第五章 英雄(5)

 シュバルツは、心底楽しそうに笑っていた。


「それがお前の英雄殺しかあ?」

「ああそうだ。お前らは殺す。殺し尽くす。幸せには見えねえからな」


 向日葵は己が右手を見つめる。


 そして唱える。己が存在理由を。


「霊術起動、『継承』」


 無手の右手に、左手を添える。虚空より抜き放つは英雄の剣。剣聖。朧に揺らめく紅蓮なれど、集うそれらは確かな願いを形作る。


「悪い、時間を取らせた」

「構わねえよ。割と面白かった。だが、ここから先は手加減無しだ」


 シュバルツは剣を突き出す。


「偽物だろうが知ったことか。死ぬ気で殺しに来い」

「本物だからって余裕ぶんなよ。お前もすぐに救ってやる」


 向日葵は剣聖を握り締める。剣から流れ込む無数の記憶に、光景に、感情に、多くの自分が押し流されていく。大切なもの、大切だったもの。空野向日葵の何もかもが消えていく。構わない。何を失おうと構わない。身を委ねる。どうせ元は空っぽなのだ。


 一番大切なものだけは、決して失くさない。


 今は、ただ。


 向日葵じぶんと、この剣さえ在ればいい。


「それじゃあ、行こうか」

「んじゃあ、行くぞオ!」


 一歩。踏み込む。彼我の距離はそれだけで埋まる。交錯する。頭上から振り下ろされるシュバルツの剣と腰だめに振り抜いた向日葵の剣が衝突する。爆発する衝撃と轟音。雪が舞い散る。神域を満たす霊力の光が弾け飛ぶ。


 されど剣は砕けない。確かめるように互いの視線が交わる。それは一瞬。次の瞬間には刃が翻り二度目の衝撃が走る。さらに三度。四、五。剣を交わす度に空隙が斬り裂かれる。加速する。より強く速く鋭く苛烈に。吹き抜ける風が荒れ狂う嵐となるように。


 シュバルツが剣を振り抜けば向日葵が弾く。刃で刃を滑らせ威力を殺さず反撃へと転じる。加速を伴った剣閃をシュバルツは一切の小細工無く正面から受け止めそれ以上の力をもって押し返す。力で劣る向日葵は逆らわない叩きつけた反動さえ利用しシュバルツの剣をいなす。紙一重を掠めていく必殺に微塵も怯むことなく追撃を叩き込む。さらなる追い風を得た瞬撃をやはりシュバルツは事も無げに叩き落す。息継ぎとばかりに声を上げる。


「まだまだ、だなア!」

「真正面から、殴り合うのは! 苦手なんだよ!」

「ハッ! どの口が!」

「分かってんだろうが! 聞こえてんだよ!」


 全て事実だ。向日葵は歯噛みする。向日葵は未だに正面からの切り結びを避けている。手の内にある剣は事ここに至っても未完成。半端な偽物に過ぎない。これではダメだ。シュバルツの下へは辿り着けない。彼の英雄の神髄。究極へは至れない。


 シュバルツの剣を捌き切れず真正面から叩きつけられる。たった一度それだけで向日葵の剣には亀裂が走り、砕けかける。両腕の骨が折れ肉が裂け鮮血が噴き出す。不甲斐無さを自覚しつつも、しかし向日葵の意識は純粋に、剣とその担い手へと向けられていた。


 改めて、思う。


 重い剣だ、と。


 一体どれだけの命をこの剣は救ったのか。どれだけの命を奪ったのか。一つの大陸を叩き潰し、国を築き上げた。そこに生きる人々の想い、願いを、どれだけ拾い上げ、踏みにじったのか。幾億の希望と絶望を、この身体に突き刺したのか。


 やはり自分ごときが握るべき剣ではない。振るってよい剣ではない。たかだか国の一角を殺した獣と、大陸一つを生かし殺した英雄とでは、釣り合いなど取れる訳がない。


 柄を握る手から力が失われる。剣を取り落としそうになる。だが。


 それでも向日葵は見た。


 脳裏をよぎる無数の景色の中、剣を振るい続けた英雄の姿を。


 たった一人の、何よりも大切なひとのために、戦い続けた男の姿を。


 目を見開く。既に腕には渾身の力が込められている。自分の馬鹿さ加減に笑いが込み上げる。本物と偽物。英雄と魔獣。だからどうした。握っているのは同じ剣。抱いたものは同じ願いだ。世界を救うだと馬鹿馬鹿しい。そんなものは今も昔も大切な誰かを救うための口実に過ぎない。ならば向日葵にも、例えこの剣を振るう資格が無くとも。


 願いりゆうならば、此処に在る。











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