第二章 英雄たち(9)

 向日葵は手近な木の幹に屈んで背を預け、魔力を通し硬質化、さらに足元から土壁を多重に生成し、爆風をやり過ごす。幹が頭の少し上から折れて吹き飛び土壁が最終層一枚前まで砕けるが問題ない。白雪に通信を試みる。


「白雪、ルーク。大丈夫か」

『大丈――少し通――』


 雑音混じりの声に、安堵の息を吐く。ノイズの走るマップに目を向ければ、更地となった爆心地に、二つの黒い点と、一つの、赤い点。


「このまま行く。ヤバそうなのが残ってる」

『支援――い――つけ』

「了解。なるべく手は出さない」


 一度だけ目を閉じ、駆け出す。試しに短剣を一本生成する。やや精度が甘い気がするが問題無し。元より使い捨てのナマクラだ。刃が薄ければそれでいい。


 爆心地付近で、樹上に飛び移る。霊災の爆心、力任せに均された更地には、ひときわ大きな二体の魔獣、だったもの、が真っ赤な血溜まりに散らばっていた。頭が、四肢が、胴が。無造作にしかし異様に美しい切断面をもって切り飛ばされている。


 その先に、レーダーが赤色にて示す、獣が居た。


 黒く、巨大な四足獣だ。体躯は大人三人分を超える、狼とも虎ともつかない極黒の獣。全身には、体毛の代わりに影のようなナニカが揺らめいている。輪郭すら定まらない頭には、おそらく目だろうか、赤い光が二つ浮かんでいた。


 名状し難き風貌。神話の化け物を思わせる威容。


 単独で仕掛けるのはマズい。直感にて確信する。白雪の支援が復帰するのを待つと決め、枝に腰を下ろし息を潜める、向日葵へ。


 目が、合った。


 反応が良すぎる。獣の咆哮を躱すように飛ぶ、向日葵の背を黒い影の一閃が掠めた。立っていた木がハツれる。幹の半ばが触れた影の形に、きっちり几帳面に、根こそぎ抉り取られた。根元とサヨナラした枝葉が重力に従い、だるま落としに砕ける。


 なんだ今のは。原理不明、ならばと思考する間もなく獣が来る。突進。向日葵はポーチから無造作に掴み取った鉛弾を乱射しつつ自分の身も投げ回避する。弾丸は獣の身体に触れた瞬間に掻き消え、続けて顔面に放る短剣も同様。跡形も無く、牽制にもならない。


 踵を返した獣の咆哮。地獄の底から響くような叫びに大気が震える。前脚を踏みしめ前傾姿勢に再度の突進、に先んじて迫る影は尻尾だった。よく伸びる。向日葵は回避を、しない。回避先を読んだ黒い尾が頭上を掠め左側の地面を削り取った。砂埃さえ散らさないのだな恐ろしい――、勝ち目が無い。今は。決め込めば次の選択は一瞬。


「お前、人か」


 獣の脚が、止まった。黒い影に、揺らめく二つの赤が向日葵を見据える。


 向き合う両者の間に、流れる沈黙は、永遠のようでいて、僅か数秒。


『この姿を、人と言うか』


 腹の奥を震わせる、重く太い声。


 幾重にも反響し混ざり合う声音は、人とも、この世のものとも思えず。


「話が通じるなら、人でいい」


 向日葵はただ、そう断じて、刃を収めた。


 獣は警戒を解かないまでも、動かない。対する向日葵は地面にどっかと胡坐をかき、肩を揉み解しながら欠伸などかましている。後ろ手に上体を預け懐から取り出したるは悪名高き『50MCAL』だ。ぐびぐびと飲み干せば完全な休息の有り様にて、表情は判然としないまでも口を半開きにした獣へ、片眉を上げ、


「いる?」

『要らん。なん、なんだお前』

「何って……」


 はて、何だろう。今更のように、自分を定義する言葉をもっていないことに気付く。根無し草の魔術師。住所不定無職。魔獣狩り、殺人者、英雄? まさか。崩れですらない。本気で呆けていたので、突如頭上から降り注いだ攻撃と敵意に反応できなかった。


 白い光、の刃のような。あるいは槍、もしくは柱。向日葵と獣とを隔て、地面に幾重にも突き立つ。相当な高温を伴っているのか、触れた土が煙を上げて焼け焦げている。


 影の次は光か。同じく原理不明の産物。


 放り投げた空容器が、触れて蒸発するのを見届け、立ち上がる。


「動かないでください。次は当てます」


 女の声に顔を上げ、光の向こうを見る。ふわりと、重力を感じさせない動きで舞い降りたのは、白い和装の少女だった。見目は十代半ばのようだが、白の外套を目深に被っており判然としない。溢れる長髪は銀。フードの奥に、青い瞳が僅かに覗く。


 隠しもしない敵意と実力による警告に、向日葵は腰に片手を当て、


「動いてないが」

「え? あ、そうですね。じゃあ、動いたら撃ちます」

「もう撃ってるが」

「え? あ、そうですね。じゃあ、撃ったら動きます」

「何が『じゃあ』なんだ?」


 よく分からないやり取りをしている内に、背後の木々をかき分け白雪とルーカスが姿を現した。なぜか人形を抱いた白雪は、少女と獣を見て、呑気してる向日葵に首を傾げ、


「どういう状況?」

「鬼……、いや、弾幕ごっこ中かな。えーと、今は結局どっちが自機?」

「『そんな話してねえよ!』」

「もう仲良くなったのね、やるじゃない」

「ああ、また被害者が増えてる……」


 霊災の爆心地で叫ぶ少女と獣に、両手で顔を覆うルーカス。地獄絵図。


 気を取り直すように咳払いする少女は、獣を庇うように一歩を踏んだ。視線の先、両陣営を隔てる光の壁が、中空に解けて消えていく。


「帝国の、英雄ではないのですか?」

「世界の覇権とやらに、興味はないな。目の前の人助けで手一杯だ」

「人、助け。……久しく、聞かなくなった言葉ですね」


 少女は、獣の頭を軽く撫でる。


 ふっと小さく息を漏らし、でも、と。


「どうぞ、お構いなく。私たちに、あなた方の酔狂に付き合うヒマは」


 明確な、拒絶の言葉は。


「そいつは、俺も同意だなあ」


 真上から響く、若い男の声に遮られた。











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