消えない罪

エリザベスはこの人生で初めて過去が変わったことに気がついた。

今まで鬼ごっこの場面から前の記憶は対して変わらないもので、幽霊のように過ごす日々も当たり前のことだと思っていたが、どうやら違ったらしい。



この人生でも父と義母に優しくされることはないし、後継者教育の時間も変わらなかったが、アリエルが毎夜私のベッドに忍び込んでくるほど仲がよかった。




「お姉様、今日は一緒に寝てもいいでしょう?」




当たり前のように枕を私の隣に置くアリエルが、私のおかしな記憶が正しいことを証明してくれていた。



「ごめんね、しばらく一人にしてくれない?」



私は可愛い妹の願いも叶えてあげないほど余裕がなかった。

今までの人生では自分でアリエルとの距離を決めることが出来たが、回帰したこの人生では強制的にアリエルとの時間をとらされてしまう。



私は必死にアリエルから逃げる日々を送ってきた。

私の最大の関心は、そろそろ訪れるであろうバリシネス国王の歓迎パーティの知らせだ。

いつもと違うというだけで、今回こそはマーティンは現れないかもしれないと頭を過ぎる。



私はもう家族を恋しがったりしないし、死んだように家で過ごす事に恐怖を感じることはない。

寧ろマーティンが来るまで放っておいてくれと願うほどだ。



私はこの家になんの期待もしていないし、それでいいと思っている。

ここはマーティンが来るまでの仮の家で、この家に縛られる時間がとても短いことを私はもう知っているのだ。



私はアリエルをひたすら避けてマーティンが来るのを待っていた。




✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎


「嫌なの!お姉様と一緒にその日はお留守番するの!お願い!」



私は家庭教師の先生を迎えて部屋へ行く途中だった。

階段の横にある父の執務室からアリエルの駄々をこねる大きな声が聞こえた。

甘やかして育てられたアリエルが、大きな声を出して駄々を捏ねるなんて見たことのない光景で、自分に関係のあることもあって、私は足を止めた。



「私は部屋へ先に行っておりましょうか?」



「申し訳ありません。私もすぐに向かいます」



普段は厳しい先生も、良くも悪くも家庭の事情には口を挟まない。

彼にも私と関係のあることだと聞こえていたようで、先に階段を登って行った。



「お父様?アリエル?」



私は数度しか足を踏み入れたことのない、少しドアの開いた父の執務室のドアを押し開いた。



「あぁ、エリザベスか」


「お姉様…」



アリエルは驚いたように振り返り、父はアリエルに呆れているのを隠すこともなく私の顔を見た。



「私のことで何かありましたか?」



この言い方があまりにも他人行儀だという自覚はあったが、彼らとの距離は他人に最も近い存在という位置付けはずっと変わらない。

こうやってまともに顔を見ながら話しをするなんて数える程度しかない。



「いや、今度バリシネスの国王陛下の歓迎の社交パーティが開かれるそうだが、アリエルが行きたがらなくてね。姉であるお前ならそのパーティが断れないものだと分かるだろう。アリエルを説得してくれ」



父は対応に疲れたとでもいうように、椅子に座り込んだ。

私を社交界デビューしたてのどこかの令嬢だとでも思っているのだろうか?



「バリシネスの国王陛下のための歓迎の宴ということであれば、陛下主催のパーティだということです。本来であれば子供に招待状は届きませんが、私たち子供にも招待状が届くのであれば参加せねばなりません」



いつもと違う人生の展開に、マーティンが来るのか不安に思う時もあったが、この人生でもマーティンは迎えに来てくれるようだ。

一刻も早く会って、この薄気味悪い時間を終わらせたい。

私の答えは完璧に近いものだ。



「お姉様はヘンリーのことはどう思ってるの?」


「どういうこと?」



唐突な質問に、私の頭はついていかなかった。

幼く、前例のない動きをしているアリエルの考えていることが分からない。

いや、アリエルの考えていることなんて分かったことはないかもしれない。



「この間ヘンリーが来た時も、その前に来た時もお姉様は会いもしなかったじゃないですか!」



アリエルがムゥっと口を尖らせて怒り出したので、もしかしたらアリエルはヘンリーを好きになったのではないかと考えた。

私はアリエルとヘンリーにはなるべく会わないように配慮しているだけだ。

絶対に変えられない過去が変わったのだから、マーティンに会うまでは慎重にならなければならない。



「朝のダンスの練習で貧血を起こして安静が必要と言われ、この間は直前に足を挫いて冷やす時間が必要だったと聞いてないの?」



「もういいだろう。エリザベスは授業に戻りなさい」




どちらも仮病だったが、正統な理由だろう。

次は風邪でも引こうと思っている。

私はパーティに行きたくないと駄々を捏ねていたらしいアリエルをさらに警戒する事になった。




パーティの当日、アリエルは腹が痛いと蹲った。

馬車も表に用意されて出発するために高まっていた私の鼓動はスッと静かになった。



何をしてもパーティは欠席できない。

公爵という立場で、家族を欠席させるなんてことはよっぽどの怪我や熱でなければ出来ないことだ。



お腹が痛いと唸るアリエルと同じ馬車にいながら、私は外の街並みを眺めてパーティへと向かった。



「マーティン!」


「エリザ!」



私はいつもの待ち合わせであるテラスでマーティンとの再会を果たした。

再びこの家から出してくれる愛しの救世主を手に入れることができた。

これで何があっても助けを求められる環境が整ったが、アリエルのおかしな言動をマーティンに相談すると、早速かなり強引ではあったが、その日の夜からマーティン滞在する迎賓館で過ごせる事が決まった。

もちろんいつものように先に国王陛下の了承を掴み取ってはいたが、その話しをするためにバリシネス一行と一緒にパーティを楽しんでいる最中の両親のもとに向かうと、義母の手を掴みながらキョロキョロと頭を動かして完全に不審者なアリエルと目が合った。



「お姉様なんでぇぇ…バリシネスになんていかないで…なんでヘンリーじゃダメなの…」



私たちはまだ何も話していないどころか、話の為にここに辿り着いたところ。

どうしてバリシネスに行くと思っているのが不思議だった。



「なぁ、エリザの妹がおかしいのって、前の記憶があるからじゃないか?」


「まさか…でも、確かに今回はまた教育も受けてないけど…えっ待って…違うわ。今回だけじゃない」


「何か思い出したのか?」



私はまだ教育を受けていないアリエルがバリシネス国を知っているかのような反応だったことを思い出した。

外交の盛んな隣国ではなく、もう一つ隣の国だ。

これまで我が国の王族が嫁いだこともなく、隣国を介しての輸出入はあるが、直接の取引ははほとんど行われていないなので、日常会話で知ることは難しい国のはずだ。

そう考えたとき、今までのアリエルが走馬灯のように頭を駆け巡った。

アリエルがアリーと呼ばれていたのは、回帰前に私のことをエリーと呼ぶのを聞いて、同じようにアリーと呼んで欲しいと触れ回ったからだということに気付いた。

回帰前の不可侵領域だと思っていた部分の過去が、変わっているのは今回だけではなかったのだ。


「えぇ…マーティン、私…吐き気がする…」



恐らくマーティンの言う通りなのだろうと思う。

私の行動の影響でアリエルが変わったのだと思っていたことも、アリエルの意思だったのかもしれない。



その人生では何の罪も犯していないアリエルを責めるのはお門違いだと自分を納得させてきたのだ。

記憶があると分かったアリエルのことを以前のように許すことは出来なかった。



「エリザベス?」


父はバリシネスの王族より先に話し出すことは出来ないため、声を掛けられるか、私が紹介するのを待っていたのだと思う。



「たしかグワマン公爵と言いましたね」



妹は泣き出し、姉は顔色を悪くし、両親は状況が把握できていないと言う奇妙な光景に、バリシネスの秘書官が父に話しかけた。

そこからバリシネスは強引に父を別室に呼びつけ、難航した話し合いには両国の国王陛下が父と顔を合わせながら話は強引に進められた。



私はマーティン殿下に与えられていた控室で横になって話し合いが無事に終わるのを待った。

マーティンの指示で強制的に父親と一緒に連れていかれたアリエルの悲痛に満ちた顔が頭をよぎっていた。



「エリザはどうしたい?」



私の特別な呼び名は今ではエリーではない。

マーティンだけが呼ぶエリザという愛称だけが特別なものだった。



「私はもう、これまでのように関わって生きていくなんて無理だわ…」


「なら少し落ち着いたらすぐにバリシネスに帰るか」




いつもは私の準備のための期間を設けて世間体を保っていたが、私はもうあの家に関わりたくないと考えていた。

私は彼の言うままバリシネス国へ旅立つことにした。



「これまでお世話になりました」



私は次の日の朝には、グワマン公爵家の前で家族に挨拶していた。



歓迎の宴を開いたと思えば帰るだなんて許されるのかと思いきや、パーティ中に国王同士で貿易の話はもう終わっているらしく、有益な話だったと見送りまで受けたそうだ。



そんな中、ずらりと馬車を並べたクワマン家の前では、一言の挨拶だけで馬車に乗り込もうとするエリザベスの姿があった。

その不届なエリザベスとはもちろん私のことだ。



「お姉様!待って!」



そう呼び止められても、騎士のエスコートで馬車の中で待っているマーティンの元へと戻る足を止めることはなかった。

本来ならば抱擁くらいは許していたかもしれないが、そんな気は起きなかった。



「アリー、私はあなたを永遠に許しはしないわ」



私はいつものように後妻の娘に継承権を譲ってバリシネスに嫁ぐのだ。

道具のように使われ、楽しいと感じることは一つもなく、ただただ働いていた自分を久々に思い出した私は、マーティンの手をギュッと握った。



わざわざ長い時間かけてアリエルを責める必要はなかった。

私の人生はこれから幸せが待っている。

ふにふにのマーティンの手が大きく成長して皺が目立つようになるまで私は彼の手を握って過ごすのだ。

彼と作る家族のことを考えると、アリエルのことを考える時間が勿体無い。



「チェスでもする?」


「負けないわよ!」



マーティンと過ごすたくさんの時間のために繰り返している人生なのだとしたら、この回帰もそんなに悪くないと思い始めていた。

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