第5話 子弟の契り

その日の目覚めは最悪だった。

昨晩寝落ちしたものの恐らく眠りが浅かったのだろう。

全く寝た気がしなかった。


青ねぇが作ってくれた朝食を半分寝ぼけながらかき込むと学校へと向かった。


『私が教えて頂きたいのはMTNについてです』

登校中昨晩の鳳凰院さんの言葉が脳内でリフレインし続けていた。


マジで何でなんだ・・・

考えても考えても分からない。

放課後には答えが分かるはずだがそこまで俺の心は持つのだろうか。


「おはよう」

教室に入ると全員の視線が俺に向く。

当然だ。

昨日あんなことがあったら誰だって気になる。

恐る恐る俺は自分の席に着き机に突っ伏す。


「よかったな。死んでなかったじゃん」

顔を上げなくても分かる。

「うっす来人。なんとかな」

「でも多分今日死ぬよ」

もはや来人のボケに反応する気力もない。


「おはようございます、亜栖瑠くん。

 今朝は元気がありませんか?」

不意に綺麗な声が頭上から降ってくる。

間違いない鳳凰院さんだ。

俺は思わず顔を上げると唇が触れ合うんじゃないだろうか

という至近距離に鳳凰院さんの顔があった。

思わず3歩後ずさる。

「おはよう鳳凰院さん。

 ちょっと寝不足なだけだから大丈夫だよ」

「そうですか、それは安心しました」

そういってにこやかな笑みを浮かべると彼女は席へと戻っていった。

もう本当に俺の心臓が持たないから勘弁して欲しい。

そんな俺を来人がニヤニヤと見ていた。

先ほどの発言は鳳凰院さんの行動を見ての内容だったのか。

俺は来人を睨むがどこ吹く風とかわされてしまう。


ここでふと不安なことを思いついた。

鳳凰院さんは今日の放課後喫茶店で詳しい話をすると言っていたが

今までの流れからすると放課後になった途端に

『亜栖瑠くん、それでは喫茶店に行きましょう』

などと話しかけてくるのではないか。

既に連日のあいさつでクラスの男子のヘイトは極限に達しているのに

そんなことまでされてしまったら明日から俺の席はなくなってしまう。

俺は教室を出て即座にチェインを起動する。

『(亜栖瑠)今日の喫茶店ですが場所を教えて下さい』

『(鳳凰院)何故でしょうか?一緒に行くので地図は不要です』

『(亜栖瑠)訳あって鳳凰院さんと一緒には行けないので現地で落ち合いたいんだ』

『(鳳凰院)承知しました。住所は東京都xx区…』

鳳凰院さんが素直で助かった。

というかこの感じだとマジで一緒に行く気だったな。

メッセを送っておいてよかった。


そして何とか無事に放課後を迎え、

俺にあいさつして去っていく鳳凰院さんを見送り、

十分に時間を空けてから教室を出た。


鳳凰院さんから指定された喫茶店は駅前の栄えたところから

一本だけ路地に入ったところにあり、

地図がなければこんなところに喫茶店があるなんて気付きもしないだろう店だった。


カランカランカランッ


昔ながらのベルがなる扉を開けて店内に入ると

内装は如何にもクラシックな喫茶店という趣である。

ちょっと高校生がくるには敷居が高いのではなかろうか。

あまり広いわけではない店内を見渡すと奥の方に鳳凰院さんがいた。

案内しようとしてくれた店員さんに待ち合わせだからと告げて彼女の元へ向かう。


「鳳凰院さん、お待たせしてごめん」

「いえ、今日は私が御呼びたてしたのですからお気になさらず。

 亜栖瑠くんも何か注文しますか?」

そう言ってメニューを見せてくれる。

「じゃあ紅茶にしようかな」

実はあまりコーヒーが得意ではない俺は紅茶を頼むことにした。

「ふふっ、私たち気が合うかもしれませんね」

言われてから鳳凰院さんの手元に紅茶が鎮座していることに気が付く。

別に狙った訳でもないが妙に気恥しい。


「ここのお店いいでしょう?

 とても静かで落ち着くからずっと愛用しているんです」

「こんなところに喫茶店があるなんて知らなかったよ。

 もしかしたらクラスメイトでこの店を知ってるのって

 鳳凰院さんくらいじゃないかな?」

「ですので秘密のお話をするのには最適なんです」

とイラズラめいた笑みを浮かべる鳳凰院さんにドキっとする。

教室ではいつも凛とした表情しか見せないので新鮮だ。


こんな話をしていると紅茶が届いたので一口頂く。

美味しい。

紅茶の善し悪しが分かるような良い家の人間ではないが、

スーっと鼻を抜ける芳醇な香りも口当たりのいい爽やかな味もとてもいいものだと感じた。

「お気に召して頂いたようで安心しました。」

鳳凰院さんはふんわりと笑う。

「それでは改めてお話させて頂きます。

 私が亜栖瑠くん、いえ亜栖瑠先生に師事したい理由を」

いきなり亜栖瑠先生などと言われてビビるがこれを遮っていては

話が進まないので取り敢えずは聞きに徹することにした。



「私には多くの習い事の教師がおります。

 幼い頃からずっと続けているのはバイオリンとバレエダンスですが、

 それ以外にも教養を広げる為に期間を区切って色んな習い事をしております。

 華道、茶道、弓道、ピアノ、管楽器、油絵と様々なことを習ってきました。」

開幕からぶっ飛んだ身の上話である。

どう考えても俺やMTNには繋がらない。

「そんな期間限定の習い事の中にチェスがありました。

 チェスを習っていたのは丁度2年ほど前のことです。

 そしてその時の先生がこうおっしゃったのです。

 『チェスはとても楽しい。でももっと刺激的なゲームがある』と。

 そしてその先生が教えてくれたのがMTNアリーナでした。」

おいおい、その先生はなんつーもんをお嬢様に教えてんだ。

「最初はMTNの良さが分かりませんでした。

 チェスとは違いデッキの相性やカードの引きなど運の要素が多く

 自らの知能で切り開くチェスと比べると理不尽に感じたからです」

鳳凰院さんの意見は

TCG

チェス、囲碁、将棋などと同等に扱われないのもそれ故であろう。

「しかしある時に気が付いたのです。

 その運の要素すらも乗り越える為の知恵を身に着け、

 それを実践し、勝利を得た時の快感は他のゲームに勝るとも劣らないと」

俺は無学なのでチェスなんぞやったこともないが。

デッキが思うようにブン回って勝った時のが出る感覚は分かる。

確かにあの勝利の瞬間は他の何かとは代えがたいものだ。

「しかし先生との講習の時期も終わりを迎えてしまいます。

 そうするともう私はMTNをすることができません。

 お父様やお母様にお願いすることは難しいことでしたから・・・」

まぁ天下の鳳凰院財閥の娘がTCGで遊んでるってのは世間体的にもどうだろうと思う。

「そうすると最後の習い事の日に先生がスマホでもやれる

 MTNアリーナなるものがある、と教えて下さったのです。

 スマホの中まではお父様やお母様にも見られません。

 あの日から私はMTNアリーナに夢中になりました。

 学業や他の習い事を疎かにしたりはしませんでしたが、

 自由に使える時間を全てMTNにつぎ込んでいきました」

語る言葉に段々と熱が入り早口になる鳳凰院さん。

うん、あれだ。

オタク特有の早口だ、コレ。

「そして私はより高みを目指すためにairtubeにて

 MTNの動画も見るようになりました。

 デッキ構築にプレイングなど様々な情報がありました。

 そしてその中に昨年のMTN JAPANチャンピオンズカップの

 アーカイブ動画もあったのです」

早口になっていた口調を整えて鳳凰院さんはスッと俺の目を見る。

「そこで圧倒的な強さを見せつけていたのは亜栖瑠先生でした。

 私では正解の思いつかない様な盤面でも即座に判断を下し、

 フィールドを切り裂いていく様は圧巻でした」

なるほど1年の頃に学校で一度も話したことの無かった鳳凰院さんが

俺の名前を知っていた謎はこれで少しわかってきた。

しかし先生と呼ぶ理由が分からない。

俺は沈黙を守り、鳳凰院さんの言葉を待つ。

「亜栖瑠先生のプレイングに魅了された私はMTN Worldチャンピオンカップを

 リアルタイムで視聴しました。

 そして亜栖瑠先生が世界の頂点に達した瞬間を見届けました」

何やら鳳凰院さんの俺を見る目に熱が籠っている気がする。

きっと気のせいだろう。

「そしてあの大会を見て思ったのです。

 私もアリーナだけでなくちゃんと紙の大会に出て、

 亜栖瑠先生のような対戦がしたいと!

 しかし私にはアリーナの知識しかありません。

 紙の世界に行くには誰かに色々と教えて貰う必要があります。

 そう悩んでいた私に神が贈り物をくれたのです。

 なんと亜栖瑠先生と同じクラスになれたのです!

 失礼ながら亜栖瑠先生が同じ学校にいることも

 知らなかった私はこの幸運に打ち震えました。

 そして思ったのです。

 亜栖瑠先生に師事して改めてMTNを始めようと!」


ここまでの鳳凰院さんの情熱を聞き、

正直俺は引いた。

いや世界チャンピオンになった以上ファンがいるのは喜ぶべきなんだろうけど、

過去にをした身としてはこういうお願いを聞くのはちょっと抵抗がある。

だが過去と絶対的に違う点がある。

相手が鳳凰院の人間ということだ。

これを断って俺の悪評が鳳凰院家に広まったりしたら人生TheENDである。

それだけは避けねばならない。

彼女の要求を断れないことを覚悟した俺は必死に脳をフル回転させた。


「鳳凰院さんが俺からMTNを学びたい理由は分かった。

 そこまで熱心な人を断るのは先輩プレイヤーとしても失礼なことなので

 その申し出は受けさせて貰う」

「本当ですか!」

「ただし!いくつか条件がある!」

興奮する鳳凰院さんをけん制するかのように俺は告げる。

「ひとつ、俺の事は亜栖瑠先生ではなく今まで通り亜栖瑠くんと呼ぶこと。

 ひとつ、MTNのことは教えるけどあくまで

 先輩プレイヤーとしての事なので間違っても対価を俺に渡さないこと。

 ひとつ、MTNの話はあくまで学校外でのみすること。

 ひとつ、学校内では親しくしないこと。

 以上が条件だ」

「それらの条件の理由を伺ってもよろしいでしょうか?」

「まず先生なんて呼ばれたらムズ痒くて仕方ないし、

 連れて行こうとしているショップの連中に何言われるか分からない。

 対価に関してはさっきからの師事って言葉から

 鳳凰院さんは何か俺に差し出そうって意図がありそうに見えたからね。

 先輩プレイヤーが後輩プレイヤーに色々教えるのなんて

 当たり前の事なんだから対価なんて貰えない!

 残り二つは鳳凰院さんがMTNをやってることがバレるのを防ぐため。

 ご両親にMTNやりたいって言えないような状況なんだし

 学校でMTNやってるのがバレて広まるのはマズいでしょ」

「おっしゃりたいことはわかります。

 しかし学校で親しくするのがそんなにいけないのでしょうか?」

「そりゃ普通に考えたら鳳凰院のお嬢様と俺みたいな陰キャが

 仲良くする理由なんてないからね。

 そこから邪推されてバレるのも怖いし、これは守って貰わないと」

「承知致しました・・・」

「分かってくれてありがとう。

 今後はどのタイミングでショップに教えに行くかはチェインで連絡しよう。

 こうやって会うのもなるべく避けないと」

「はい・・・でも明日からもあいさつはしてもよろしいですか?」

ぶっちゃけ学校での条件は鳳凰院さんと親密を勘違いされて、

他の男子などから恨みを買うのを避ける為の条件というのが

裏の目的なので実はあいさつも勘弁願いたい。

でも上目遣いで泣きそうな顔の美少女にこんなこと聞かれてダメだね!

と言えるほど俺はメンタルが強くなかった。

「まぁあいさつだけなら良いよ・・・」

俺の返事に鳳凰院さんはパァっと花が咲き誇ったような笑顔を浮かべる。

俺、絆されてるなぁ・・・


その後時間差で店を出てそれぞれ帰路についた。

帰宅した俺は青ねぇから何か女の匂いがする・・・と言われた。

いやまぁ確かに女の子とは会ってたけどその台詞は弟に向けて言うやつじゃないだろ。

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