大好きなお姉様

私の母イマリエルは、没落貴族の娘だった。

持参金も用意できない家のため、結婚は諦めて新興貴族の娘の教育係として働きに出ていた。

男爵令嬢という地位は平民から成り上がったばかりの新興貴族には丁度よかったようで、働くのには困ることはなかったらしい。



社交界デビューに向けての話題作りのために、奉公先の令嬢と王都のレストランや貴族向けの店をいくつも回って歩く日々の中でグワマン公爵に出会ったらしい。



真面目に、慎ましく過ごしていた母を、ゴクリと飲み込むようにグワマン公爵が手を差し伸べた。

しかし彼は子供が産まれても見向きもせず、たまに顔を出しては金を置いていくだけの関係だった。

他にも女のところを転々とし、あまり公爵家には帰っていないようだと聞いていた。



母は父を独占しようとしたことはなかったし、後妻として公爵家に入る時、母はとても動揺しているようだった。

それは何度か人生を繰り返して、父が家に入り浸っていたような時も、子供がいるからちょうどいいと言う理由だけだった時も同じだったので、生来の性格だったのだろうと思う。

それが父にとって都合の良いものだったのかもしれない。




母が幸せだったかと言えば、そうでもないだろう。

公爵という身分を盾にされれば、母に最初から拒否権はなかったであろうし、私を産んだことも、もしかしたら望んでいなかったのかもしれない。



それでも母はいつも私の心配をしてくれていた。

父に捨てられるような酷い人生の時も、父に甘やかされる人生でも、母は私の味方でいてくれた。



それなのに、私は何度も何度も母も巻き込んで死んだ。



父は、お姉様には最高の教育を受けさせたが、私は頼み込んで自分が優秀である事を証明しなければ、同じような教育を受けさせてはもらえなかった。



それは、お姉様を愛していたからに他ならない。

母親の違う娘二人、後継者争いを起こさせない為には、最初から区別して扱うべきである。

父はお姉様を後継者にすることに対してだけは、決して揺ぐことはなかった。



それがお姉様を守る為だったということも、よく理解していた。

公爵家の後継者であれば、お姉様の立場は揺らぐことはない。



それが父の愛し方だった。

私には地位を与えられない代わりに、共に過ごす時間をくれたのだと思うが、それは私が幼い頃から気に入られるように振る舞い続けた結果であって、努力しなければ得られなかったものだ。



「エリザベスと仲良く出来なければ君も、君の母も家に居られない。よく覚えておきなさい」



この言葉を聞かなければ、私は毎度父に捨てられて母と平民以下の生活をしなければならなかった。

だからいつもお姉様が羨ましいと思っていた。



ヘンリーと恋仲となって、何を間違えたのかお姉様が亡くなった時、父はお姉様の自殺を隠蔽した。

その人生は、父にとって苦渋の選択の連続だっただろう。

私が未婚の母として子供を産めば、その子供も、この公爵家も世間の笑いものになってしまう。


「エリザベスなら分かってくれるだろう」


そうやってどっちつかずの対応をするのが、父の罪だった。



「エリザベスはこの家を継ぐことになる。醜聞になることは避けるべきだと分かっているはずだ」



私が産んだ子を、お姉様の子供とすることは早々に決められていた。

お姉様とヘンリーは仮面夫婦なのは父も母も知っていた。

私とヘンリーを結婚させるわけにはいかないし、関係が世の中に知れ渡るのを恐れていた父は、ヘンリーを愛していると告げた日から目を瞑り続ける選択をした。



それが、将来公爵家を継ぐお姉様の為にもなると本気で思っていたはずだ。



だけど、その人生ではお姉様は死に、私たちの関係は白日のもとに晒されてしまった。

私の束の間の幸せが終わった瞬間だった。




母は、既に自分よりも知識があり、正当な後継者であるお姉様とは距離を置いていた。

実の母親でもない、低い教養の母親だなんて、母として認めないだろうと考えていた。



それでも、母はお姉様のアカデミー入学前には母親として同伴して見学し、娘の過ごす環境を気にしていた。

決して疎ましく思ってはいなかったはずだ。

初めて顔を合わせた時、まだお姉様も幼くて、母も馴染めるように努力をしていたのだが、教育に時間を割いていたお姉様とは、録に話す時間も取れなかった。



何が悪かったわけでもない。

全てが空回りした結果、公爵家はいつも荒れていただけだ。



強いていうならば、私がヘンリーを奪わなければ、お姉様は幸せに過ごしていたのだ。



もうそんなことは分かっているのに、私は何故こんなにも屈辱的な人生を繰り返しているのだろうか。

この幸せな瞬間にも、そう考えてしまう。




ライオネルと結婚してから、幸せを感じる度にお姉様の顔が浮かんだ。

幼い頃に別れたきり、数度しか会っていない姉だったが、私には沢山の思い出が残っている。

この人生でも、姉がライオネルと繋げてくれた。



私の努力では到底どうにも出来なかった出会いだ。

お姉様の不幸の上で蜜を吸って過ごしてきた私が、お姉様に何が出来るだろうか。



ライオネルとの人生を何度も送って、私の心に再び安寧が訪れた時、お姉様へ手紙を出した。



「親愛なる公爵夫人、お元気ですか?最後にお姉様と顔を合わせたのも、もう10年も前になります。ライオネルとは私の運命であったかのように良好な関係を築いています。お姉様、私はいつも思うことがあるのです。いつの日か、お姉様と二人仲良くピクニックをする日がやってこないかと。私たち姉妹は、同じ時間を共有することも殆どなく、ここまで来ました」



お姉様とヘンリーはまだジッと座っていられない私の為にお茶会を切り上げて鬼ごっこをして遊んでくれた。

思えば、あのヘンリーとのお茶会だけが、お姉様と交流できる唯一の時間だった。

夕食の席では、お姉様と、父と母との共通の話題を見つけることが難しかった。

でも、ヘンリーとの月一のお茶会の時は、お姉様と笑っていられた。

お姉様が笑っている記憶は、あの鬼ごっこが最後だ。



「人生がやり直せるのなら、鬼ごっこをしていた頃に戻って、たくさんの時間をお姉様と二人で過ごしたいです。私の愛しいお姉様、日を重ねるごとにお姉様に会いたくなるのです」



そんな夢物語を図々しくも思い描く自分が嫌いだった。

それでももう、毎日、何時間もお姉様に会いたいと考えるようになっていたのだ。

幼い頃に婚約者の元へ行った後、数度しか会っていない姉と、会いたくて会いたくて仕方がないと言っても、誰も彼もが不思議な顔をした。



あんな手紙をもらって、きっとお姉様も戸惑っているに違いない。

そう分かっているのに、ライオネルに肩を借りながら思うことは、お姉さまのことばかりだった。



「私、本当にお姉様のことが好きだったの」


「うん。よく知ってるよ」



ライオネルにこの話を何度したことだろう。

100?1000?この人生でも既に何度も彼は聞かされている。

それでもこうして聞いてくれるのだから、本当にありがたいことだ。

それでもね、貴方は全然知らないの。

姉の夫になるはずだった人と結婚した日々も、姉の夫との子供を何度も産んで、ついには姉を死に追い込んだことも。



決して口に出せない記憶が涙となって溢れてくる。

今頃後悔したってこの記憶は消えてくれないし、この人生ではそんなことは起こっていないから謝ることさえできない。

私はあの裏切っていた瞬間でさえも、姉が好きだったのだ。



思い出せば思い出すほど、泥沼にハマるように苦しかった。



「ご主人様、旦那様、ベンブリックス公爵夫人からお手紙が届いております」



ライオネルと二人で執務室にいると、家令が手紙を持ってきた。

ベンブリックスと聞いて、私はすぐに中身を確認する。

もうエリザベス様とも呼ばれなくなってしまったお姉様。

私ももう公爵家の当主となり、娘や息子も成人している。


それなのに、私は幼い子供のようにお姉様に会いたいと思っていた。




「ライオネル…お姉様が帰ってくるわ…」



あんな不審な手紙を送ったのに、丁寧に帰国する旨が書かれた手紙だった。

思わずその手紙を抱きしめながら私は再び泣いた。

ここ最近、壊れたように涙ばかり流している。



久しぶりのお姉様の来訪を前に、胸は高鳴り夜はライオネルも呆れるほど眠りにつけなかった。




「お姉様っ!!」



10年以上会っていなかった姉は、少しシワが増えたようだった。

それは私も同じでそれが嬉しかった。

玄関の前で馬車を降りたお姉様の胸に飛び込んだ私を、お姉様が支えきれずにバランスを崩したが、それをベンブリックス公爵がすぐに支えてくれた。



「アリエル、危ないわ」



私はこの人生でもしっかりとマナーを学んでいたのに、お姉様を見た途端、そんなものは吹き飛んでしまった。

お姉様の体温を感じれば、再び涙が溢れて鼻水まで垂らした。



「アリエルは毎日この日を楽しみにしていて…ご容赦ください」


「あら、そうなの?私も会いたかったのよ、アリエル。当主として頑張っていると聞いたわ。無理はしてない?」


「はい」



私はずっと姉に抱かれていたいと願っていたが、ずっと馬車の前に立たせているわけにもいかず、ライオネルに支えられながらお姉様達を案内した。

姉の子供達も揃っての訪問は初めてで、初めて見る姪っ子や甥っ子達は、お姉様によく似てとても賢く、丁寧に挨拶をしてくれた。




その日、私たちは庭園で歓迎パーティを開いた。

私たちの子供達も参加して、夢のように公爵邸が賑やかになった。



「アリエル、また寂しかったら連絡してきなさい。貴方は一人じゃないのよ?たった2人の姉妹、いつでも駆けつけるわ」



私の知っているお姉様が目の前にいた。

そんな言葉をかけてもらえるような妹ではないのに、いつも、いつもお姉様は優しい。



「お姉様…私はそんな風に優しくされるような資格はないのです。それなのにとても嬉しいのです。ごめんなさい。本当にごめんなさい」


「あぁ、母上また泣いてる…」


「お母様、泣かせちゃダメじゃないですか」



息子が呆れたようにハンカチを差し出して、同じ席でお茶を飲んでいた姪っ子がお姉様を責めた。



違うの…責められなきゃいけないのは私なのに…



「あなたたち分かっていないわねぇ。泣くほど喜んでくれているのなら、それは誇るべきよ」



お姉様はそう言って笑い飛ばして、場を和ませた。

私の知らない自慢げな笑顔がとても眩しかった。



「おぉ!お祖父様とお祖母様が来たって!」



お姉様の帰国は、隠居して田舎の別荘地に移り住んだお父様達にも知らせていた。



「エリザベス、会いたかったよ」


「お父様、お義母様!お久しぶりです」



お姉様は母のイマリエルとは、ほんの数年しか一緒に過ごしていないし、父とも私と同じくらいには疎遠になっていたはずだ。

家としての交流はあるものの、それは事務的なもので、家族として手紙を出していたのはわたしだけだった。



だけど、久しぶりに集まった大きな家族は、昔から仲が良かったかのように話が盛り上がった。

厳格だった父が孫達に楽しそうに笑う姿は一緒に過ごしてきた私も不思議に思う程だったが、公爵という重責から解放されてからは丸くなったらしい。

隠居してからは母とも仲良く外出するほど上手くいっているそうだ。



「マーティン公、ライオネル公、私の大切な娘達をこれからもよろしく頼むよ」



「「もちろんです」」



私はこの不器用な父の愛を、お姉様が知る隙もなく旅立っていたことが気に掛かっていた。

私が羨ましいと感じていた父の愛を、ほんの少しだけでも伝えられることが、罪を犯していないこの人生の贖罪だ。



もう私はお姉様の不幸の上で幸福を願ったりはしたくない。

もしまたこの幸せを辿れなかったとしても、私は誰の幸せも奪わないようにもがいていくのだ。

そこにライオネルがいなければ、彼の国に会いに行くくらいの、勇気ある自分でありたい。



この幸せな団欒を、決して私は諦めない。

次にお姉様と会ったら、こっそりベッドに潜り込んで一緒に寝て、お姉様と一緒に夜中にこっそりケーキを食べたい。



折角ならば死なないように生きるのではなく、どの瞬間も幸せであるように努力をしながら生きていきたい。



些細なことで未来は変わる。

だからこそその瞬間ごとを後悔しないように、私の人生も、お姉様の人生も決して諦めることなく幸せであるように、私は生きてゆくのだ。



果てのない繰り返しが、私を大人にしてくれる。

やっと、やっと自分が大人になれた、そんな気がした日だった。

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