二度目の私
人生を繰り返している。
それに気付いた時、神が何を望んでいるのかと考えた。
目の前で、決して愛されなかった人生の再現をずっと見せ続けられる日々は、まさに終わらせたかった日々の続きであり、死してなお逃げることの出来ない運命であると思わせた。
諦めながらも、前回よりも強くヘンリーやアリーに注意をすることもあった。
ヘンリーとの時間を確保することは難しかったが、手紙を送る頻度をあげたりして努力はしたつもりだ。
それでもヘンリーはアリーを見続けていた。
「あなたは一体誰に会いに来たの?次に私を蔑ろにするようなら、侯爵家に抗議します」
遠回しに3人のお茶会を避けたいと言った結果、ヘンリーは約束よりも早く来て、アリーと2人で話していた。
状況は前回より悪くなっているようにさえ感じる。
押さえつければ分別さえつかなくなる。
侯爵家に抗議したところで、その相手が妹じゃなんの脅しにもならないが、その言葉はきちんと届いたようで、そのたった一度きりだったが、それがきっかけで、彼らは隠れて会うようになった。
父親はアリエルの味方で、ヘンリーは振り向くことはない。
自分のどこがそんなにダメだというのだろうか。
成績も、マナーも、ダンスも、社交性もそれなりに評価されているけど、そんなものヘンリーにとっては重要なことではないのだ。
たとえ妻の妹でも、世間の噂になろうと、相手に教養やマナーがなくても、貴族らしく心を隠す事が出来なくても、アリーが選ばれるのだ。
そこに、私の努力は関係なかった。それでも今回の人生では少なからず運命に抵抗したつもりだった。
死んでもこの人生から逃れられないなら、もしこのままの状態で結婚することになりそうならこの家から逃げ出そうと準備だけはしていた。
大事な母が残したアクセサリーは、宝物庫に保管されていた。
気付けばそれをアリーや義母のイマリエルが使うようになっていたから、私は最も安全と考えられた学園に隠し、学園に入学後に許されるようになった社交の帰り道や、友人との外出時に王都の町で顔見知りを作っていった。
家の外で信用できる者を見つけられたことは僥倖と言えた。
「毎日、商品は入荷するのですか?」
貴族向けの雑貨屋を営む夫婦とは、世間話することもあった。
平民のために決して態度を崩すことはなかったが、人柄がいいことはすぐに分かった。
友人と訪れたり、侍女が商品に目を奪われている時、夫婦と少しの間交流する時間は、私にとっては唯一気を張らなくて済む時間だった。
「はい。午前中は妻だけでお店を回し、朝一番で私は港で商人達から買い付けています。小さな荷馬車ですが、多い時はあの馬車いっぱいに新商品を積んで帰ってきて、午後から少しずつ新しい商品を並べていくので、新しいものをお求めでしたら、午後からがおすすめでございます」
そうやって少しずつ交流を積み重ねていった。
「もし、万が一、私が死にたくないと逃げてきたら、助けてもらえませんか?」
そう勇気を出して口に出した日、私は内密に平民の服を取り寄せて欲しいと依頼したのだ。
「死ぬ前に逃げてくると必ず約束してください。今も体調が悪そうです。今は助けは必要ないですか?」
そう優しく手を握ってくれた時でさえ、私は涙を流すことが出来なかった。
ただただ、努力しても変わることのない未来に疲れ果てていたのだ。
「はい。今はまだ。それでもこの勇気さえ殺される前に逃げたいと思います」
裏口の向かいの建物は馬小屋と倉庫らしい。
夜は馬小屋の柵を越えられれば荷車が置いてあるらしい。
「棚の下や、座席の下、板を取り付ければ検問ですら簡単に通り抜けられますよ」
そう言うと、夫人が昔は異国の貴族の娘だったと教えてくれた。
売られるような結婚で酷い目に遭って逃げ出した先で、商家で修行中だった今の旦那様の乗った馬車に轢かれそうになったのが縁だったと。
「主人は重い検問を掻い潜って私を逃した実績があります」
そう胸を張る夫人は、幸せそうだった。
それでも私は、その信頼出来る雑貨屋を頼ることが出来なかった。
雑貨屋へ行く前に、マーティン殿下に連れ去られてしまったからだ。
家に帰らないと決めて、夜の学校でマーティン殿下に会わなければ、私は真っ直ぐに雑貨屋に向かっただろう。
それでも、私はマーティン殿下に連れ出されたことに感謝しなければならない。
無事に私は王都を抜け、いつか行きたいと思っていたリーベアに来ることが出来た。
ハープシゴートは、教養の一つとして習ったものだったので、毎日少しだが弾く時間があった。
リーベアの街では、チェンバロと呼ばれているようだが、鍵盤でチェロのような弦楽器を弾いているのだ。
チェンバロの中で、ピアノ・エ・フォルテと呼ばれる呼ばれるものがあることを風の噂で聞いたことがあった。
リス国にはまだ存在しない音色なのだと聞いた事がある。
それを聞いてみたくて、リーベアの街は幼い頃、私の夢だった。
様々な国を相手に事業をしていた一度目の人生でも行くことは叶わなかった異国の地に、こうして来れたことに感動さえ覚えた。
マーティン殿下はお首にも出さなかったが、王族である彼が急に滞在先を変えて長距離の移動をすることはすごく苦労したことだろう。
剰え、1人の貴族の娘を誘拐したようなものだ。
一緒に行動し続けることは困難に近かったはずだ。
何かを感じることが出来るというのは、不思議なことだった。
驚き、喜び、悲しみ、時にマーティン殿下に怒ることさえあった。
少しずつ目の前に色がついていくようにさえ感じた。
食事を美味しいと思えたのはマーティン殿下のおかげだった。
不思議と、彼は私の側にいた。
どこかで「じゃあな」と言われると思っていたのに、それを言われることを恐れるようになっていた。
「誕生日プレゼントだ」
そう笑った彼が自慢げに腕を置いていたのは、音色を聞くだけでも感動したピアノ・エ・フォルテだった。
「ハープシゴートとピアノの音色をいつでも比べられるぞ。君はピアノを弾いて、俺はハープシゴートを弾こう。ほら、早く座って」
私の目から涙が溢れたことに彼が驚く。
「なんだ、泣くほど嬉しかったと思えばいいのか?それとも泣くほど嫌なことだったか?」
そう言って抱きしめられた彼の腕がとても温かくて、誰かに優しく抱きしめられたことのなかった私は、更に涙が止まらなくなった。
「もちろん、殿下の気持ちが嬉しくてです」
鼻水をグズリとしながら話すことなんて、公爵令嬢でいた頃はとてもじゃないが出来なかった。
そんな事をしたら、みっともないと、自分の感情もコントロール出来ないのかと言われてしまうからだ。
「よし。なら、いくらでも泣け」
そう言って彼は抱きしめていた腕を離すと、私の膝の裏に腕を回して横抱きにした。
そして彼はそのままピアノの椅子に腰をかける。
「指を出して」
彼は私を膝に乗せたまま、私の指をピアノの上に乗せた。
指に力を入れると、ポーーーンと音が響く。
思っていた弦楽器特有の音ではなかった。
先日聞いたピアノ・エ・フォルテも、音の抑揚と響きを感じて感動したのだが、ハープや、ギターのような弦が弾かれることで出来る音色という意味では、音の本質自体はそれほど変わらないと思ったのだが、この音は例えるならバイオリンのように滑らかだ。
「これは?この間聞いた、ピアノ・エ・フォルテと音が全く違うわ」
マーティン殿下の顔を思わず見ると、あまりの顔の近さにたじろぐ。
その様子に気付いた彼はポンと私の頭の上に手を置いた。
「これはグランドピアノと呼ばれるものだそうだ。一番の最新式のチェンバロだというのでこれにしたんだ」
そういうと、彼はそのまま私を抱き込むようにしながらもピアノを弾き始める。
「鍵盤は軽くてスムーズで、引っ掛かりもないし、音の響きを感じる。君を外に連れ出し続けた甲斐があったよ」
私たちは昨日まで、海沿いの別荘に滞在していた。
海の見える貴族街は音楽で溢れていて、彼の社交のためでもあった。
そこでも外出している時以外は、私のそばにいた。
書類仕事ですら私の目の前でやっていたほどだ。
彼の予定は全て把握していたと思う。
その日の予定も明日の予定も、1週間後の予定も、彼は私と共有していた。
それでもこうやって上手く秘密ごとを作っているのだから、彼はとても器用なのだ。
「私の夢が叶う日が来るなんて思ってもいなかった」
そう喜んでいられるだけの日々があったのも、彼が私の代わりに努力していてくれていたからだ。
当然、彼と一緒にいる私のことは聞かれ続けたことだろう。
どこの家の娘なのかと興味深々な様子が手に取るように分かる。
それでも彼は私との外出をやめなかったし、「じゃあな」と去ることもなく、「もしこの家を出たくなったら、まず俺に相談しろよ」と、突然家を出た前科者の私は釘を刺されていた。
それでも、彼が私の元を去る日は遠くないだろうと思っていた。
何の後ろ盾もなく、何も持たない私と一緒にいるメリットは何もないからだ。
リーベアに4年住み、彼は別の国に行くことになった。
それを聞いた時、ここでお別れなのだと悟った。
一人で住む家はどこに借りようか。
そう考え始めて、私は地図を広げていた。
「どうした?」
地図を広げはじめた私の元に、彼はいつものようにノックもせずに入ってくる。
「最後に行きたいところでも探しているのか?」
「いいえ、私の住む家をどの辺りにしたらいいかと考えていたんです」
地図から目を離すことなく、当然のように答え、一緒に考えてくれるかしら?と彼を見上げる。
「俺から離れたくなったら、先に相談しろと言ったじゃないか」
呆れたような顔をして、彼は地図をぐしゃりと丸めてしまった。
あぁ、地図は高いのに…そんな事を考えていたのに、次の瞬間には、彼に強い力で抱き締められていた。
「リーベアがそんなに気に入ったのか?ここから離れたくないなら、それでもいい。遊学なんて言っても、所詮語学力の向上と、他国の貴族との交流だけが目的だ。そんなもの取りやめて、すぐにリーベアを拠点に事業を始めることにする。だから、ここから出ていくなんて考えないでくれ」
そう言われて初めて、彼が私も連れていく気だったのだと気付いた。
「ねぇ殿下、私はいつまでも殿下に頼って生きてはいけないわ。貴方はバリシネスの王子様で、私は死人よ?甘え過ぎてしまったのは申し訳ないけど、私は私の生活を始めようと思う。心配してくれるなら、治安のいい街を一緒に探してくれない?」
彼が何か責任を感じて一緒にいてくれていることは分かっていた。
彼の優しさが心地よくて、ずっとそれを利用していた。
彼と少しでも一緒にいたかったのだ。
それでも、もうこれ以上は、彼の人生に影響してしまう。
彼の人生の汚点にはなりたくなかったし、また愛する人が別の誰かを愛していくのを見たくなんてなかった。
「そんなことが出来るわけがない。君がいるところが僕の居場所だ」
「まさか、殿下は私と一生いるつもり?」
そんな訳がない。そう思って聞いたのに、返ってきた言葉は思っていたものと違っていた。
「あぁ、俺は君がいいと言うなら結婚したいと思っている。革命運動時にリーベアに来た亡命貴族が、君を養女にしても構わないと言っている。リーベアにいる亡命貴族の娘として、数カ国で認識してもらってから、私の国に一緒に戻るのはどうだろうか?国に戻ったら君は公爵夫人として好きに過ごしてくれたらいい。もし、俺のことが嫌いなら、この家をあげよう。君を市中に出すなんて考えられない…でも、君も俺のことは嫌いじゃないだろう?」
そう言われてしまえば、彼の腕を引き剥がすことなんて出来なかった。
私は彼を愛してしまっていたからだ。
「本当に私でいいの?本当に?」
「あぁ。エリザベス、君を愛しているんだ」
そこから、彼の溺愛はすぐに有名になった。
堂々と私の肩を抱き、愛を囁いた。
私は彼の気持ちを疑うことはなかった。
だって、彼の行動に嘘や偽りはなかったし、常に私のそばにいるのに、疑いようもなかった。
数カ国の社交界で、私たちは婚約者だと認識されていた。
半年、1年、滞在国によって様々だったが、旅をする生活はとても楽しかった。
彼の国に初めて足を踏み入れた時、婚約者を連れてきたと、沿道に人が溢れてきて、まるでパレードのように馬車から手を振った。
彼は一体どんな手を使ってここまでの歓迎モードを作ったのだろう。
絶対に教えてはくれないだろうが、この歓迎に合ったモノをこの国に返していこう。
そうしてまた泣いてしまった。
結婚式は、私は本当の幸せの中にいた。
夢に描いたような幸せの形だった。
「エリザベス、本当に綺麗だ」
「マーティン、貴方も凄くカッコいいわ」
真っ白なスーツを着た彼を見るのは今日が初めてだった。
彼は試着の時ですら見せてはくれなかった。
今日に至るまで、私にドレスを何度も着させて満足していたのにだ。
「あぁ。本当に、式なんていいからこのドレスのまま君を連れ帰りたい」
「嫌よ。この式は、国王陛下もいらっしゃるのです。私を殺したいの?」
「君を殺すと言うのなら、俺は父を…」
とんでもない事を言い出そうとする口を手で塞いだ。
「口を塞ぐのは口でお願いしたいな」
「もぅ。誓いの口づけはこの後よ」
そう言うけど、マーティンを拒めるわけもなかった。
「あぁ早く夜になればいいのに…」
「まだまだ今日は長いわよ。貴方が早く行かないと、私も行けないわ!」
私はバージンロードを、バリシネスの宰相のエスコートで歩いた。
公爵令嬢として生まれたが、その責務から逃げてしまった。
それでも、私はまた正式な貴族として歩き出そうとしている。
彼と一緒だったから私は生きていられた。
彼の前に着き彼の手を取ると、自然と笑みが溢れた。
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