第三章 共和国(4)

 ビクンと一度跳ねて、動かなくなる。硬直し始めた胸から腕を捩じり抜き、大量の血を足元にぶちまけた。髪を掴んだまま振り回し、空地へ向けて放り投げる。赤い放物線を描き、べしゃりと潰れ転がる音が、断末魔だった。


「焼くのも埋めるのも、ケダモノには過ぎた葬送だな」


 パッパッと両手を払い、既に欠片の興味もなく穢れを落とす、馬鹿へ、


「何、しているんですか。あなた」


 幻影の、少女が声を上げた。


 見上げる青い瞳、震える息に。


「ムカついたから殺した」


 普通だろ? 首を傾げる。


「そんな。そんな、理由で?」

「十分じゃねえか。お前、ムカついたから殴られたんだぞ?」


 少女は咄嗟に右手を抱く。その手の甲は、赤く腫れあがっていた。


 馬鹿は、頭を掻きながら、空を仰ぐ。


「だっつーのに、なんで殴り返されて、不思議そうな顔するかね」


 こんなことをされる謂れはないと。


 最期まで理解することはなかった、あまりにも醜悪な、被害者面に。


 腹の底からの、反吐が出る。


 でも、まあ。返り血に塗れた己の手へ、小さく息を吐き、


「思っても、やるやらないには雲泥の差だ。おススメもしない。キリがねえしな。


 生きてる価値のないクソもクズも――腐るほど、居すぎる」


 おや? と馬鹿は、己の言葉に首を傾げた。これは、知識だろうか、と。


 少女は、俯き。何かを言おうとして、顔を上げて、やめて。


 ふと、気付いたように、目を見開いた。


「そっか。それで、いいんだ」


 馬鹿を見つめる、瞳は。


 青空のように、澄み渡って。


「ありがとう、ございます」


 両手を身体の前に揃え、礼儀正しく、深く頭を下げて、消えて行った。


 ふう、と肩の力を抜き、返り血を拭う馬鹿の後頭部に拳が叩き込まれた。弥生だ。完全な不意打ちに防御も受け身もクソもなく顔面から地に叩きつけられ縦に回転しつつ数度のバウンドを経て家屋の外壁へと頭から突っ込んで止まる。


「何してやがんだてめえは!?」

「あれ? えっと、俺、何かマズった?」

「なんで欠片でもマズってねえと思ってんだ!?」


 被害者面の馬鹿に、弥生は左手の握り拳を震わせる。馬鹿が「あははー」と頭を掻けば、騒ぎに幻影共がうろうろと集まり始め、血みどろの惨劇を興味深げに眺めている。


 そんな、どこまでも、クソッたれな景色に。


 弥生は歪めた口に舌打ちを叩きつけ、


「……少し、気が晴れた」


 肩を落としながら、大きく息を吐いた。


 拳を収める弥生に、馬鹿は吹き出す。そのまま、からからと朗らかに笑い、


「後ろ見ろよ。野次馬共が肉塊の写真撮ってるぞ。大概クズしかいねえなここは!?」

「なんでお前は嬉しそうに、あ、オイ待て! アレには関わるなって」

「一回も二回も変わんねえよ! どうせ幻だろ、もう全員まとめてぶっ殺そうぜ!?」


 弥生の制止も虚しく、馬鹿はそこらの建材を担ぎ上げ幻影の群れへと突っ込んでいく。次々に上がる悲鳴、血飛沫、肉片。繰り広げられる殺戮の嵐。満面の笑顔、幸せの絶頂とばかりに返り血に塗れる馬鹿の殺人鬼。


 弥生は、それを止めようとして。


 本気で止めようとしていない、自分が居ることに気付いた。


(そういえば、どこかで)


 こんな景色を、見たような。


 望んだことが、あったような。


 ふいー、と木柱担ぎ良い汗に血をかいて、額を拭い戻ってきた馬鹿に、


「なあ」


 弥生は、眉根をひそめる。


 ん? と呑気に首を傾げる、馬鹿へ。


「さっきの、白いのは。お前から見て、どうだった」

「ああー、アレもかなりのクズだったな?」


 平然と。


「正しいことをする、自分が救われたいだけだ。心の底から他人の救いなんて願ってねえ、むしろ今すぐ壊れちまえと思ってる。

 ――その自覚もあるから、なお質が悪い」


 答えに、弥生は唇を噛み。


「でも……、足掻いてる、ような気はした。嫌いじゃない」


 だから助けたんだけどな、と笑う。


 あまりにも屈託のない、純粋すぎる笑顔に、弥生はしばし、呆けて。


「お前は、その」


 もう二つだけ。弥生はこの馬鹿について、覚えていたことがあった。


 一つは、霊術。他者の霊術を模倣するという、その力。


 もう一つは。


「んお? また大人が子供イジメてんな! よーし、殺ーす! 行くぞ弥生!」

「行かねえよ! オイこら、待ちやがれ!」


 嬉々として駆けていく、赤色の背中が。


 恥も外聞もなく掲げた理想には、どんな意味があったのか。











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