05 明日の僕に伝えたいことⅠ
<明日の僕に伝えたいこと>
僕の記憶は、24時間しかもたない。
2010年12月24日、僕は花音にプロポーズした。花音はプロポーズを受けてくれて、結婚した。
2011年6月、僕は交通事故で両親と弟を亡くした。その事故の後遺症で、僕の記憶は24時間しかもたない。記憶は2010年7月で止まっている。
朝、はやく起きないと親父に怒られる、と思いながら無理やりに目をこじ開ける。
それから、あぁもう親父はいないんじゃなかったっけと、夢うつつに考える。
ノートの表紙のメッセージを読んで、そうそう、俺の記憶はリセットされてるんだと理解する。
俺にとっての昨日は、2010年7月3日。だけど世間はちがうんだとぼんやり考え、携帯の画面を見て、ようやく日にちがわかる。
そしてノートを広げ、本当の昨日までの自分をチェック。ここまではおそらく、毎朝やってること。
(昨日……あいつらと飲んだのか。うわぁ、老けたなあいつら)
昨日は店に地元の友達が来てくれたらしい。
チェキで撮った写真が、ノートに貼られている。写真の脇にそれぞれの名前が、花音の字で書き込まれていた。
会うのは1ヶ月ぶりくらいの気分だけど、実際は記憶の中の友達の姿からは1年半たっている。
時間の流れはいまいちわからない。昨日昨日と言ってはいても、俺にとっての昨日は2010年7月3日。
「おはよう」
「おはよ。パン買い忘れたから、ご飯でいい?」
「うん」
俺は、花音にプロポーズしたらしい。その記憶はないけど、花音と結婚してるんだということは、なんとなく理解できる。
困惑もあるけれど、花音と結婚してるという事実は、嬉しい。
(花音のことも、老けたなって思うのかなぁ……それはヤダなぁ)
毎日会う人や毎日することは比較的覚えている……ような気はするけど、しっかりと記憶に残っているわけではない。そもそも≪毎日≫という感覚もよくわからない。
だから記憶というより、夢、というのが近いかもしれない。
長い夢の中で、花音にプロポーズして、事故に遭い、家族を亡くしたんだ……と。
「うわぁ、今年ロッテどうしちゃったんだよ」
「……ちなみに去年は最下位だよ」
あまり考えもせず思わず言葉をこぼしたあとに、はっとすることがある。
「……これ、同じこと前も言った?」
「あはは、うん」
花音は笑って、そう答える。そのたびに自分が、恥ずかしくなる。
かと言って、言ってないよ、とごまかされても、その言葉をきっと俺は疑うだろう。そう考えれば、正直に答えてくれる方が助かる気がする。
……と、きっとこれも同じことを何度も考えてきたに違いない。あとでノートを見返して、書いてなければ書き足そう。
ノートには、その日にあったことだけじゃなく、考えたことも書くようにしている。これはもう、習慣になっている……と思う。
そうしないと、必死で考えて行き着いた答えを忘れて、翌日また同じことを考えなきゃいけなくなるからだ。
考えたことももちろん翌日には忘れてしまうんだけど、いつのまにか、記憶がなくなるということに慣れている自分がいる。前はこんなに冷静に、自分を受け止めることなんてできなかった……と思う。
夢の中で学習し、成長しているようなそんな気分。どっちにしても、変な気分。
厨房に立つのも慣れたような、新鮮なような、不思議な感覚。
朝のうちにレシピを確認して(俺の記憶に残っているレシピとすこし違っているので)、昼のピークに慌てないように準備する。
「お願いしまーす! 野菜ニンニクアブラ増し増し!」
「あいよー」
「あーい」
花音は、こんな男臭い中華屋でしっかり働いてくれている。小学校からの憧れの人が、アブラ増し増し、なんて言ってると思うと、変な気持ちになる。
俺の記憶の花音は、保育園の先生をしていた。花音は保育士になるのが、昔からの夢だった。
どういう経緯でうちの店で働くようになったのか……それも聞いたんだろうけど、ノートを見ないと思い出せない。
(えーと……そう、事故で……
そうだ、事故で親父たちが死んだから、たぶんそれから店を手伝ってくれるようになったんだ)
おおまかなことは理解していても、どうしてとか、何がとか、そういう細かいことがよくわからなくなる。
俺の存在は、なんだかあいまいだ。
巨大な時間の流れのなかで、俺だけがひとり取り残されているような、不思議な感覚。
この感覚はきっと、毎日感じているんだろう。記憶にはないけど、なぜか慣れた感覚に思える。
「今日は夕方で閉めます!」
「えぇ~、もうちょっと飲ませてよ~!」
「島木さん、ダメ。今日の夜はサンタさんやるんでしょ!」
2011年12月24日、花音の一存で(ノートに書いてないからきっと、俺に相談もなしに)、夕方には常連客を追い出し、そのまま店を閉めた。
俺が厨房の片付けをしている間に花音が、家でお祝いの準備をしてくれた。
「陽太、23歳の誕生日、おめでとう!」
「ありがとー」
シャンパンを注ぎ、グラスをかちんと合わせる。
いつもは店の残り物で夕飯を済ますらしいけど、今日は花音が俺の好物ばかりを並べてくれた。
「23歳かぁ……実感ないまま歳だけ取ってくなぁ」
「やだなぁ、私がおばさんになっても捨てないでね」
そうして花音は、けらけらと笑った。
(花音のことも、おばさんって思う日が来るのかなぁ……それはヤダなぁ)
そんなことを考えながら、きっとこれも何十回も考えたんだろうなぁと思う。
「……てか、そっか。今日って俺がプロポーズした日なのか」
「そうだよー。1年前の、今日」
俺にとっての昨日から、半年までの間に……俺は花音にプロポーズすることを決めたらしい。
指輪を買った時のこととかはヤマトが教えてくれた(このへんは今朝、ノートで復習しておいた)けど、どうしてその時プロポーズしようと思ったのかとか、そういうことは俺以外に誰も知るはずがない。それなのに、その俺の記憶は消えて無くなってしまっている。
「花音は、俺が花音にプロポーズしたのを覚えてないのは、かなしい?」
聞いてしまって、はっとした。そんなこと、聞くもんじゃないと。
「……悲しんでも、仕方ない。私より陽太の方がずっと大変なんだから」
つまり、悲しいってこと。
愚問だとわかっていても聞いてしまうあたり、俺はバカだと思う。
「でも……悲しいのは仕方ないって思えるけど、それより……不安、かな」
花音の言葉に、俺は首を傾げた。
困ったような顔で、花音が続ける。
「21歳の陽太は、私にプロポーズする気はなかったんだよね。
そこで記憶が止まってるのに……いま、23歳になった陽太は、私と結婚して良かったと思えるのかなって」
思わず、どきりとした。
たった今俺が考えていたこと、まさにそれだったからだ。
俺はバカだ、と思った。今となっては、花音は俺以上に俺のことをよくわかっている。
俺が思うことの何倍も、何十倍も、花音は不安を抱えているにちがいないのに。
「むずかしいけど、今日……2011年12月24日の俺は、花音と結婚してよかったと思ってる。きっと……毎日、そう思ってる」
俺が言うと花音は、ほんのすこし笑顔を浮かべた。
「どういう経緯でプロポーズするって決めたのか……わかんないけど。去年の俺、よくやった!って思うよ。
高2の俺と同じくらい、ほめてやりたい」
「ふふ、高2の俺?」
「そう、花音にプッシュしまくって、告白した高2の俺。あとは、中3のときに受験がんばった俺」
記憶にはないけど、去年の俺はたしかに存在していた。
花音にプロポーズして、受けてもらえて……きっと跳びあがるほど、喜んだにちがいない。
それから1年のあいだに、驚くほどいろんなことがあって……いまここで、今日という日を過ごしている。
時間は、たしかに流れている。
「ずっと……花音は、そばにいてくれたんだよね」
俺は覚えてない。
事故のあと、2人でどう乗り越えてきたのか。記憶がなくなった俺に、どう接してくれていたのか。
「……プロポーズ受けた時、どんなことがあっても陽太についていくって決めたの。だから、当たり前のことだよ」
そう言って、花音は笑った。
不覚にも、泣いてしまいそうになった。
「……ありがとう。花音がいて、ほんとによかった」
俺は幸せ者だと、思った。
翌日になれば記憶はなくなるけど、大好きな人はそばにいる。
花音がいれば、俺は、永遠に俺でいられる気がする。
<明日の僕に伝えたいこと・追記>
花音と結婚したときのことも、僕は忘れている。
覚えておかなければいけないのは、ずっと花音は僕のとなりにいてくれたということ。記憶をなくしてしまう僕を、そばで支えてくれたこと。
僕の時間は止まっていても、世界の、花音の時間は進んでいることを、知らなければいけない。
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