子が何とか捕まえてくれた。

でも、O.Sというクラスで今で言う

マウントを取りガンを飛ばしながら、意地悪な子にぐちぐち嫌味を言われた。

謝ったのに、後味が悪く嫌だった。


次に、川の掃除。

僕の小学校のすぐ横にあるBR川という川。

生活水や色んなものが混じっていつもヘドロまみれ。

そこは通学路でもあり、匂いに敏感な僕にとっては最悪だった。

雨の日以外は、悪臭が漂い僕は吐きそうだった。


たぶん、クリーン活動の一環としての目的でやったような気がする。

今考えると、他にもやる事あっただろうって言いたくなる。

いざ活動に入ると、BR川の掃除なるとその実態を知った。

大量のゴミ、ヘドロ、悪臭、ぬめりのあるコケ。


極め付けが、うねうねと動きまわるひるだ。

僕はそれが大嫌いだった、食われなかった事が幸いと言ったところだろう。

どうも蛭もそうだが、僕は地べたを這ったり、ウネウネと気持ち悪く躍動感があるものが(カブトムシ、クワガタ以外の幼虫)生理的にダメなのだ。

今でも見るだけで、精神的にダメだ。最悪の場合、叫んでしまう。


話は戻ろう、川の掃除は正直、無駄な行為だったと思う。

どれだけゴミを拾っても、根本的に変わらなかった。

理由は生活排水、あれが川に垂れ流しになっている時点で

僕らがやっていた事は、成果としてプラマイゼロだ。


同じ頃に僕は二度も体調を崩し、2度入院した。

1度目は、ストレスが原因でガスが溜まって入院。

呼吸器系が弱いせいで、マイコプラズマ肺炎になった。

この入院での共通点としては、最初の頃は食事が取れなかった。


点滴で栄養を補給、それが1週間程度あった気がする。

食べることが好きな僕にとってそれは、生き地獄だった。

…ああ、点滴といえば嫌なこと思い出した。

肺炎の時に点滴の針を刺す時、担当が少し腕が不自由な研修医に

5回か6回くらい、失敗されたことがあったことを。


「あれ〜?血管が逃げちゃうな笑」と言いながら

僕は実験隊のマウスのような気分で最悪だった。

後ろに、フォローするはずの医師が2人いたのに…

彼らは何もしなかった、アウトだろこれ。


入院中、学校のクラスメート全員から手紙をもらったが

内容は全然覚えてない、印象に残ってない。

上っ面の内容、薄っぺらい同情や励ましでしかなった。

何でだろう?中には親友もいたはずなのに。

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