第四章 神域(4)
身体が地面に叩きつけられる衝撃で目を覚ました。
ゴホゴホと、酸素に肺を焼かれ咳き込む。暗く霞んだ視界の中で、己の長い銀髪が揺れる。手の甲に痛みを感じて持ち上げれば、鋭い切り口から一筋の血が流れていた。
(――頭が、痛い)
京香は、起き上がる。酷く重く気怠い肉体を、溺れるようにもがいて床に手を突く。じゃりと、ガラスを踏むような音に、荒い息を吐きながら見下ろせば、黄色い、魔力結晶に酷似した水晶体の破片が、辺りに散らばっていた。
どうにか床にへたり込み、振り向いて顔を上げれば、弥生が眠っていた。多くの瓦礫が崩れて埋もれた、広い地下室の中央。地獄の、さらに底にある、獄界で。
黄色の、大型魔力結晶のような、揺り籠に包まれて。
動け、と脚に命ずる。ただ方法を忘れただけ。あの日のまま微塵も衰えていなかった筋肉が覚醒し、骨を軋ませる。上体を折ったままゆらりと立ち上がり、思い出していくように数歩を刻んで、結晶に寄り掛かった。おそらくは、霊力の塊であるソレに。
(耳鳴りが、止まらない)
触れた瞬間に砕け散った。力無く落ちてくる妹の身体を、しかし全霊を賭けて受け止め切ったのはただ一重に姉なる矜持。壊れ物を扱うように、ゆっくりと腰を下ろせば、しばしの余韻を含んで、薄く、瞼が持ち上がる。
「きょう、か?」
「はい、私ですよ。弥生さん」
抱き締める。痛いよ、と苦笑する掠れた声に、余計に強く抱き締める。
「ありがとう。ありがとう、弥生さん」
「うん。俺、頑張ったよ」
「はい。――はい」
温かい。何よりも愛しい温かさが、冷え切った身体に広がっていく。死に切った心に熱を灯す。ああ、私はまだ。この子のために、生きていける。確信する。
(吐き気が、する)
「休んでいてください。あとは、私が」
「いや、それは、ダメだ」
弥生が、京香の両手を掴んで、そっと離した。蒼の瞳へ、向き合う紅の瞳には、ただ根拠のない確信と、意志が宿る。
「アイツは、俺が止める。京香はここを頼む」
「――っ! 分かり、ました」
答えに頷いて、弥生が立ち上がる。京香は座り込んだまま、瓦礫に埋もれた暗い床を手探り、見つけた。直接刻まれた、巨大な術式陣。京香と弥生の、願いが込められた。
崩天霊災の、元凶たるソレを。
「術式起動」
一切の躊躇なく呼び覚ました。
(うるさい。うるさいうるさいうるさい)
瓦礫が吹き飛んだ。天井が吹き飛んだ。直後に降り注ぐ光は頭上遥か高くまで伸び上がる柱。アメノミハシラ。地獄を照らし空へと導く神木は、最後の鍵を得たというように、あまねく世界へと枝葉を伸ばしていく。黒い雲を貫き、白い雪を降り注ぎながら。
「行ってくる」
「はい。気を付けて」
瓦礫を超え、光の外へと消える弥生を見送り、京香は、足元へと目を落とす。書き込まれた
――『
なぜ。なぜだ。それだけの意味のはずだ。己が内包する魔力をもっていかに『霊力へ接続するか』を突き詰めただけの術式。目的を意味を切り分け切り分け切り分けありったけの語彙をもって詳細に詳細に書き記しただけの文字列と数列。他の意味など無い。あるはずがない。何を間違えた。どこで間違えた。
崩天霊災は、どうして起きた。
ここに答えがあるはずだ。それさえ分かれば、今度こそ。
(黙れ黙れ黙れ。もう、黙れ)
深く沈む意識を、無理矢理に引き上げたのは、破壊の音だった。瓦礫の山を突き破り、光の中へと撒き散らす衝撃。京香の傍らに転がる、弥生。震え、呻く身体から流れる赤い血。傷を埋め合わせていく霊力の光を、冷たく見下し、無造作に踏み入る者。
空野向日葵。
「よう。助けに来たぞ」
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