第五章 英雄(4)
「都合の良い殺戮者、か」
それが、英雄。シュバルツ・ミルフィオーレの在り方だった。
ゆっくりと立ち上がれば、シュバルツは特に興味も無さげに、目を眇めている。
「目は覚めたかよ、色男」
「……男? ああ、そうか俺、男だったか」
はあ? と眉をひそめるシュバルツを尻目に、剣を拾い上げる。形無く揺らめく赤の刀身なれど剣は剣。覗き込めば、己の、線の細い顔立ちと、青赤の瞳と、白黒の長髪と、人とエルフと犬と猫の耳が映り込んでいた。控えめに言って、性別どころか種族すら分からない。身体を見下ろせば女装だった。ならば女だろうと触った胸が平たく硬い。股間を揉めばなんかついていた。穴は一個。男ではあった。シュバルツの顔が歪むのを無視する。
どうして男のクセに、女の格好なんかしてるのか。
心底疑問に、傾げた頭に、誰かの声が響いたような気がした。
――向日葵、と。
(大丈夫だよ。私が、あなたを助けてあげる)
背後に迫る死の気配。熱を失う肉体、魂が抜けていくような精神。よく知っていた。少なくとも過去に三度、己は死の淵に立っている。
(こう見えても、強いんだよ?)
だが、二度目の死に瀕した時。身体に触れる、温かさがあった。
少しずつ、力を取り戻していく身体。空っぽの心に、差し込む熱。
(あなた、名前は? ……そっか。私と同じだね。なら、私がつけてあげる)
ぼんやりと、見上げた先。
あまりにも悲しく、歪んだ顔で。
(向日葵。いつか、この世界を照らす、優しい希望の光)
少女は、白雪は。白と黒の地獄の底で、笑っていた。
獣が、彼がウロボロスなどと呼ばれるよりも、前に。
名前を与えて、傷だらけの小さな手を、差し伸べた。
「ああ、そうだ」
やっと、思い出した。
いつも、自分が何者だったか忘れるから。
鏡を見るたびに、違う人間が映っているから。
(だったら、化粧でもしてみたらいいんじゃねえか?)
そんな馬鹿の一言に、乗せられたんだった。
せめて、少しでも。同じ人間の姿で在れるように。
少女が名前をくれた時と、同じ姿では、もういられないけど。
それでも。
「俺は、向日葵だ」
覚えている。だって、彼女の名前は。
『お前は、白雪だ』
それは、少女をバケモノと呼んで捨てた、クズ共に与えられた名前。
たった一人、救われていたはずの少女を、呪うだけの言葉。
この地獄に降り注ぐ、汚らわしい雪モドキ。
けれど。
『スノードロップ。永遠の冬に春を告げる、小さな希望の花』
獣はその呪縛を、喰い尽くした。
『こんな穢れた、雪の名前じゃない』
白雪がくれた、向日葵の名前は。
『俺と、お揃いだ』
希望に変えて、共に在り続ける。
胸に添えた左手を、固く握り締める。
ゆっくりと顔を上げ、息を吸い込めば、言葉は自然と紡がれた。
「『俺は、『誰もが幸せでいられる世界』を作る』」
目の前、シュバルツは表情を変えず、答えず。
しかし、剣を握る手に静かに力を込めた。
向日葵は、続ける。
「英雄。都合の良い殺戮者。道理だな。悪い、俺はずっと、被害者だと思ってた」
戦争の道具として祭り上げられ、全ての敵を殺し尽くすまで戦い続ける。彼らは、魔術王グロリオサスと、神域のウロボロスが生んだ、世界の歪み。もしもシュバルツが復讐に生きるのであれば、向日葵こそが、その仇の一人だろう。
だがシュバルツは言った。己はただ、英雄として在り続ける。
誰のせいでも責任でもなく、自分の意志と、決意で。
最後の一人になるまで、全てを背負っていく。
「なら俺は、お前を殺さなきゃならない」
向日葵の手に、赤の光が生まれる。
シュバルツが、表情を険しくする。
「俺は都合の悪い殺戮者だろうな。他人のためじゃない、自分のために殺して自分のために生かす。英雄なんかじゃない。ただの偽物、出来損ない。バケモノのままだ」
右手を軽く握る。一歩を踏む脚は正しく地を捕える。
身体が、心に追いついてくる。
「そんな俺に叶えられる『誰もが幸せでいられる世界』って、すげえ下らなくねえか」
あまりにも屈託のない、笑顔に。
シュバルツからの、答えはない。
「ああ、やっぱり。こんな願いに叶える価値はなかったって、笑えると思わねえか」
それは、向日葵が望む、理想の終わり。
本当の意味で、この願いから白雪を救える。
どこまでも歪んで腐り切った、向日葵だけの願い。
「俺は、この世界の英雄を全員潰す。一人残らずだ。そう決めた。そしたらどうせ、お前らの願いは叶わないんだから。未練なんか残さず殺し切る。微塵も容赦なく」
だから。
「お前の願いも、全て此処に置いていけ。
俺が連れて行ってやる。この願いが叶うまで」
永遠の理想と共に。
遥か彼方まで。
向日葵は笑う。
天へと昇り、地に堕ちる、神の柱を背に。
白と黒が交わる、長髪をなびかせ。
蒼穹と深紅の瞳を、輝かせて。
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