第四章 神域(5)

「よう。助けに来たぞ」


 悪びれもせず左手を挙げ、右手に剣聖を携える向日葵は、しかし。


 長い赤髪のウィッグを失い、代わりに、肩甲骨までの黒髪を流し。


 頭に、先端だけが白い黒の獣耳を、二つ揃えていた。


「似合いませんね、猫耳」

「だよな。上からも横からも音がして、変な感じ」


 ピクピクと、元より己の一部だったように、三角耳を震わせて、


「さて。次はお前だな」


 紅蓮の剣。黒の影を纏う禍々しき刃を、京香へと向けた。


「二つも、模倣したんですか」

「三つでも四つでも百でも行けるぞ。俺は死ぬけどな」


 京香は弥生を抱き起こし、瓦礫に背を預けて座らせ、庇って前に立つ。


「きょう、か」

「大丈夫です、弥生さん。私に任せてください」


 剣を掲げる向日葵へ、両腕を持ち上げ。


「大丈夫か、お前ら」


 向日葵は、眉根を寄せ、剣を下ろした。


「今にも死にそうな顔してるぞ。起き抜けだからか?」


 その表情は、本気で二人を、慮るように。


 京香は、脳髄を揺さぶる『音』に奥歯を噛む。


「五年振りの生身です。でも、この程度、ハンデにさえ」

「ああそうか。お前ら、あの霊界抜けられないんだな」


 この男は、当たり前のように。


 平然と、真実だけを暴いてくる。


「道理で、回りくどいことするわけだ。アメノミハシラ起動させたはいいが、自分で止められなくなってたってか。お笑い草だが、確かに、酷くうるせえなここは」


 向日葵は、『そこ』にあった檻を眺めるように、首を回す。


『魔術師め』、と。


 脳内に叩きつけられる無尽の呪詛を、舌打ち一つで吐き捨てる。


「あなた、は」

「なあ。一つ聞かせてくれよ」


 向日葵は。既に、この地獄を全て喰らい尽くしたウロボロスバケモノは。


 ありったけの猜疑を込めて、京香を見据え。


「工房師を、魔術師を。世界を救いたいって、何なんだ?」

「――っ!」


 息を呑む京香が、光を纏い始める。問答無用か、向日葵は独り言ちる。


「霊術起動、『破天』」

「霊術起動、『創天ジェネシス』」


 手始めに京香が撃ち出す二本の光の刃を打ち落とした、つもりでいた。剣を振るう間もなく胸と腹を貫かれていた。反応さえできない。光速を超えていた。触れた箇所から身体が焼け落ちる痛みに今更気付き、黒い影を走らせ無理矢理に消し飛ばす。


 京香の周囲でさらに八本の刃が立ち上がる。勝てないと自信を持って言う訳だ。相手の得物が剣である時点で勝敗は決していた。剣聖ならば死ぬことはなく勝てる可能性もない。対抗策はただ一つ。撃ち出された瞬間に打ち落とす。破天ならばそれができる。鏡合わせの光と影はゼロ時間にて相殺を重ね合い撃ち出される前なのか後なのかも判然としない速度で食い合い続ける。その中でようやく気付いた。とどのつまりこの光は。


「『今すぐに死んでください』」


 それだけだった。あまりにも残酷な死の具現。京香の周囲で次々に活性する霊力は正しく想いを汲み取り光速を超える神速にて敵対者を屠る。常識も法則もなく子供じみた願いを形にするは霊術の神髄なれどあまりにも気安すぎる。


「魔術は魔力を術式にて変換し、様々な物理機能を仮想構築する技術です」


 既に無限回を超えただろう撃ち合いの中で、結局はそういうことなのだろうと無理に理解する。究極のソフトウェア技術。ハコを必要としない手の平の変換機構。それを霊力という無尽蔵の魔力に置き換えるのならばこうもなろうと理解はするが納得はしない。思うに弥生の破天とは霊力の非活性化による破壊であり、対する京香の創天は霊力の活性化による創造といったところか。森羅万象、あなたも含めこの世界の全ては霊力から形作られています。唐突に現れたカルト教祖にそう述べられて純粋に吐き気がした。


 深淵織り成す光と影は拮抗するばかりで一進も一退もない。ならば時間という神の裁定により天秤が傾く方は自明だった。当然偽物が砕かれる。あからさまな綻びを生んだ影の合間から十七の光芒が差した。自覚する間もなく身体を貫かれ、反射のみで影を這わせ打ち消し、たかが致命傷と剣が穴を埋めるも、衝撃には逆らえず十数メートルを飛んで強かに地面へ叩きつけられ転がって止まる。


「あなたに、何が分かるんですか。そんな力で、人の心を覗き込んで」


 そんな、月並みな、道理でしかない言葉が、ぼんやりとした頭を揺らした。光よりも影よりも剣よりも、ただ理解が及ぶことに安堵しながら、向日葵は身体に力を込めて立ち上がる、こともできず崩れ落ちる。仕方がないと、腰を据えて膝を立てる。


「分からん。何も分からん。世界を壊したいって願いは、嘘じゃないと思う」


 でも。


「世界を救いたいって、願っているのも、嘘じゃない」


 向日葵は、京香の中に、二人の少女を見ていた。


 こんな世界は壊れてしまえと、泣き叫ぶ少女と。


 こんな世界でも救いたいと、足掻き続ける少女。


 だから。


「教えてくれよ。どっちなんだよ、京香おまえは」


 そうじゃないと。


「かわいそうだろう。お前の壊したいって願いを、信じて守ろうとした、弥生が」


 また、間違えてしまうのではないかと。


 本気で、心を砕く言葉に、京香は、弥生は、目を見開き。


 後に、笑った。


 京香が口元に手を当て、喉を鳴らす。弥生が俯き、肩を震わす。


 本気で、不思議そうに首を傾げる向日葵へ、京香は目元を拭い。


「私が、弥生さんに、本音を話してないわけ、ないじゃないですか」

「ああ……、そうか。そうだよな」


 本気で、今気付いたと、向日葵は空を仰ぎ、頭を掻く。


「馬鹿なんですね、本当に。その気になれば、全部知れるでしょうに」

「よく、言われてる、気がする。あと嫌だよ。他人の腹の中なんて、覗きたくない」

「勝手に覗いておいて、本当に最悪ですね。

 あーあ。なんで私、こんなのと関わっちゃったんでしょう」


 京香が肩を落とし、振り向けば、弥生は僅かに口の端を吊り上げている。


 仕方ない、と。観念して、京香は向日葵へと向き直る。


「私と弥生さんは、人間種です」











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