第5話 滅ぼされるもの
ここにいる筈がない青年だ。
旅の中で幾度となく彼に護られていた。
それが今も同じように盾を構えてホロヴォロスのブレスを受け止めている。
正確には天騎士のもつ光の防壁が幾層にも重ねられ、ブレスの威力に防壁が割られるごとに新たな防壁を追加しながらそのブレスを受けているようだ。威力に押されてじりじりと後退しながら迫ってくる背中を眺めながら、言葉を零す。
「なんで、あんた、ここに……」
受けたダメージに意識を持っていかれそうになるが必死に踏みとどまる。ここで意識を喪ったら、何か……とりかえしがつかなくなる様な気がするのだ。
「世界を見届ける前に、まずやらなければいけない事がある……俺は君に―――裁かれに来たんだ」
……なんて昏い声。
絶望と後悔で塗りつぶされた者にしか出せないような、明るさを感じさせないその声色に違和感を感じる。アンタ、そんな奴じゃなかったでしょ。
誰かを見捨てるような事をしない、それが困難な事でもあきらめずにやろうとするアルの選択に、ため息交じりに呆れながらも一番最初に賛同するのがアンタだった。
無気力で、どこか軽薄で、ちょっと皮肉屋で、それでいて人一倍情に篤い奴、だったでしょ。
それが、私に、裁かれるですって?私が、ラウルを……?何故、と思ったところで理解した。ラウルはアル死なせたその責任を感じている。そして、アルに惹かれていた私の気持ちも、知っている。
だからその責めを求めに来たのか。
さっき感じたとりかえしがつかなくなる予感というのが理解できた。
今この場でなら、ラウルは命を落としても良いと―――いや、私に糾弾されて死ぬならそれもまた運命と受け入れているのを感じたからだ。
恐らくラウルは、何か自分がやろうと思っていることよりも先にまず、自分の命の裁可を委ねにきたのだ。
馬鹿なの?アホなの?身体が自由に動くならすぐさま張り倒してやるのに。
何を言っているんだ、アルの死はアンタ一人が背負うものじゃないでしょうと、叱り飛ばしてやりたくなるがその話はあとできっちりしよう。
「裁く?……ばかなこと、いってんじゃ、ないわよ。アルの事はアンタの責任じゃない。アンタは生きなきゃダメでしょうが」
起き上がれるなら胸倉掴んで説教してやるところだが、それもかなわないので精いっぱいの怒気をこめて叱ってやる。見た目はともかく私の方がずっとお姉さんなんだから年上らしい事だって言わせてもらう。
「あとで詳しい話、聞かせてもらうんだからね」
くやしいが、ここまで喋っただけで体力が限界を迎えて、もう言葉を発することもできない。死んでいないのが不思議な位だが、これも女神の与えた力のお陰だろうか?
「……わかった。それじゃ、この場は俺がなんとかしよう」
私の言葉に、苦笑するような……少しだけ、旅をしていたころのような声色でそう応え、ラウルが、腰から剣を抜いた。
艶も輝きもない、黒く塗られた刀身の剣。光を反射しない、完璧な黒い刃。いつもラウルが使っていた剣とは違う、いや、あれは……
「それは、―――アルの、聖剣?」
私の呟きに、ラウルは答えずにその剣をホロヴォロスに向けて構えた。
黒い刃であること、そして鍔や握りや柄頭が鈍色に置き換わっているのを除けば、アルが使っていた聖剣と瓜二つだった。
「おや、わかりますかエルフの姫。想い人の持ち物と同じ造形であれば、当然という事でしょうか?」
いつのまにか、私の傍に角を生やした侍女服の女が立っていた。気配もなく、どこから現れたんだろう。私の探知にも引っかからなかった?……そういえば、ラウルも突然現れた。それこそ、急にそこにいた。私の探知にも引っかかることなく。何かがおかしい。
「誰?アンタ、何者……?」
そんな私の問いかけに、にこり、と笑みを浮かべる侍女服の女。
「私は――――魔神です。今は天騎士殿の押しかけ愛人希望と言ったところでしょうか」
何を言っているのかさっぱりわからない事を言いうつ、私を助け起こし私の傷口に手を当てる魔神。受けていたダメージが見る見るうちに回復していくが、この侍女は何なんだ?魔神、と言っていたがこんな奇跡のような技を行使できるものが、変態聖女の他にいるとは信じられない。
「フフフ、天騎士殿の新しい剣のお披露目です。括目してご覧くださいませ」
右手にもった剣をゆっくりと上段に持ち上げる様に構えるラウル。そして、その動きに合わせて、瘴気のような黒いオーラが滝の瀑布のようにその剣から噴き出した。
何なのだあれは、まともなものじゃあない事は確かだ。少なくともいままでこの世界に存在したものではない。
……ラウル、アンタ一体どうしちゃったのよ。
「天騎士殿、それは死んだ勇者の聖剣と同じ威力、同じ反動、同じ負荷に設定しておきました。―――男の子ってこういうのが好きなんでしょ?」
魔神と名乗った女のそんな言葉に答えることなく、ラウルは盾を捨てて両手で剣を握った。ラウルが両手で握りこむのに合わせてさらに強く放出される黒い光―――それを光と呼んで呼ぶべきかはわからないが―――が強くなる。
「黒い、聖剣」
思わず零した私の呟きに、魔神がフフフ、と笑っている。
ラウルが上段から振り下ろされるように放たれた黒い聖剣からほとばしるのは、闇。輝きと共に両断するアルの聖剣とは反対に、輝きを吸い込み黒く塗り替える黒一色の奔流が、ホロヴォロスに向かっていく。
「あ」
それは単純で明快な一文字の音だった。ラウルの口から、その言葉だけが絞り出されている。
「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
ラウルの叫びは息の限りを越えて続き、腹の底から絞り出すような、渾身の絶叫となって響いた。その声に呼応するかのように黒い聖剣はその闇を増し、ホロヴォロスの右肩に食い込むと、そのままその身体を押しつぶすように裂いていく。
すり潰し、叩き潰し、ねじ切る、唸りを上げる鉄槌のような一撃。
鋭利に一閃するアルの聖剣とは違い、力任せに引きちぎるような恐ろしいラウルの黒い聖剣……いや、違う。これは…。
「魔剣」
誰にでもなく出た私の言葉に、魔神が
「正解です」
と満足気に頷いている。
袈裟懸けに、めり込むような傷跡ともに身体を断ち斬り、竜の身体を歪ませながらその身体をねじ切るように力任せに引き裂いていく。死の激痛に悲鳴を上げるホロヴォロス。
ついには左肩から右脇までを肉が断ち切れ骨が砕ける音を鳴らしながら通過し、ついにはブヂンッ、という“何か”を千切る音と共に完全に断ち切った。
あまりにも凄惨で、悍ましい、命を引き裂く一撃。
ホロヴォロスの断末魔の叫びが響き、2つに断たれたその巨躯が地響きと共に大地に崩れ落ちた。
……勝ったの?
ホロヴォロスという主が討たれたことでその軍勢は踵を返し、散り散りに逃げていく。
魔剣を地面に突き立て、肩で息をしているラウルは心身を限界まで消耗したようで言葉を発することもできない様子だ。
「私の天騎士殿の雄姿に見惚れている場合ではありませんよ?何のために貴女を回復させたとお思いですか。
折角の魔物の軍勢、無駄にしてはいけません。そのために既に天騎士殿が南から北にかけてエルフの王都の周囲に防壁を展開しています。」
言葉の意図を理解した私は、月皇弓に魔力を込めて飛び立つ。ホロヴォロスが連れて来た魔物の軍勢を、後ろから追い立て、あるいは隊列が散らばらないように右翼から回り込んで追い立てる。ラウルの防壁は魔物の侵入を拒むように、まるで長城のようにエルフの国の南から北へと張られており魔物はエルフの国へと侵入することはできなくなっていた。
そしてそんな魔物の軍勢をエルフの国の南から南東へ、東へ、そして北東へと国を中心に反時計回りになるように誘導していく。
主を討伐された魔物の狂騒を、私が北側を離れた事で攻勢をかけていた人間の軍へぶつけるのだ。
エルフの国の砦に迫っていた人間の軍勢は、強力な力を持つ魔物の軍勢に瞬く間に肉塊にされ、食い散らかされていった。
専守防衛に努めるべく、砦から出ることなく堅守していたエルフの国の兵士たちは、その光景を傍観するのみ。指揮官が落命したのか、総崩れになり散り散りになって逃げていく人間の兵士たちを、魔物の軍勢が追撃していく。
魔物の軍勢の方が、人間の軍勢の方が強いのだろう、逃げる速度よりも追いかける速度の方が早く、塗りつぶされるようにして人間の軍勢は魔物達に文字通りに“飲み込まれ”ることになった。
しかしそれでも魔物の軍勢の勢いは止まらず、その先、人間の国の首都まで真っすぐ移動していく。このまま進めば数日もあればこの魔物の軍勢が隣国まで攻め入って、終わりになるだろう。
とりあえずは難を乗り越えたと思い、私はラウル達のいるエルフの国の南方へと急いで戻るのだった。
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