第1話 どこにもたどり着けない音


 最初は、軽い気持ちだった。


 帰り道を歩く小鳩こばとの横で、荒々しく掻き鳴らす音に耳を奪われた。鳴らした音は夜に溶けることはなく、ステンドグラスの閉じられた屋根にぶつかり、それがまた一段と反響を促した。アンプから流れる音は決して大きくない。それなのに、彼女のアコースティックギターが放つ音に耐え切れず、切れ切れに音が飛ぶ。


 彼女の周りにはカーキのギター、ブラックのアンプ、グレーのギターケースのみ。SNSアカウントが書かれたスケッチブックやスコアは一切なく、ひたすらにギターを鳴らしていた。


 川崎駅でストリートの路上ライブは珍しくない。一日に一組から二組、多い時には五組ものライブが同時刻に行われる。小鳩は一度として足を止めたことはなく、その後記憶に残ったものなど一人としていなかった。視界に映れば嫌悪し、イヤホンで塞ぎ、それでも漏れ聞こえる音に足を突き動かされた。一歩でも、その場から逃げたかった。


 (それなのに、どうして。)


 私は何度も立ち止まるのだろう。


 荒々しくって、乾いていて、耳鳴りする音。引きちぎれそうな勢いで弦を叩き、鳴らす音さえ置き去りにする彼女の声は、暴力的だった。


 今日も、彼女の前には誰一人足を止めるものはいない。スマホから顔を上げ視線を向けるも、駅に向かう歩みを止めようとはしない。彼女が歌い上げる声は、全て彼女の下に帰ってくる。空しく、哀れに映る演奏姿を、小鳩はただじっと見つめていた。


 



 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る