第三章 共和国(3)

「お前と、剣聖を止める時に、霊災を起こした」


 自分の手で、と。それは、世界を覆しかねない一言。


 静かに、次の言葉を待つ。


「何かのきっかけで、ここに接続したんだろうな。だから、まだ完全に飲み込まれたわけじゃねえ。幻影に無視されてるのが、その証拠だ」

「飲み込まれたら、どうなる?」

「魔力を暴走させられて、魔獣になる。最後に霊力へ分解されて、消滅する」


 荒唐無稽な話だ。


 感情にて拒絶しつつ、理性にて納得する。


「霊界の内部は完全な異世界。入って、出てこられる奴はいない。マジだな」

「ああ。少なくとも神域の英雄撃破率は、現状百パーセントだ」


 だから、と。


「認識されてない、今が機会だ。幻影共には構うな。さっさと出るぞ」

「了解。道案内は頼んだ」

「虱潰しに行くしかねえけどな」


 踵を返し、前を行く弥生は随分と落ち着いたものだ。慣れている、と感じた。迷いの無い歩み。幻影を避ける、人通りの少ない道選び。魔術をもって駆け回る小型コンテナを引いた自転車や、航空便の有翼種など、活発な交通運輸に見向きもしない。


 勝手知ったる。無意識にしか成し得ない、所作の数々。


「来たことがあるのか?」

「共和国に住んでりゃ、誰でも一度は来る。学校行事だ」


 踏み込むべきか、悩む。見目にはただの近代都市を、すぐに工房と断定した自信。幻影共、と見下し蔑むような言葉選び。なによりも。


(そもそもお前、魔術師だろ)


 己と、魔術師とを。


 敢えて切り分けた、理由は。


「……俺は、なんか。嫌いだなこの街。どいつもこいつも、作り笑いだ」

「よく見てるじゃねえか。俺も、嫌いだよ」


 飲み込むことに、決めた。


 今は、まだ。


 弥生に先導され、建物と建物の間を抜け、裏路地へと入る。空地の多い開発途上の区域だ。人の姿はほとんどなく、稀に小さな子供たちが遊んでいる程度。弥生は相変わらず、それらに目もくれず、さっさと歩みを進めて。


 唐突に、止まった。


 目的地か? と前を覗くが、特に何もないように見える。精々行く先、道の端、家屋の裏に隠れるようにして、少女と、男性が居るだけだ。


 弥生はそれを見ていた。深紅の瞳を、静かに、見開いて。


 もう一度、先の二人を見る。少女は銀の長髪。年は十二、三といったところ。白い長袖のワンピースを着ている。屈み込んで、うずくまる男性に視線を合わせていた。


 男性は、抑えた右腕から血を流していた。傍らには木製の柱が転がっている。作業中に怪我をしたのだろうか、苦悶に顔を歪める男性へ、少女は小さな手を差し伸べ。


 叩き落された。


「触るんじゃねえよ! 魔術師バケモノが!」


 少女の青い瞳が、見開かれた。


 咄嗟に引いた手を、胸の内に抱いて、握り締め。


 それでも、笑顔を取り繕い、もう一度手を差し伸べた。


 また、叩き落される。今度はより強く、怒りと憎しみを込めて。


 荒く息を吸う音に隣を見れば、弥生が僅かに俯いていた。両の拳を、手の平に爪が食い込み血が滲むほどに握り込む。奥歯を、自ら砕かんばかりに噛み締める。


「行くぞ」


 弥生は踵を返す。悪夢から、目を背けるような、所作に。


 どうしてだろうか。ただの幼い、無力な少女の姿が重なるようで。


 馬鹿は、馬鹿であるがゆえに、取り合わなかった。


 一歩を踏めば、オイ、と背中に弥生の声が掛かる。無視する。一歩ごとに歩調を強め、歩幅を広げ、歩速を上げ、前傾姿勢からの全力疾走にて。


「え?」


 心底不思議そうに、呆けた声を漏らす、男の頭を蹴り砕いた。


 幻影のクセに、一端に血が赤いもんだ。侮蔑を込めて思い、無防備に倒れ込む身体を踏みつけ砕く。嗚咽さえ汚らわしいまずは喉。なるべく苦しませる手足。即死には至らない腹と胸。おおよそ、半分程度が痙攣するだけの肉塊と化したのを認め、足先で頭を転がす。血泡と吐瀉物を蛇口のように吐き出す虚ろな目。左腕で髪を引っ掴み吊るし上げ。


「さようなら。ケダモノ」


 死の瞬間を、己の面を焼きつけて、右の拳で心臓をぶち抜いた。











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