第五章 英雄(1)
『しぶとく生き残っているようだな。共和国代表、アマリリス・トワイライト』
「おかげさまでね。帝国代表、ドミニク・ボードウィン」
神域、アメノミハシラを望む、工房の廃墟外周にて。アマリリスは木の根元へ腰を落とし、胡坐に肘立て頬杖を突いた。クソッタレな皮肉には嫌味ったらしい皮肉にて応じ、口の端を軽く歪ませ、中空に浮かぶディスプレイ越しに、一人の男と向き合う。
大げさな焦げ茶の軍服を着込む、禿頭の中年男性だ。頭の角と、肌をまばらに覆う鱗は竜のものであるが、魔術主義の創始者、グロリオサスとは似て非なる。翼を持っていなかった。地竜と呼ばれる、純粋な龍より派生した種族の一つである。
異国の元首、ドミニクは両目を鋭く眇める。いかにもここが司令部ですといったオフィスのデスクへ肘を突き、組んだ手の上へ顎を乗せる。
『貴様らの魂胆は分かっている。神域も崩天霊災も自作自演。また犠牲にしようと言うのだろう? かつてのグロリオサス・トワイライトのように。今度は二人の英雄を』
「どの口で言ってんだ。最初にグロリオサスを英雄に祭り上げたのはお前だろうが。人ん家の親父の死を、クソみたいな戦争の理由に利用しやがって」
『始めは確かにそうだったかもしれん。だが今となっては、英雄が国のために尽くし国のために犠牲になることは互いに望むところだ。何もおかしなことは無い』
頬をヒクつかせるアマリリスは、少し視線を上げた先、ディスプレイを抱える有翼種の男性を見る。帝国の郵便屋だろう彼は、しかし微妙な面持ちを画面の裏側へ向けていた。アマリリスは苦笑をこぼし、伸ばした触手で湯呑を差し出す。戸惑いながらも会釈し、ぬるいお茶をすする郵便屋の彼へ、軽く片目などつむっていれば、
『貴様らの下らん思惑も、この茶番も、帝国が潰す。世界を統べるのは、我々だ』
「魔国に相手にもされない万年二位が、よく言うねえ」
アマリリスは溜め息を一つ、半目にてドミニクへ視線を戻す。一度目の崩天霊災を遥かに超える超高霊圧、世界の終わりを目前にした異常事態にあり、しかし帝国はこちらの状況を正しく把握していると。海を隔てたこの大陸へ、一方的に通信を飛ばすことができると。
見え透いた示威行為だ。鼻を鳴らして吐き捨て、両手を広げ肩をすくめる。
「お前らの御託はどうでもいいよ。ウチはこれから魔術の再興、科学の復元と大忙しなんだ。皆が仲良く、楽しく暮らせる世界のためにね。
英雄は要らない。誰も英雄にしてやらない。なりたい奴が居たら片っ端から叩き潰してやる。そう決めたんだ。グロリオサスの二の舞なんて、もうごめんなんだよ」
何かを救った誰かが、せめて、不幸にならない世界であればいいと。
共和国元首、アマリリスは、そんな綺麗事を嘯く。
『ならば勝手にするがいい。そして自らの理想に終止符を打て、アマリリス・トワイライト。それが魔術主義の遺産たる、貴様の役割だ』
吐かれた捨て台詞は字面通りに、ディスプレイが消える。残された有翼種の彼は、軽い会釈と共に湯呑を差し出し、踵を返すと、足早に飛び去って行った。
湯呑は、空になってはいなかった。
飲み切ったお茶の代わりに、軽食だったのだろうか、一本の棒菓子が差してあったからだ。
アマリリスは小さく吹き出しつつ、封を開けたスティックを一口齧る。
「頼むぜ。馬鹿な弟と妹よ」
望む空の果て、舌の上に広がるチョコ味は、むせ返る程に甘ったるかった。
◇
神域の外周、雪が覆い始める障壁外の廃墟にて。
アメノミハシラを背にする白雪は、一人の来訪者へ首を傾げる。
「漁夫の利ってわけ?」
「ううん。面倒くさかっただけ」
白雪は苦笑する。悪びれもなく言い放つ緑髪のエルフ、十の人形を伴うユーフィリアへ。
「無駄と分かってるんだけど、理由を聞いてもいいかしら」
「全員ぶっ殺すよ」
即答。
「お兄ちゃんの邪魔をする奴は、皆ぶっ殺す」
あら、と白雪は目を丸くし、微笑む。
「意外と気が合うわね。私も、向日葵に手ぇ出す奴は皆殺すわ」
うんうん、と妹二人。解釈一致と腕を組んで頷き合い。
ユーフィリアが、眠たげな顔を傾げる。
「交渉決裂?」
「成立する余地あったかしら」
悲しいかな、信念も手段も一致しているのに
殺し合うには十分な理由であった。
無言で構える白雪に対し、ユーフィリアは目を眇める。だが無謀だ、と。
白雪の手札は把握している。魔術による失われた戦闘技術の再現。その先鋭化。シュバルツとの戦闘中も、密かに向日葵への戦術支援を行なっていただろうことも、雰囲気から何となく察しており証拠はない。
だが、もはや戦場はその段階に無い。全ての魔術機能を吹き飛ばす超高霊圧。この環境下において用を成すのは霊術のみ。現代にまで生き延び、戦い抜いた英雄たちが、英雄足り得た理由。その資格。これは崩天戦争の再現に他ならない。
だと言うのに。
「データリンク完了。
白雪は、平然と唱えた。
仮想ディスプレイが展開する。一枚、二枚。五枚九枚。それぞれが連動しネズミ算式に数を増やしおそらく百を超えたところでユーフィリアは数えるのを止めた。代わりに注目したのは、画面に全周を囲まれる白雪の手元にあるもの。
一冊の、古びて擦り切れた、分厚い装丁の本。
左手の内にて開かれ、淡い光を灯している。
「それじゃあ、始めようかしら」
白雪が右手で髪を払う。長いポニーテールが揺れる。
その手に生み出される、見るからにナマクラの短剣。
ユーフィリアはソレを、即座にただ脅威と判断した。
「霊術起動、『
十体の人形を同時にけしかける。それぞれの手に爆破術式を起動させ一切の躊躇なく白雪の足元に狙いを定める。霊力をもって走る魔術は正しく白雪を爆散させ、なかった。
ただ一歩、踏み込んだ足裏に、起動すらできず消し飛ばされた。
「解析と、改竄?」
「正解。こういうこともできるの」
軽い動作で白雪の右腕が振り上げられ短剣が飛ぶ。人形の一体に叩き落させたユーフィリアの視線の先、白雪の伸ばした右手、指が弾かれた。
炸裂する。先刻ユーフィリアが行使しようとした魔術と同威力にて、周囲で人形が次々に爆発する。直撃は避けつつも爆風に煽られたユーフィリアの身体が後方へ飛ぶ。
「あなたの霊術は、人形の生成と操作まで、かしら」
即座に態勢を立て直すユーフィリアが十体の人形を浮かび上がらせる。先の反撃を生き延びた三と合わせ十三、不用意な魔術の行使は危険と判断。護衛に三体を残し十体に近接武装を追加。剣槍盾鎧、思い思いに突撃させる。
「霊力を用いて、馬鹿げた威力を実現しつつも、攻撃自体はただの魔術」
白雪は駆ける。彼我の距離を縮めつつ前後左右上下より襲い来る人形たちと切り結ぶ。右手のナマクラとポーチより弾く鉛弾、少々の体術のみで拮抗する。左手で広げる本に光が走る。書き込まれた文字列が数列が突っ走る。
「だったら、
ステップを踏んだ足元から地面が隆起し槍となって十の人形を串刺しにした。振り返れば距離を置くユーフィリアは、今の間に生成し直した十体で身を囲んでいる。防御姿勢。
霊術師。間違いなく最強の一角たる英雄を、防御に専念させた。
「霊災下では高度魔術、精密術式が機能しない? 馬鹿言わないでよ」
白雪は左手、本をユーフィリアへ突きつける。
ありとあらゆる術式を、手書きにて記しまくったお手製アナログWOD。
「私はあの神域のド真ん中で、半年。精密魔術を使い続けたのよ」
にもかかわらず、世界は自ら戦争を望んだ。
他に方法など、幾らでもあったというのに。
「でもまあ、仕方ないわよねえ。魔獣にもならないで、魔力だけ目覚めた工房師の子供をさ。どうせ魔獣になる、バケモノだって呼んで、捨てるようなクズ共だし」
空を仰いでガリガリと頭を掻く。
あーあ、と吐き出した声は、苛立ちよりも、諦めが勝る。
「救う価値なんて、やっぱりないと思うけど。それでもアイツ、止まらないし。
多分、あなたも同じなのよね?」
問いかけに、ユーフィリアは、静かに嘆息する。
「苦労するね。お互いに、大好きな人が馬鹿だと」
「それ心底同意するわー」
片目を瞑り走る白雪にユーフィリアは動かない。互いに接近戦にしか勝機は無いと分かっていたから動く必要などなかった。振るわれる短剣に己を囲む十の人形を自爆させる。
爆光と爆炎と爆風が暴れ狂い二つの人影が対称方向へ吹き飛ばされる。同じ距離を同じように飛び同じように地面へ叩きつけられて止まる。その一方、白雪は呻きつつも身体を起こし、土煙の向こうに、見た。ユーフィリアの周囲、ふよふよと漂う二十の光の玉。それらは中空で、赤い結晶に包まれ、人形の身体が編まれて、動き出す。それぞれが意志あるように宙を舞い、ユーフィリアに寄り添う姿が何なのかはあまり考えたくなかった。
「皆は、お兄ちゃんの、後悔。唯一、救いたくて、救えなかった人たち」
知りたくないというのに答えが示される。律儀なことだと、震える身体に荒い息を吐き出して立ち上がり、土と血で汚れた顔を拭う。否応なく理解した。ユーフィリアの揺籠は正しく霊術であり埒外の能力を持てど、戦闘に向いていない。アレはナニカを救おうとしたものだ。殺すことに使えても、そもそも殺すために出来ていない。
「これ以上は増やさせない。もうお兄ちゃんには、救えなかったものを背負わせない」
そういえば左手が妙に軽いと、視線を下げて確かめる前に探し物は視線の先にあった。ユーフィリアの侍らす人形の一体が、本を抱えて燃やしている。手癖が悪いようだ。
「邪魔する奴は皆殺しにしてやる」
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