第三章 共和国(9)
お冠のアマリリスがどこからか持ち込んできたちゃぶ台に、白雪と京香は向かって腰かける。座布団まで敷いた茶の間の様相にて、ルーカスが湯呑に緑茶を注いで運んできた。白雪の右隣に、アマリリスに向かって座る。ちなみに茶はペットボトル産である。湯呑にしたのはただの雰囲気であり、中身は常温でぬるく湯気も立たない。
「まあ、私猫舌だから助かるんだけどね」
「あ、私も猫舌なんですよー。熱いのはどうもダメで」
「和やかな雰囲気で誤魔化せると思ったら大間違いだよ」
ねー、とにこやかに首を傾げ合っていた女子二人が、アマリリスに半目を向けられ顔を逸らす。ルーカスはただ穏やかな笑みでいる。どうにでもなれの精神である。
「全く、
「「「本当に、ごめんなさい……」」」
「ルークはよくやってくれたからね? 後で首輪も取ってあげる」
「本当ですか!? よ、良かったあ……」
「アテもなくやってたのね、マジで凄いわアンタ。――あら、髪にスライムが」
「触らないでくださいこの馬鹿変態!」
称号が一つ増えたので席替えである。白雪とはちゃぶ台を挟んでルーカスが向こう側になる。必然、右隣に京香が座って笑顔の間に火花が散る。アマリリスが咳払い。
「とにかく、本題だ。君ら愛しの向日葵も弥生も、ここにはいない。ついでに、神域にて妙な霊圧変化があった。おそらく、二人ともあそこに」
「神域ですか!? なんで、そんなことに」
身を乗り出してちゃぶ台を叩く京香へ、アマリリスが息を吐く。
「知らないよ。多分、君らが霊災を起こしたことに関与してるんだろうけど……。霊力、霊圧、霊術、霊災。何が起きても不思議じゃないって、よく知ってるだろう?」
それは、と京香は俯き、二の句を飲み込む。だが、すぐに白雪へ目を向け、
「あんな力を持ってる相手と、弥生さんが二人きりなんて」
「向日葵なら、大丈夫よ」
は? と眉を上げる京香へ、白雪は茶を一口含みながら視線を上げる。
「アイツ、基本容赦ないけど。頑張ってる相手には、めっぽう甘いから」
「そんな。なんで、そんなことを言い切れ」
「私、京香のこと嫌いじゃないもの」
びくりと、京香は肩を跳ねさせる。
まるで、本気で恐れているかのような所作に、白雪は苦笑し、
「そういうところ。姉妹なんでしょ? だから大丈夫。向日葵は絶対に戻って来るわ」
だって、と。湯呑をちゃぶ台に置きながら。
「『誰もが幸せでいられる世界』。まだ、作れてないものね」
「それ、は」
告げられる、あまりにも下らない言葉に、京香は、しばし絶句し、
「――だあああああありゃあああああああああッ!」
「「「今度は何なんだよ!?」」」
白雪以外の三人が叫んだ、その先。
空間が、破砕した。
ガラスに亀裂が走り、砕けるように、虚空が『向こう側』からぶち破られる。弾けた破片は宙に溶けて消え、まろび出たのは赤の光、紅蓮の剣と。
馬鹿と、弥生だった。
弥生さん、と立ち上がる京香が駆け寄るよりも、先に。
「ぐ、が。あああああああああ……ッ!」
馬鹿が、頭を抱えて身体を折った。
「オイ! お前、コイツの連れだろ!? コイツまた、あの霊術を」
弥生が叫ぶ。右手に剣聖を握り締めたまま崩れ落ち、床に膝と手を突いて荒い息を吐く、馬鹿の身体を支えて。気遣い全部に寄り添う弥生の姿と目の前の惨状に、京香は言葉を失い、代わりに、怒声を浴びせられた白雪が席を立つ。
「向日葵」
呼びかけに、今にも死にそうな有り様で、へたり込み、嗚咽のような息を吐き、尋常でない汗にまみれ痙攣する馬鹿――向日葵の、震えが、止まった。
白雪は屈み、弥生に短く感謝を告げ、向日葵の上体を起こして、抱き締める。
「大丈夫。落ち着いて」
「俺、は。俺は、なん、で。ここ、は」
「何も考えなくていい。何も思い出さなくていいの。私の声だけ、聞きなさい」
まともな呼吸さえできていなかった息が、落ち着いていく。
身体が干からびるほどの汗が、引いていく。
白雪は、向日葵から余計な力が抜けたことを認め、少し離れる。両手で肩を支え、顔を向き合わせれば、涙と鼻水と唾液でぐちゃぐちゃになっていた。何なら、それぞれに赤の色が混じってすらいる。白雪は唇を、一度噛み締め、微笑む。
「おかえり。向日葵」
「――ああ。ただいま。白雪」
力無く、浮かべられた笑顔の下で、英雄の剣は静かに消えていく。
誰もが言葉もなく、立ち竦むことしかできない中で、京香だけが、それに気づく。
「あなた、それは」
指差したのは、向日葵の顔の、左。
中途半端に尖って、赤髪の間から突き出た、耳。
歪なソレの根元を、僅かに隠している、金色の髪。
「ああ。これ、は」
向日葵が耳に手を添えた、瞬間。
長い赤髪が、全て、ずるりと滑り落ちた。
ひっ、と白雪以外の全員が、驚愕に腰を引かして目を背けようとする、がしかし。直前に映った光景に、ただ、絶句した。
「おま、え」
震える弥生の、声の先。
短い赤髪、左側頭に、まばらな金髪と歪んだエルフ耳を生やす。
人間種の、男が、いた。
「「「――は?」」」
四人の視線が集う先、中心の男――向日葵は、白雪と静かに顔を見合わせ。
足元に落ちた、赤髪のウィッグを見下ろし。
一つ、頷き。
「どうも、空野向日葵です。こちらは妹の白雪」
「どうも白雪です。兄がいつもお世話になってます」
「「「ちょっと待てや!」」」
初めて会う人には自己紹介からと思ったが、間違えたようだ。
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