第五章 英雄(3)

 剣戟が、雪原に鳴り響く。


 二度、三度。反響する。対峙するは向日葵とシュバルツ。互いに同じ紅蓮、形無き剣を叩きつけ合う。だが――十度も交錯せず、向日葵の剣に亀裂が走り、砕けた。


 向日葵は歯噛みし、すぐに次の剣を作り上げようとする、が。


「遅えよ」


 刀身の半分も形作れないまま追撃に叩き折られ、雪原を転がった。地面に拳を叩きつけ、前を睨む。シュバルツはただ無表情に、無感情に見下ろしていた。向日葵は肩で息をしながらも立ち上がり、新たな剣を生み出す、が、その輪郭は、本物とは比べるべくもなく不安定に揺らぎ、まるで形が定まらない。己の心のようであった。


「まだ、だ」


 周囲には、無数の剣が残骸となり突き立っていた。全て向日葵が作ったものだ。どれも半ばから叩き折られている。目もくれず、シュバルツの懐に飛び込む。だが今度は打ち合った瞬間に砕け散った。一閃。たった一撃。鍔迫り合いすら許さない。驚愕を覚える猶予さえ与えられず、返す刃は向日葵の身体を斬り裂き再び地へと叩き伏せる。


「まだ」


 傷はすぐに塞がる。折れぬ剣により埋め合わされ、死ぬことを許さない。死なないだけだ。それだけでは何にもならない。戦う力が必要だった。剣が必要だった。向日葵はもう一度作り上げる、その半ばで、頭が軋んだ。錆び付いた歯車を無理矢理に回すような異音が脳内を引っ掻き回す。視界にはノイズが走り、誰のとも知れない記憶が、光景が、意味も無く繋がりも無くデタラメに映し出される。


 絶叫――。


 剣を握ることすらままならず、頭を抱えてうずくまった。


「もう立つことも出来ねえのか。ちょっと見ない内に弱くなったな、お前」


 シュバルツは心底つまらなそうに呟く。とどめを刺すことすら億劫だというように。


 呼吸は荒いままに顔を上げ、震える手になけなしの力を込め、無様な剣を掴み取る。杖代わりに地面へと突き立て、立ち上がる。柄からは絶えず他人の記憶が流れ込み、頭を掻き回す。身体の震えが止まらない。心が、砕ける。


「まだ、まだ」

「まだ、なんだよ。その先を言ってみろ。今をときめく、二十歳の乙女」

「なんだよ、それは」


 意味の分からない言葉に、たどたどしく呟く。頭に手を置く。だが聞き覚えが、あった気がする。分からない。まだ、何だ。俺は、何だ。思考さえ定まらない。俺は誰で、目の前に立つアイツは何者で、ここは、どこだったのか。


 雪は冷たくもないはずなのに、寒い。痛い。よく分からない。どうして俺はここに居る。何のためにここに居る。何もせずに突っ立っていても死にそうにない身体が余計に思考を混乱させる。何だこれは。死なないなら何をする必要も無いではないか。死にたくない、そんな当たり前の欲求すら浮かんでこない。


 理由が、理由がどこにもなかった。


 それでも、剣戟は交わされる。目の前の誰かが剣を振るえば自然と身体は動いた。必要など無いはずなのに、情けない剣を持ち上げ、軌道を逸らそうと試みて、打ち砕かれる。再び雪原を転がり、それでも腕は動くのを止めず、また剣を握ろうとして、もはやそれもままならなかった。


 手の平を見ればほのかに赤の光が漂うばかりで、何の形も成さない。仕方が無いと、傍らの折れた剣を拾い上げる。それでさえ脳は軋み、自分がここに居る理由を失わせた。


「英雄って、なんだろうな」


 ふと耳に届いたのは、名前も分からない誰かの呟き。


 心底どうでも良さそうなその言葉は、きっと、問いでさえなかった。


「守らなきゃならない奴が居た。守れなかった奴が居た。殺さなきゃならない奴が居た。そのために手にした剣だった。でもな、いつの間にか、斬る理由よりも斬られる理由のが多くなった。出来るだけ多くを救って、たった一人を殺すために求めた力で。守ったものよりも積み上げた死体のが多くなった」


 ただの独白。独り言。


 当たり前だ、ソレの意味を問う価値ある者など、ここには居ない。


「復讐心も擦り切れた。あれだけ憎んだクソトカゲの面もまともに思い出せねえ。残ったのは英雄なんて大層な人殺しの名前だけだ」


 だがな、と。


「全部、俺が俺の意志でやってきたことだ。選んで殺したことを無駄にするつもりはねえ。必要だってなら俺がなってやる。生き残った連中が望むまま、求めるまま。

 この世界で、たった一人の英雄に」


 今の自分に、彼の語るナニカは届かない。理解ができない。


 だが、何故だろうか。


「お前と遊んでる暇はねエ。だからさっさと眠れ、出来損ない」


 剣が振り上げられる。振り下ろされる。


 迫る刃を、ただ茫然と見つめ。


 その先にある、苦痛に歪んだ顔を。


 見捨てては、いけないような気がした。


 身体が動く。振り下ろされる剣の横腹に折れた剣を渾身の力でもって叩きつける。握った剣は木っ端微塵に砕けつつも刃が身体に届く寸前で軌道を逸らす。弾かれた剣の担い手が、シュバルツが笑ったような気がした。


 どうでもいい。切り返す刃は既に捉えている。別のナマクラを拾い上げ同じように叩きつける。弾いた衝撃を殺さずに背後へ跳躍。十メートルほどを滑るように跳び、腰を落として地面へ手を突く。頭を下げ、目を閉じ、肺の空気を全て吐き出す。


「都合の良い殺戮者、か」











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