第五章 英雄(6)
前へ。踏み出す。ただ前へ。踏み込む。全てを超えて、シュバルツの立つ場所へ。
頭上では光の柱が刻一刻と崩れていく。行き場を失った霊力が千々に乱れ、今にも弾け飛ぼうとしている。世界が終わろうとしている。
時間は無い。悠長に踊っている暇は無い。多少の無茶は押し通して行け。無理矢理にでも辿り着け。今ならばそれが出来る。柄を圧し折るように、自分の拳を砕かんばかりに握り締め、一切の躊躇も無く、英雄へ、力任せの剣戟を叩き込んだ。
二人の剣が、歪んだように見えた。ヒビが入り、砕けたような気がした。気のせいではない。確かに刀身は歪み亀裂が走り半ばから砕けた。次の瞬間には何事も無く剣は再生した。腕が圧し折れ全身から血を吹き出した、向日葵とシュバルツの身体と共に。
雪原を赤く染めた鮮血さえ光となって消えてしまっても、今の光景は互いの脳裏に焼き付いている。どちらからともなく、笑った。
「いいねえ、悪くねえぞ!」
「まだ、まだだ。まだ足りない」
「ならさっさと追い付けよ、出来損ない!」
剣戟の質が明らかに変わった。舞のごとき美しい交錯はもはや見る影も無く、まるで子供のケンカのような力任せの殴り合いに成り下がっている。だが重なり合う度に炸裂する暴力はこれまでの比ではない。余波だけで地面が斬り裂かれ捲り上げられ大気が震えて泣き叫ぶ。光が絶え間なく爆発し霊力が嵐となり吹き荒ぶ。そうして互いに打ち合わされ弾け合う剣閃がただの一度でも逸れたらどうなるか。簡単な話だった。その先の国が一つか二つか地図から消えるだけである。大したことではない。
激しい打ち合いに反して一刀一刀を交わす度に思考は消え意識は澄み渡って行く。
その最中、向日葵が垣間見たのは、炎、だった。一面の炎が、街を、人を、飲み込んでいく。ささやかな幸福を、ちっぽけな願いを、当たり前の日常を。全て等しく悲鳴と絶望の底で焼き尽くし、巨大な龍が、さしたる興味も無く飛び去って行く。夢の中の出来事のように、茫然と立ち尽くすのは二人の兄妹だった。兄の手に握り締められたのは、折れた剣。炎で満たされた地獄の中、たった二人だけの命を守って、折れてしまった鈍剣。
兄は願った。決して折れぬ剣を。
全てを守り抜き、龍さえも殺す、最強の剣を。
向日葵の胸中にあるのは、場違いな安堵だった。
ああ、良かった。それなら俺も知っている、と。
たった一筋、ほんの一瞬。向日葵の握る剣に火が走った。シュバルツの目が驚愕に見開かれる。剣を叩きつけ合う衝撃をそのままに向日葵は飛び退き、距離を取る。
追撃は無いと分かっていた。向日葵は剣を振るう手を止め、何気なく呟く。
「火っていいよな。何もかも焼き尽くしてくれる」
シュバルツも剣を担ぎ上げ、応える。
「どこまでもシンプルだな。結局一番、効率的だと思った」
向日葵は思わず吹き出した。
シュバルツもまた、皮肉気に口の端を吊り上げた。
「アメノミハシラの止め方とか、もう面倒くせえな。全部焼いちまうか」
「俺は元々そのつもりだったがなア。このクソの雪も、クズの声も、まとめてだ」
「ああ――それはいい。すげえ、いいと思う。俺にも一枚噛ませろ」
「んじゃあ俺とお前、どっちが焼け残るか、勝負と行こうか」
最悪の軽口を叩きながらも、鏡合わせの担い手は、互いに剣を構え直す。
目を閉じ、全ての意識を集中する。引き出すのはこの霊術の神髄。刀身に、炎が灯る。揺れる。舐めるように走り、燃え盛る。それは永遠の炎。この心が在る限り、決して尽きぬ不滅の意志。炎は剣となり、身体となり、願いを果たすまで燃え続ける。
シュバルツの魂は、きっと、未だにこの炎の中にあるのだろう。誰にも救われることは無く、否、誰かの救いなど必要無いのだろう。けれど、この手が届くならば、救いたいと向日葵は傲慢にも思う。今は出来ずとも。いつか、きっと。だって――。
白雪なら、そう願っただろうから。
「「『
高く掲げた剣を、真っ直ぐに振り下ろす。放たれた業火が、ぶつかり合う。雪原を焼き尽くし、黒天を焼き尽くし、アメノミハシラを焼き尽くし、神域を焼き尽くす。
全ての光は炎となって燃え盛り、何もかもを連れて行く。
どこまでも澄み渡る青空が、広がり。
暖かな、陽の光が差した。
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