マーティン愛称事件2
エリザがひっそりと王宮を出てから1ヶ月が経っていた。
最初は誘拐でもされたのかと思って冷や汗が止まらなかったが、自ら城を出たと聞いた後落ち着いて考えてみれば、エリザが考える時間が欲しいのだと気が付いた。
彼女なら主張があるならまずは真っ直ぐにぶつけて来るはずだ。
とはいえ、いつまでも黙って待っているのも限界だった。
日々不安は増し、彼女がもし別れを決意して戻ってきたらどう説得しようかと考える毎日は何も手につかない。
エリザのいる空間ならどこだって自分の居場所となるのに、生まれ育った城ですら慣れない場所のように感じる。
エリザが滞在しているのは、3時間ほど馬車を走らせれば着く母の生家であるブランドン公爵邸だ。
居場所がわかっているからこそ、じっと我慢を強いられている状態が苦痛だった。
「マル、私明日出発することになったの。またしばらくお別れね。貴方の婚約者とも話したかったのにすごく残念」
本宮から自分に与えられている離宮へと帰ろうと歩いていると、フランチェスカに呼び止められた。
それを聞いて、慌ててブランドン家に手紙を出し、明日の訪問を知らせた。
近々、フランチェスカの弟であるドリスタン王子が外交官達と一緒にバリシネスに滞在する予定がある。
王宮への到着が3日後の予定だと話題に上ったことを思い出していた。
フランチェスカの弟と言ってもフランチェスカは正妃の娘であるが、ドリスタンは踊り子との間に出来た私生児だった。
すでに正妃の息子であるフランチェスカの兄である長男が立太子しており、さらに第二王子も存在する。
そんな中で第三王子であり私生児でもあるドリスタンに王宮での居場所があるわけもなく、父親である皇帝陛下は、不憫なほどに冷遇されているドリスタンに助け舟を出した。
友好国であり、正妃の療養で滞在実績のあるバリシネスに療養としてドリスタンを送ることに決めたのだ。
王妃がバリシネスにいて不在の間に、バリシネスへとドリスタンを送ることに決めた。
側姫としても認められていない愛人の平民の子と一緒に暫く滞在すれば、自分を広くアピール出来ただろうが、ドリスタンは自分が療養で不在だった時に出来た私生児だから屈辱に震えたことだろう。
フランチェスカ達の滞在が伸びた理由もここにあると考えている。
現在までバリシネスに王妃とフランチェスカが滞在しているのは、長く療養先であった教会本部への奉仕活動のためとされているが、予定よりも長い滞在になっている。
実際はドリスタンの滞在前に、自分の息のかかった侍従をバリシネスに置いておくためと推測された。
結論としては冬の流行病により第一王子、第二王子共に倒れ、ドリスタンが北帝国の皇帝に即位するので、今までの人生で他国のいざこざに興味を持ったことがなかったが、今回ばかりはそうはいかなかった。
ドリスタン一行がブランドン家に滞在し、王妃とフランチェスカが入れ替わるように北帝国に帰る。
明日、ブランドン邸でエリザとフランチェスカが会う可能性が出てきた。
王都から3時間ほどしか離れていないブランドン邸に停泊しなくとも、街路には宿泊できる教会もあるが、王族の宿泊は各領の邸宅を訪れることが多い。
王都で一緒に過ごさない事で、正式に愛人の子を認めていないと知らしめることはできるが、ドリスタンを連れた外交官達への圧力となる機会を逃すだろうか?
「すぐに届けてくれ。明日の朝一でブランドン公爵領に向かう」
馬車ではなく騎乗して迎えば今日にでも到着することが出来るが、子供である今出来るはずもなく、王宮を離れることはできなかった。
馬車の手配に人員の確保、ドリスタン一行を迎えるパーティがあることを考えればスーツなどの用意もいる。
フランチェスカを苦手としているのに黙って見ていることは出来なかった。
大きな騒ぎになるような事件が起きた記憶はない。
あったとしたら記憶に残っているはずだ。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
翌朝は生憎の大雨で、日が昇るのと同時に出発したが、泥濘に車輪が嵌り、馬具の交換も必要になり、ブランドン邸に到着したのは夕方のパーティが始まった時間だった。
雨を避けて何時間も遅れて出発したはずのフランチェスカ一行もブランドン邸にその後すぐに到着した。
それでも考え通りブランドン邸に宿泊することとなったフランチェスカ達よりも早く到着出来て安堵する。
パーティ開始後に北帝国の王妃が滞在することが決まった公爵邸は使用人達があちこちを駆け回っていた。
ドリスタンと王妃の関係も考えながら迎え入れるのは大変なことだ。
「ドリー!こっちも美味しいから食べてみなさいよ!」
「もぅリザ…そんなに食べられないよ…」
公爵邸の混乱もよそに、パーティ会場は賑わっていた。
領地内の貴族や駐在していた官吏達は娘や妻を連れて縁を繋ごうと必死だ。
そんな大人達のことは目にも入っていないようにテーブルでくつろぐエリザを見つけると、久しぶりに心が弾んだのだが、わずか数時間前に会ったはずのドリスタン王子と愛称で呼び合っているのが聞こえると、羽のように軽かった足は動きを止めた。
「楽しそうで何よりだな」
目の前でイチャつくようにされたら我慢できなかった。
エリザが子供相手にどうこう思っているなんて有り得ないことだが、事実なんてどうでも良く、自分以外の男と時間を共有していることが許せなかった。
久しぶりの再会なのに、子供相手に嫉妬しているなんて思われたくないが、自分を止めることが出来ない。
「マーティン、何でここに?」
公爵は今日の訪問を知っているはずだが、エリザには伝えなかったらしい。
エリザはドリスタンの手を取り彼を立ち上がらせる。
「ドリー、紹介します。彼はバリシネスのマーティン第三王子です」
「ドリスタンです。よろ…しく」
ドリーは少し怯えたように手を差し出した。
「マーティンだ。こちらこそよろしく」
マーティンはドリーの手をしっかりと掴む。
周りから両国の王子の握手に感激の声が上がる。
本当ならエリザを抱えて連れ出したいくらいなのだが、自分にはまだそんな力もない。
子供であることがいつも足枷になる。
「それで?マーティンはどうしてここにきたのよ」
「君を…」
言いかけたところで会場が一気に騒がしくなる。
『北帝国王妃カサンドラ様と王女フランチェスカ様だわ!』
『あぁ美しい』
予定になかった来場者に、誰もが目を奪われた。
高位貴族のみが参加するパーティ以外で、彼女達が招待されることはない。
小さなパーティに訪れた他国の王族に盛り上がりを見せていた。
「なるほどね」
エリザの目がやけに冷たく見える。
いや、軽蔑すら感じる目に愕然とした。
「おい、一人で勘違いするな」
「勘違い?この間は抱きつかれていたじゃない。お似合いよ貴方達」
今にも泣きそうなエリザの手を取り、歩き出そうとしたが、隣にドリスタンもいたことを思い出す。
「ドリスタン、お前も部屋に戻るぞ」
「え?」
俺は面倒な子供二人の手を取ってホールを横切る。
泣き出してしまったエリザの腰に手を回して、もう片方の手はドリスタンの手を掴んでいた。
こんな時までドリスタンをホールに残すことは酷だと考えを巡らせたことは後から褒めてもらいたいものだ。
「マルー!」
「うるさいフランチェスカ!お前は空気を読め!」
後少しでホールを抜けられるというところで後ろから声をかけられ、昔の子供の頃のように乱暴に怒鳴った。
「あら、ご機嫌斜めなのね」
あの楽天家だからこそドリスタンが皇帝になってからも嫁ぎ先で援助を受けられる。
所謂無知な姫だ。誰かの害になることは元々好まない。
恐らく冷遇されているドリスタンのことは全く知らされていないだろう。
「はぁ…ドリスタン、お前はちょっとそこでお茶でも飲んでろ」
「うん。ぬいぐるみは僕が触ってもいい?」
「あぁ、幾つでも持っていっていいぞ」
あからさまにピンクに色の塗られたドアを開けて中に入ると、ぬいぐるみが大量に置かれた部屋に溜息が出た。
祖父がエリザのために用意した部屋だと容易に想像がついた。
「エリザ、いつまで泣いてる?」
「私のぬいぐるみなんだけど」
「今世ではコレクターにでもなるつもりか?」
「せっかく貰ったんだから大切にはしているのよ」
ぬいぐるみが惜しいわけじゃない。
勝手に持っていっていいと言ったことに対して文句を言うが、本気で言っているわけじゃないことはわかる。
「なぁ、お前がどう思ってるかは分からないが、俺はエリザを感じながら生きていきたいんだ。気に入らなかったら殴っても蹴ってもいいからいなくなるな」
やっとこの腕にエリザを抱きしめることができた。
「マーティン…」
会えば誤解はすぐに解けた。
1ヶ月も会いに来るのを我慢していたのが馬鹿らしくなるほどあっという間だった。
「でも、今までに一度も浮気したことないの?一度も?」
「えっ…ないだろ普通に。抱くならお前を抱きたい。子供でも不可能ではない気がしてきたな…」
「ちょっと…」
「ハハッ冗談だから今夜からまた一緒に寝よう。今世の俺の目標はエリザと四六時中一緒にいることにするよ」
女性の立ち入れない場所というのは結構多い。
そうじゃなくとも連れて行きたくない場所ばかりだ。
男が集まればどんな社交クラブも下衆な話で盛り上がるだけで、そんなものに通わなくてもなんとでもなる。
今までは必要があれば行くことはあったが、浮気を疑われているとは思ってもいなかった。
一人で社交をしても帰りたいとしか思っていなかったというのに。
「二人とも仲直りしたの?」
ドリスタンはぬいぐるみを抱えていた。
王族でありながらぬいぐるみすら与えてもらえなかった日々を想像して、エリザと二人、久しぶりの子育てでもしているかのように子供向けの本を読んだ。
「リザ!」
「リザじゃない。エリザベスだ」
可愛いとは思っても、ドリスタンは男だ。エリザとドリスタンの間には自分が必ず入った。
油断も隙もない。
「あなたにそんなことを言う資格はないわよ」
そう言われて、フランチェスカがまだマルと俺を呼んでいることを思い出した。
エリザはずっと不快な思いをしていたのかと思って、申し訳なくなる。
次の日、「マル!今日のご機嫌はどう?」と朝食の席で声をかけられた。
「フランチェスカ、前にも言ったけど、婚約者がいる相手に愛称で呼び続けるのは、私にも、彼女にも、とても失礼なことだよ。今更敬称で呼べとは言わないけれど、恥ずかしい思いをするのは君だよ」
「マル…分かったわ!えーっとマルティヌス?」
「違う。バリシネスではマーティンだ」
「マーティン…マーティン…」
マーティンの名は初めて聖人となったセントマーティンから名付けられている。
彼女の国ではセントマルティヌスと呼ぶのだが、馴染みがない名前なのでマルと呼ばれることになったが、それを許していたのが間違いだった。
それから二日間雨が続き、フランチェスカも王妃も予定外に公爵邸に滞在した。
祖父は幼い子供達が滞在することを大喜びして、お抱えの商人を街から呼び寄せてプレゼントで部屋が埋まりそうなほどだった。
王妃は最初はいい顔をしなかったが、公爵があまりにも喜んでいるので、フランチェスカとドリスタンの交流を止めることができなかった。
ぬいぐるみがたくさん置かれた部屋で、四人が疲れて眠っている様子は、後に大きく評価される画家によって大きなキャンバスにおさめられ、両国の友好の歴史に残ることになる。
「エリザ、君のやりたいことリスト、もう次を考えないといけないね」
「ん…なぁに?」
エリザベスが王宮に残していった紙には、将来のドリスタンの虐殺を止めること、早くに亡くなるブランドン公爵に恩返しする事の二つが書かれていた。
ため息をつきながら四人の寝る姿を描いた絵画を買い取った王妃をチラリと見たあと、エリザをぬいぐるみのように抱きしめて俺は再び眠りについた。
ドリスタンはアカデミー卒業までバリシネスに滞在する。
それでも彼は、北帝国の重要な式には王族の一員として出席しているらしい。
らしいというのも、フランチェスカとエリザが予想外に仲良くなり、エリザの話で楽器に興味を持ったフランチェスカの留学に、俺たちも巻き込まれて音楽の街であるリーベアの街に滞在しているからだ。
「マーティン、貴方のおかげで本当に楽しいわ」
エリザに会って、初めて一緒に過ごした街は俺に取って特別な場所だった。
エリザが笑っていたら俺は楽しいんだ。
死が二人を分つとも、再び会える幸せをいつまでも噛み締めている。
願わくば、いつまでも君と。
公爵令嬢は逃げ出すことにした 佐原香奈 @heartof-gold
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