第二章 英雄たち(6)

 耳をつんざく警報が、街中に鳴り響いた。


 次いで、爆発音。彼方より吹き荒ぶ衝撃にアスファルトが捲れ窓ガラスが砕ける。咄嗟に頭を抱えて屈む四人の中、白雪は外へ向けた視線、網膜上のディスプレイに見た。膨大な霊力の奔流、異常に過ぎる超高霊圧、次々にダウンする都市の魔術インフラ。


「霊災!? もう始まったって言うの!?」

「崩天霊災だったらとっくに死んでるさ! このくらい日常茶飯事だよ!」


 アマリリスの叫びを背後に、向日葵と白雪は外へ出る。痛々しい傷を刻まれた街並み、森から飛来する土砂と大木。過ぎ去る爆風が残すのは、容赦ない破壊の跡だけではない。


『――オオオ』


 咆哮。


 後に、外壁の検問を砕き現れた、異形の獣。


「魔獣――」


 向日葵と白雪を追って、外に出たルーカスが、呆然と呟く。


 土煙の中より顔を出したのは、猪のような魔獣。大熊に勝る巨躯に、前面に突き出た牙、紫色の分厚い体毛に覆われる。口を大きく開き、怒りを露わに咆え猛る。


「誰に怒ってんだか、こっち見てねえか?」

「何か気に障ったのかしらね、もう来てるわよ!」

「二人とも、下がってください!」


 突撃、迫り来る魔獣へルーカスが立ちはだかる。屈んで地面に手を突き、


「術式起動!」


 叫べば、魔獣の足元が爆散し身体を粉々に吹き飛ばした。即死は明白。むせかえる炎と煙の中、向日葵が口笛を一つ吹く。


「良い手際だな。やるじゃんルーク」

「元々あった防衛魔術を、動かしただけです」

「咄嗟に動けるなら大したものよ。でも」


 白雪が目を向けた先、爆炎の向こうに、影が揺らめく。


 同じ姿の魔獣。だが、二匹。目敏く仲間の死を察し、既に三人を標的に据えている。


 ルーカスが再び地面へ手を突くが、しかしその目が見開かれた。焦ったようにペタペタと足元を叩き、硬直する。


「術式が、逝ったか」


 向日葵の呟きに、ルーカスは肩を震わせるも、答えない。代わりに立ち上がり、外套の内、腰の後ろから抜き放ったのは、肘から先程度の刀身を持つ短剣だった。


「良い魔装だな。機能は」

「身体強化、自動迎撃。魔力通せば、子供でも戦えます」

「なるほど。高位なら、近接戦闘でも一匹は確実に仕留められるな」


 相打ち覚悟で、だ。


 二匹ならば、どうなるか。


「大丈夫ですよ」


 だが少年には、覚悟があった。


「僕の力は、誰かを守るためにあるんですから」


 震える手で、武器を取り。


 笑顔を作る、覚悟が。


「白雪?」

「もう始めてるわよ」


 ゆえに、向日葵も白雪も取り合わなかった。向日葵はルーカスを押し退けて前に、白雪はそのまま一枚のディスプレイを展開する。


「え、いや、ちょっと!? あなたたち、中位ですよね!? 自殺行為ですよ!?」

「今まさに死のうとしてた奴に、言われる筋合いはないなあ」

「目の前で自殺しようとしてたら、さすがに止めるわよ」


 この場の誰にも言える筋合いの無い言葉を交わす三人へ、アマリリスが店の中から声を掛ける。出しゃばって邪魔をしない立ち位置、ちゃっかりしてるなと向日葵は思いつつ、


「やれるのー?」

「やるよ。そこで大人しくしといてくれ」

「クソの正面戦闘よ。向日葵、惜しまず行くわ」

「オーケー。任せろ」

「ダメです逃げてください! 時間稼ぎなら、僕が」

「大丈夫だって。俺が、助けてやる」


 向日葵は、皮肉気な笑みを浮かべる。


「こう見えても、そこそこ強いんだぜ?」


 呆けるルーカスに踵を返し、向日葵は腰を落とす。やや前傾姿勢に、術式起動、魔術にて手の内に生成したのは短剣だ。ルーカスのソレよりもやや短い、ましてや一瞬の生成物。そこらに転がる砕けた建材を、適当に固めただけの、見るからにナマクラ。


 そんなもので、とルーカスは絶句する。そして、そんなものでも魔獣の敵意を引くには十分。魔力の行使を敵対と取り、吠える。ハナから敵対しているにもかかわらず。


 だから、気付けなかった。


 向日葵の背後、白雪が密かに投げ打った、黒筒の投擲物に。


「ルーク。目と耳、塞いでおきなさい」


 否。気付いても、どうしようもなかっただろう。直後に弾けた、閃光と爆音。咄嗟に丸くなり目と耳を塞いでいたルーカスの、なお網膜を鼓膜を痛めつける衝撃の前では。


 自身のうめき声さえも聞こえない白色の嵐は一瞬、ルーカスのやや霞んだ視界の中で、向日葵は既に走り出していた。身動きを止めた魔獣の懐へ飛び込み、


「術式起動」


 その喉元を、一撃でぶち抜いた。


 切っ先を腰溜めに、全速度全体重に魔術を加えて魔獣の体内へ埋没させる。さらに柄尻へ左の掌底を叩き込み延髄まで貫通させた。交錯は、一瞬。鮮血が舞い、血あぶくを吹いて魔獣が倒れる。向日葵は即座に切り返し、残るもう一体の魔獣へと身体を向け、


「そっちはいいわ、もう終わる」


 魔獣の片目が潰れ、次の瞬間に頭蓋が爆散した。即死だ。ルーカスが隣を見れば、白雪は右腕を真っ直ぐに伸ばし、軽く握った拳に親指を立てている。


 瞬く間に屠られた魔獣。何の魔術を使ったのか、いつ使ったのか。


 何も分からず呆けるルーカスの視線の先で、向日葵はしゃがみ込み、魔獣の死骸へと手を当てていた。毛皮をまさぐるように、一体、二体と触れ、目を閉じる。その傍らへと、白雪は静かに歩いていき、


「向日葵」

「ああ。人じゃない」


 ルーカスは息を呑んだ。殺してから確かめる、その行為に。


 恐怖を、抱いてしまった。


「お見事。さすがは異国の英雄様?」


 冷えた空気を散らすように、アマリリスが手を叩きながら歩いてくる。返り血を拭う向日葵は、息を吐きながら半目を向け、


「どうも。最高の褒め言葉だ」

「まだ終わってないけどね」


 白雪が手元の画面から顔を上げた先、森で大木が宙を舞い、鳥がバサバサと飛び立つ。


「先手必勝、だな」

「一撃必殺もね。行くわよ」


 それだけ告げて、向日葵と白雪はさっさと行ってしまう。止める言葉もなく、呆然と立ち尽くすルーカスの肩に、アマリリスが手を乗せた。


「ま、多分ああいう生き物なのさ。よく似てるよ、ウチの親父と」


 本人たちは認めないけどね、とウインクを一つ。


「放っておいてもアイツら解決して戻ってくるだろうけど、どうする?」

「僕、は」


 ルーカスは、短剣を見る。未だ震える手の平を見る。何を思おうにも、頭はまともに働かない。何もできなかったこと、何もできない自分に、安堵すら、している。


 反吐が、出た。


「ムカつきます。ああいう、生き方」

「君も、難儀な性格してるねえ」


 アマリリスは苦笑し、ルーカスの背を叩く。


「代表命令。見極めて来な。あの二人が、共和国にとって、どういう存在か」

「――っ! はい!」


 頷き、走り出す。小柄なれど俊足、魔術を乗せればなお速い。ほどなくして隣に並んだルーカスへ、向日葵と白雪は揃って苦笑する。損な性分だと、他人事に。


 防壁を抜けて森の入口へ。向日葵は無手にて、準備運動がてら、腰のベルトやポーチを検める。白雪は己のほぼ全周を覆うように、多量のディスプレイを展開させていく。


 異常な光景だ、とルーカスは夢見心地に思う。


「無茶はしないでね。こっちもさせる気ないけど」

「分かってるって。もし、ヤバかったら」

「名前くらいなら、いくらでも呼んであげるわよ」

「ああ、それで十分だ。頼む」


 世間話のように交わされる言葉には、どんな意味が込められているのか。


「データリンク完了。いつでも行けるわ」

「うし。それじゃあ、行こうか」


 駆け出す向日葵の背は、すぐに森に消えて見えなくなる。


 彼女らのことは分からない。彼女らの用いる魔術も、実力も。掲げる理想も何もかも、一つとして、分からない。


 だから、知ろうと思った。


 見届けようと思った。


「まあ、見てなさい。中位ザコには、中位なりの戦い方があるのよ」


 白雪を囲むディスプレイの一つ、地図を表示した中に、十数個の赤い点が生まれる。


 向日葵を示す、青の点が、真っ直ぐに走り、


『目標補足、突入する』


 戦闘開始。











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