06 明日の僕に伝えたいことⅡ






「えぇ! トシお前、子どもいたの!?」

「ぎゃはは、そうそう! 陽太も何回か会いに来てくれたんだよ」


 昼のピークをさけて、地元の友人・トシが一家で店に来てくれた。

 結婚したことは知っていたけど、子供がいるなんて知らなかった。


「うわー、かわいい。やばい」

「うちの子の写真、待受にしていいよ」

「ダメダメ、明日になったら俺、誰の子か忘れんだから」


 俺の記憶のことは、地元で仲の良かった友達は大抵わかってくれている、らしい。

 以前俺が花音に、隠さないでほしいと伝えたそうだ。

 うん、それでいい。知らずに妙な顔をされるより、会えなくなるより、ずっといい。





「トシの子ども、かわいかったなぁ」


 ベッドに横になり、今日撮ったトシの子どもの写真を見返していた。


「……ふふ、パパに似なくてよかったよね」

「なー! いいなぁ、子ども。いいなー」


 記憶を失くす以前から、絶対に子どもは2人以上!と決めていた。自分がそうだからかもしれない。

 子どもができたら、キャンプとか、旅行とか、いろんなところに連れていきたいとも思っていた。


「でも……まだ俺は、むずかしいよね。子どもいることも忘れちゃうかもしんないもんね」

「……そうだね」


 答えた花音は、少しさみしそうだった。

 花音も昔から、子どもは欲しいと言っていた。花音や俺の家のような、温かい家庭を作りたいと。

 俺がこんな状況じゃそれもむずかしいし、花音には申し訳ないことをしているなと、思ってしまった。






<明日の僕に伝えたいこと・追記>

今日は花音に元気がなかった。

花音が笑顔でいられるように、もっとしっかりしないと。








 今日は、店の定休日。

 花音は用事があると言って、昼過ぎに実家に帰った。

 俺が花音と長時間離れるのは、今日が初めてらしい。花音は不安そうにしていたけど、俺にはその不安がよくわからないのが、申し訳ない。

 俺の記憶がおかしくなってから、俺は花音の両親には会ってない……らしい。


「まぁ、こんな俺を会わせらんないよなぁ」


 自分で言って、ちょっと傷つく。まぁ、しょうがないんだけど。




 することもないので漫画でも読もうと、元・母ちゃんの部屋に入った。

 もともと俺の部屋だったところを俺と花音の寝室にしたので、俺の部屋にあったものはほとんど母ちゃんの部屋に移動している。これも、ノートの情報。


(読んでない漫画も結構あるなぁ……)


 読んでないわけではないんだろうけど、読んだ記憶はない。

 俺の記憶がこうなって唯一便利なのは、同じ漫画を何度読んでも新鮮な気持ちで読めることだ。テレビや、映画も同じ。

 ……まぁ、それに花音を付き合わせるのはかわいそうなので気を付けろ、とノートにでかでかと書いてある。

 とりあえず、本棚の上のほうにある漫画を、ごっそり抜きとった。

 その拍子に、漫画の上に重ねられていた本が落ちてくる。


「ぎゃ、わ!」


 本は、俺の頭を直撃。

 これ以上バカになったらどうすんだと思いながら、本を拾いあげる。


「……なんだこれ」


 落ちてきた本……というより、分厚いノートを開くと。そこに並んでいたのは、母ちゃんの字。

 日付と文字がぎっしりと並んでいる。すぐに、それが母ちゃんの日記だと理解した。


「すげぇ、母ちゃんこんなの書いてたんだ……」


 その表紙には、『10年日記』と書かれてある。10年分の日記が書けるらしい。

 日記は、俺が専門に入学した2007年の4月から、母ちゃんが死んだ……2011年の5月まで、続いていた。


「花音……これがあるの、知らなかったのかな」


 たぶん俺は、この日記を読んだことはない。もし読んでいたとしたら、もっと読みやすい場所に置いているはずだ。

 なくした記憶を思い出すのにちょうどいいと、母ちゃんごめんねと思いながら、中を読んでいった。


✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼

2010年7月4日

 陽太は今日も父ちゃんにしごかれていた。上達しているのかどうか、よくわからない。

✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼


「母ちゃんひでぇ!」


 俺にとっての昨日、7月3日の翌日の日記は、それだった。

 その日記を見て、すこしほっとする。俺は記憶のないあいだも、ちゃんと生きていたんだと。

 それ以降も、俺や弟、父ちゃんに花音、身近な人のことが丁寧に書かれていた。毎日書いているわけではなく、気分次第でときどき書いているようだった。


✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼

2010年10月18日

 陽太が花音ちゃんにプロポーズしたいと、相談してきた。陽太もいつのまにか大人になっていた。大事なところで度胸がない為、毎日指輪を持ち歩き、今だと思った時いつでも言えるようにしておきなさいと、アドバイスをした。

✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼


 思わぬところで、俺のプロポーズの秘密を見つけた。

 俺は、花音にプロポーズした時のことは一切覚えていない。本気で、母ちゃんの言いつけどおりに行動したんだろうか。


✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼

2010年12月1日

 うちのバカは、まだ指輪も買っていないらしい。ヤマト君を呼び出し、一緒に銀座に行かせた。

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 たしか、花音に渡した婚約指輪はヤマトと買いに行ったはず。それは、母ちゃんの指示だったらしい。

 なんて情けないんだ俺はと、泣きたくなってくる。


✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼

2010年12月24日

 陽太がニヤケ顔で帰ってきた。聞くと、今日プロポーズをし、無事受けてもらえたらしい。まさか言い出してから2ヶ月かかるとは。さすが父ちゃんの血を引いた子である。

 それにしても、とうとう陽太が結婚。気弱で病弱で人見知りだった陽太が、立派に父ちゃんの跡を追い、あんなに素敵なお嫁さんを捕まえるなんて。

 付き合って5年もたつのに、未だに花音ちゃんにメロメロな陽太。尻に敷かれるのは確定である。

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 母ちゃんらしい文章に、思わず笑ってしまった。

 ニヤケ顔で家に帰ってきた俺。花音にメロメロな俺。ぜんぶ記憶には残ってないけど、こうして母ちゃんの日記を読むと、きっとそうだったんだろうなと信じられる。

 不安定な≪自分≫が、この日記を読むだけでだんだん安定していくのがわかる。




 それから、結納、婚姻届の提出、そして花音の引越しまで、いまの暮らしが始まるまでの過程を母ちゃんは細かく書きとめてくれていた。

 結婚までのことは、花音が教えてくれたことを書きとめたノートでしか、知らない。こうして母ちゃんの言葉で聞くと、やっぱりちがう感覚で受けとめることができる。


(5月まで読むのはこわいなぁ…)


 そんなことを考えながらぱらぱらとページをめくると、3月のページがやけに華やかなのに気付いた。

 母ちゃんが、3月30日の日記に、赤ペンで花丸を書き込んでいるようだった。








 3月30日の日記に書かれた内容を理解したとき、世界がぐるりとまわった。








✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼

2011年3月30日

 花音ちゃんが妊娠した! 初孫ができると父ちゃんも大喜び! 陽太は泣きながら花音ちゃんに抱きついていた。無事に生まれますように!

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 それから花音が帰ってくるまでずっと、なにもできなかった。

 なんで、とか、どうして、とか、悲しみと怒りで俺の心はいっぱいになっていた。


「ただいま~」


 そうして1時間くらいたって、花音が戻ってきた。

 いつのまにか、俺の体は冷え切っていた。


「陽太ー? 明かりもつけずに何して……」

「花音……」


 リビングにいる俺の手元に母ちゃんの日記があるのに気付いて、花音は表情を変えた。

 花音はこの日記のことを、知っていたらしい。


「……妊娠したって、どういうこと?」

「……」


 花音が、気まずそうな顔を向けた。


「……妊娠、してた、けど」

「……うん」

「事故の時……お腹の中で、死んじゃったの」


 気が狂いそうだった。

 どうして、どうして、どうして俺はそんなことも知らずに、今日という日を生きているんだ。

 自分の子がいたことも、死んだことも知らずに。


「俺に……俺が記憶なくしてから、それ、俺に言った?」

「……言って、ない」


 何度ノートを見返しても、妊娠、という言葉はどこにも出てこなかった。

 花音は俺に、話さなかったんだ。


「なんで……言わなかったの……」

「……私と結婚してることも……家族が亡くなったことも、知らない陽太に……言え、なかった」


 胃が、胸が、じくじくと痛んだ。

 俺の感覚としては、今日1日のうちに記憶を失って、結婚や家族の死を理解し、更に自分の子が死んでしまった事実を聞いた……としか、実感がない。

 でも実際はちがう。病院で診断を受けてから今日までの何ヶ月もの間、俺は自分の子が死んだことを知らずに……生きていたんだ。


「……俺はいまちゃんと、わかる。

 花音と結婚してることも、家族がいないことも……ちゃんと、朝、ノート見たらわかるし……」

「……」


 混乱していた。

 何カ月ものあいだ、花音はどうしていままで話してくれなかったんだという気持ちが強かった。


「俺が……どうせ忘れてるから、言わなかったの……?」

「違うの。言わなきゃってずっと思ってたけど、でも……陽太が傷付くのはもう見たくなくて……」

「隠されてる方が、傷付く!!

 言わないでいたらわかんないとか、そんなふうに思われてるほうが……!!」


 肩を震わせて言いながらも、俺はこんなことが言いたいんじゃないと思っていた。


「なんで、なんで俺は、こんな……」


 花音の言うことは、わかる。

 わかるのに、わからない。理性ではわかっても、感覚を共有できない。

 時間と記憶がズレるだけでこんなに、弊害が出るなんて。


「俺は、花音のこと……守って、やれないんだ……」


 今の俺には花音の気持ちを、わかってやることができない。

 何が理想の家庭だ。子ども2人だ。

 自分のこともままならない、大事な奥さんのことも守れない俺が、夢や希望をもつなんて馬鹿げてる。

 どうしていままでの俺は、それに気付かなかった? 考えないように、気付かないふりをしていた?


「俺は……花音と一緒にいる資格なんかない。なんにもわかってやれない、もう……」

「そういうことじゃない!! そうじゃなくって……」


 花音は俺の服をつかんで、顔をゆがめた。


「言うのが……つらかった。時間をかけて、やっと2人で乗り越えてきたのに……陽太のお母さん達のこと言うのだって、つらかったのに……!」


 花音は、泣いていた。

 泣く花音を見て、俺はやっぱり花音の苦しみは理解できないだろうと思った。


「赤ちゃんのこと、言おうとすると……自分で自分の傷、えぐるような気持ちだった……言いたくなかった、言葉にしたくなかった!!

 せっかく、せっかく……乗り越えたのに……!!」


 花音が苦しみ、戦い、立ち直った過程も、俺は知らない。花音がこんなに傷付いていたことも、知らない。

 知るためには、せっかく立ち直った傷を、もう一度開かせなければならない。


 気付かなかった。きっと、今日までの俺は一度も、気付いていなかった。

 俺より、ずっと、ずっと、花音のほうが負担が大きいということを。


「……ごめん……」


 俺は、花音よりも俺のほうがつらいと、大変だと……すくなくとも今日の俺はそう、思っていた。花音もいつも、そう言ってくれた。

 花音が俺を支えてくれていることは理解していたけど、やっぱり、ノートで明日の自分に伝えるには限界がある。

 俺は昨日の苦痛を今日まで引きずらない。花音は、違う。全部覚えている。自分の苦痛も、俺の苦痛も。


「ごめん、花音……ごめん……」


 涙を流す花音に触れることすら、ためらわれた。

 どうしようもなく、無力だった。


 明日になれば、今日の俺のこの感情は忘れてしまうんだろう。

 花音の気持ちを理解するには、きっと今日1日じゃ足りない。

 それに花音がもう話したくないと言ってしまえば、結局なにもわからないまま、明日になる。全て、忘れてしまう。


「もう、俺は……どうしたらいいか、わかんない……」


 涙を流し、ぼんやりと手元を見つめる花音。


「ごめん、私も……わかんない……」


 そろそろ限界だと、思った。


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