第三章 共和国(5)

 結局。馬鹿は一人で道行く幻影の九割方を殺戮した。


 担ぐ鉄棒は通算二十四本目の相棒。それさえ既に半ばからひん曲がり、跳ね返ったイロイロなモノに塗れている。初めの建材を圧し折ってから、そこらの品を次々手に取り得物も獲物も破壊しながら突き進んだ。後には赤い肉塊と、精々子供とギリギリ許せるラインのクズ(馬鹿判断)しか残らない。


 弥生は途中から全てを諦めたどころか、何の変哲もない日用品さえ凶器に幻視するようになって吐き気を覚え、強いて目を逸らしていた。少なくとも三日は台所に立てない。リビングにも入れない。トイレにも一人で行く自信がない。日常には死が近過ぎる。


「かなり暴れた気がするけど、全然何も起こらないな」

「霊界にすら、ドン引かれたんじゃねえのか」

「そんなもんかねえ。なんか、条件とかあるのか?」

「お前なら、もう勘付いてるんじゃねえのか」


 予想なら、できている。ふむ、と一つ頷き、歩きがてら持論を述べる。


「悪意、ってところか。あまりにも胸糞イベントが多すぎる。わざわざ見せられてる」

「大体そんなところだ。現実と大差はないがな。凝縮されてるだけで」


 なるほど、と納得する。弥生がなるべく周りの景色を見ないようにするわけだ、と。それにしても、無残な死体にたかる汚いハエ共が、多過ぎるように思ったが。


「別に、よくある話だった。魔術師でも工房師でも、殺しまでやる諍いは」

「はあー。マジで終わってんな、工房」


 うんざりと息を吐く馬鹿に、弥生は踵を返す。


「飲み込まれるってのは、ままの意味だ。悪意に飲まれる。幻の地獄に精神を擦り減らして、本人も気付かない内に、身も心もバケモノになっていく」

「それも現実と大差ないな。凝縮されてるだけか」

「根っからのバケモノには、大した意味がないところもな」


 弥生の皮肉に、馬鹿はヘッと口の端を歪める。次いで見上げたのは、目の前の大きな建物。病院、あるいは研究所といった風貌の、白くシンプルで潔癖な佇まい。


 まんまと誘われるように、辿り着いたそこへ、


「じゃあ、ここを潰せば終わりってことかね」


 馬鹿は、笑みを深める。


「もう好きにしろよ。俺は知らねえ」


 さっさと施設へ歩みを進める馬鹿へ、息を吐く弥生が続く。自動ドアを蹴りにてぶち破れば幻影共の悲鳴が上がり、建物の奥、さらに地下へと逃げていく。あまりにもあからさまなお膳立てに、馬鹿は鼻歌でも奏でそうなほどに喜色満面。だが、続く弥生の表情は、階段を一つ降りる度に険しくなっていく。


「大丈夫か?」

「てめえは、自分の心配しやがれ」


 あいよ、と答える片手間に、あらん限りの暴言を垂れながらへたり込むクソを処分。首と共に鉄棒が砕けたので、手すりを抜いて良き長さに折る。両手に回してさらに殺戮を巻き起こすのは押し込み強盗の有り様に他ならず。強盗目的でないなら、なお質が悪い。


 いつの間にか細く暗い廊下に入り込んでいた。照明は最低限の、赤い緊急灯だけが天井に光る。見るからに『入るな』と主張するデザインと、それにしては気持ちばかりのバリケードを乗り越え、突き進んでいく。しばし歩けば、突き当たりに半開きのドア。


『保管庫』と札のかかったソレ。一度振り返り、弥生は口元を抑えている、止まる意思は見受けられなかったから、思い切り蹴り開けた。


 ドアは半ばから凹み折れてかっ飛んでいく。ガランガランとけたたましく、存外に広い空間を響かせながら、何か鉄柵を揺らすような音と共に停止した。廊下同様、敢えて赤く暗い照明のみが灯される大部屋へと、踏み込み、


「コイツ、は」


 呆けた息を吐いた、視線の先。


 魔獣が居た。


 大量に、居た。大きいの小さいの、二足四足翼持ち、狼か虎か鳥か蜥蜴か、粘液や樹木や岩塊や鬼悪魔触手、人の形を留めていないモノまでバラエティに富んで多種多様。一体に一つ鉄檻へやが割り当てられ、あるいは雑に数体まとめて大檻に詰め込まれ。


 その全てが、こちらを見ていた。


『――バケモノめ』


 ドコのドレから発されたとも知れない、


『バケモノめ』

『バケモノめ』

『バケモノめ』


 言葉が『保管庫』を揺らし圧し掛かる。


『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』『バケモノめ』重なり重なり重なり続ける呪詛と呪詛と呪詛の汚泥に弥生が耳を抑えて膝から崩れ落ち


「うるせえ馬鹿」


 手すりの槍が檻の一つを食い破り中身を弾けさせた。


 沈黙が、降りる。


 投擲の残心、ゆっくりと顔を上げる馬鹿に、視線が集う。檻の中からも、背後で両膝を突く弥生からも。この場に存在する、弥生以外全ての視線を馬鹿は一つ一つ見返し、


「ケダモノ風情が。一端に人真似してんじゃねえよ」


 ――怒号。怒りも憎しみも悲しみも何もかもぐちゃぐちゃに掻き混ぜて唾を吐いてぶちまけた怨嗟が世界を揺らす。腐らせ崩して壊していく。侵し尽くす。


 その全てを、馬鹿はたった一人、受け止め、立っている。


「弥生」


 だから、だろうか。


 悪意だけが暴れ続ける、この地獄の底で。


「大丈夫だ。俺が、助けてやる」


 呟くようなその声だけが、やけに澄んで響いたのは。


 呆ける弥生へ、馬鹿は変わらず、立っている。肩越しに振り返る視線、その赤い背中に、この世全ての呪詛を突き刺しながら。立ち続けている。


「アレは、工房師か」

「……ああ。そう、だ」

「工房が?」

「研究、で。魔力を、出力させると」

「ふうん。無理矢理?」

「ちが、う。皆、自分で、望んで」


 そっか。


 馬鹿は、笑ってみせた。


「お前、なんも悪くないじゃん」


 残酷なまでに、澄み切った。


 青空のような、笑顔を浮かべた。


「俺、は。違う、俺は。何も、できなくて」

「何もできないことが罪だってんなら、この世には罪しかねえな」


 だから。


「壊しちまおうか。こんな世界は」


 再び、前を見据える馬鹿に。


 弥生は、目を見開く。


「霊術起動、『継承』」


 唱える、その右手に。


 紅蓮の光が、形作る剣を。


「お、まえ」

「分からん。なんか『剣聖コレ』だけはできる気がしたんだ」


 言葉にもしていない疑問に馬鹿は答え、両腕を振り上げる。


 英雄の剣。紛い物とて、紛うことなき、最強。国を一つ叩き潰して余りある赤き刀身が、この空間に澱む赤黒い闇を切り裂いて輝く。ケダモノ共の、醜悪な悲鳴が轟く。


「悪いな、どっかの誰か。借りるぞ」


 苦痛さえ、感じる間もなく消し飛ばす。


 ありったけの慈悲を込めて、振り下ろされた。











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る