第6話 蒼の笑み/白の瞳 白雪side 前編

鳳凰院の屋敷に帰宅して自室に戻ると私はベッドに倒れ込んだ。

そして先ほどまで鳳凰院のお嬢様に相応しい凛とした表情をしていた私はもういない。


「むふふふふふ」

自分の頬が緩みまくっているのが分かります。

だってあの亜栖瑠先生、いえ亜栖瑠くんから

MTNを教わることが出来るようになったのですもの。

そう、あの亜栖瑠蒼太さんに・・・


私の意識はふと過去へと飛んだ。


***********************


週に5日の習い事をこなす日々。

両親はそこまでしなくてもと言っていたが伯母曰く

『将来嫁に行った時に自分のように恥をかかない為にも教養は必要』とのことで

私は鳳凰院の女として恥ずかしくない人間になろうと日々励んでいました。


とはいえ私も人間です。

まだまだ実感すらわかない結婚の為の教養学習という

終わりの見えないマラソンに少々疲れていたのも事実でした。

彼女はそんな私の心を見抜いていたのでしょう。


渋山しぶやま辰美たつみ先生。

日本女子アマチュアチェスの女王。

何度目かの講習の際に彼女はこう言い放ちました。


「今日は脳を柔らかくする為に息抜きをしましょう」

そういって渋山先生は自身の鞄から紙の束を取り出しました。

「渋山先生、一体それはなんでしょう?」

「MTNよ」

「えむてぃーえぬ?」

「チェスの為に固まった脳を一度ほぐして

 チェスに向き合い易くしてくれる魔法の道具なんだから」

そういって渋山先生は私にMTNの基礎を教え、

チェス講義の半分はMTNの対戦へ費やされる日々が続いた。

きっと彼女は走り疲れている私を見かねて

僅かながらも息抜き出来る時間を設けてくれたのでしょう。

あの頃の私は彼女の講義がある金曜の放課後が待ち遠しくて仕方ありませんでした。


しかし、楽しい時にも終わりが来ます。

固定であるバイオリンとバレエダンス以外は1年ごとに講義の内容が変わります。

あと1か月で渋山先生との時間も終わってしまうそんな時期がやってきてしまった。

「鳳凰院さん、今日はあなたに贈り物があるわ」

そういって渋山先生が手渡してくれたのは

オレンジのマークが書かれたカードでした。

「これは?」

「オレンジカードよ。

 一応1万円チャージしてあるからこれで1万円までは課金できるわ」

「確か…スマホで使用するカードでしたか。

 しかし先生から現金同様のものを頂く理由がありませんし、これは頂けません」

「悪いけど受け取って貰わないと私が困るのよね。

 歯ごたえのない相手を一方的にボコるのは趣味じゃないし」

「どういう事でしょうか?」

「鳳凰院さんは私が居なくなったらもうMTNは出来なくなる、

 そう思ってるでしょ?」

「それは・・・その通りです」

「でもそんなことは無いんだなー!」

「えっ?」

「実はスマホでもやれるMTNアリーナってのがあるのよ。

 これなら鳳凰院さんでもMTNを続けられるわよ。

 もしかしてスマホの中身までご両親に見られてたりする?それだと厳しいけど」

「いえ、お父様もお母さまも流石にスマホの中までは見ません」

「ならこっそりインストールして始めちゃおう!」

「しかし、スマホで出来るMTNと

 先ほどのオレンジカードはどう関係があるのでしょう?」

「あーそれね。

 MTNアリーナって無料でプレイできるんだけど

 初めて直ぐにガチガチのデッキ組もうと思ったらそれなりに課金も必要なのよ。

 で、鳳凰院さんって私との対戦で結構いい腕になってくれたので

 アリーナでも私とガチ対戦して欲しいんだけど、

 さっき言ったように課金しないといきなりガチデッキは組めない、

 でも私は初心者デッキを使ってる鳳凰院さんを一方的に弄りたい訳じゃない

 そこで渡したカードでデッキを整えて私とガチンコ勝負して欲しいのよ!」

渋山先生は本当に優しい大人だった。

私と対等な勝負がしたいというのは嘘じゃないのでしょう。

でも彼女がここまでする義理は本来無いはずです。

それでもまた一人で終わりなきマラソンに戻る私への餞別として

オレンジカードをくれたのでしょう。

本当に嬉しくてこの日私は渋山先生の胸の中で泣きました。


それから私は自由時間をMTNアリーナに捧げました。

色んなデッキを学び、プレイングを磨けば磨くほど

ランキングが上がるのが楽しくてたまりませんでした。

また、終わりのない教養マラソンと違って何位を目指す!という分かりやすい目標に向けて頑張ることは非常に達成感を満たしてくれました。

しかし上位になると独学では無理が出てきます。

私はこっそりとスマホでMTNの解説動画や対戦動画を見るようになったのです。

これらの情報を吸収し、私はまた強くなりランキングを上げることで

自らの枯れた心に勝利の余韻という水をあげました。

そして色々なMTN動画を見ているとある動画が目につきました。


【MTN JAPANチャンピオンズカップ 1回戦 配信卓アーカイブ】


私のやっているアリーナの元となっている紙のMTNの大会の動画でした。

自分のプレイングの参考になるかもと再生してみた。

そうすると画面の中央に両者の盤面、

右下と左下にプレイヤーの表情がワイプで表示された。

プレイヤーの1名は30歳くらいに見える青年、

もう一方の男性は私と近しい年の少年に見えました。

対戦が始まって数ターン、互角だった形成が若干青年に傾きました。

しかしその時私は見たのです。

不利なはずの少年が一瞬笑うのを。

そこから少年は一気に形勢を逆転させて勝利を収めていました。

きっと逆転の目が見えたから笑ったのだろう、とこの時は思っていました。


それから私はJAPANチャンピオンカップの動画を追いかけ始めました。

配信卓に彼が映ることはありませんでした。

しかし彼は私の知らぬところで勝ち進めていたようで、

準決勝の動画であの少年が画面に映っていました。


そしてまたしても彼は不利な盤面で刹那の笑みを浮かべるのです。

しかし不利な盤面が即座にひっくり返されるという私の思惑は外れました。

彼の不利な盤面は続きます。

彼はそれ以上に不利にならないように抗うので手いっぱいです。

あの笑みは逆転を確信したものではなかったの?

私の心は不思議でいっぱいでした。

その後、彼は不利な盤面を何とか持ちこたえギリギリで逆転し勝利を手にしました。


そして続いての決勝戦では彼は一方的に対戦相手を蹂躙し、

日本チャンピオンとなりました。

ですが決勝戦で彼があの笑みを浮かべることはありませんでした。

むしろ日本チャンピオンとなったにも関わらず

インタビューに応える彼の笑顔には虚ろなものを感じました。


優勝インタビューにて私は彼の名前を知りました。

亜栖瑠 蒼太。

高校1年生。


私と同い年の少年が日本チャンピオンになったということを尊敬すると同時に

彼の浮かべる笑みの正体がどうしても気になりました。

そうして私は彼を追うためにMTN Worldチャンピオンシップのライブ配信も追いかけたのです。


大会の中で何度も彼を見ました。

あの笑みを何度も見ました。

そしてやっと私は彼の笑みの意味が分かりました。


きっと彼は人生の全てをMTNに捧げて試合に挑んでいます。

そしてその人生そのものが否定されないかねない不利な盤面でこそ『生きている』ことを実感しているのでしょう。


自分の生を嚙みしめる笑み。

一つの事柄にそこまで熱中できるのは私にとっては羨ましいことでした。

私は色んなことを学んできました。

でも色んなことを学ぶことは出来ても1つのことを極める道は許されませんでした。

そんな私の対極にいる彼がとても眩しく見えました。


きっとこの時私は亜栖瑠くんのファンになったのです。


同時にこんなことも思っていたのです。

ここまでMTNにだけ打ち込めるということは

彼にはそれ以外に愛せるものは無いのではないか?と。

それは少し寂しいことではないか、と。


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初のヒロイン視点になりました。

思ったよりも長くなったので6話は前後編に分割します。

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