04 花音の記憶Ⅲ





 翌朝陽太は、昨日と同じ7時半に起きてきた。


「……あれ? 花音?」


 昨日と同じ、反応。少し困惑した表情を、私に向ける。


「おはよう、陽太」

「おはよ。父ちゃんは? もう店?」


 まるで、テープレコーダーで録音した音を聞いているみたいだった。

 陽太の記憶は再び、リセットされた。







 私は陽太に、全てを説明した。

 今は2011年の10月だということ、昨日病院の先生に教えてもらった陽太の記憶の状態について。

 そして、記憶をなくした1年3ヶ月の間に起こったこと。結婚して、事故に遭って、家族を亡くして、店を継いだこと。


「……そん、な……嘘、だろ……なんでそんなこと……!!」


 まるで初めて聞かされたかのように、陽太は崩れ落ちて、泣いた。


 私まで、心が苦しかった。

 これから毎日、陽太は傷つき、涙を流す。

 こんなことを毎日繰り返すのかと思うと、すでに気が滅入ってしまった。

 理解してもらって落ち着くまでに、午前中を使い果たした。







「……ヤマト? ごめんね、いきなりお店休みにして」

『それはいいけど……なんかあったの? 大丈夫?』


 自分1人でどうにかできる気がしなくてヤマトに電話をすると、すぐに家まで来てくれた。


「……ヤマト」

「大変だったね。俺もできることやるから」


 そう言ってヤマトは、陽太の背中をぽんぽんと叩いた。







 ヤマトがパソコンで病気について調べてくれている間に、昨日診てくれた先生に電話をした。

 状況を説明すると、はっきりとはわからないけど、24時間くらいで記憶がリセットされるのではないか、とのことだった。

 先生もこれまでの症例を調べてくれたようだ。その日に話したこと、覚えておかなければならないことなど、とにかく細かくメモを取るようにと言われた。


 また、毎日の習慣なんかは、記憶がリセットされても覚えていられるようになるかもしれない、とも言われた。たとえば、私と結婚している事実や家族が亡くなったこと、記憶が無くなってしまうことなど。

 出来事の記憶はできなくても、アイデンティティとして残るようになる可能性はある、と。


「陽太、つらいと思うけど……メモしていこう。朝起きた時、混乱しないために」


 ひとつずつ、向き合っていくしかない。

 今日どこまでできるかわからないけど、まずは明日の陽太のために。


「……わかった。花音の知ってること、全部教えて」


 陽太は、弱い。

 弱いけど、一生懸命受け入れようとしてくれてる。

 その大変さは、私には想像もつかない。






 まずは、陽太の記憶についてノートに書き込んだ。私の話をメモに取り、朝すぐに読めるように、短くまとめた文章も作った。


「……2010年の12月……いつかな、頭のほう。

 陽くんにいきなり呼び出されて、指輪買うの付き合ってって言われて」

「え、その話私知らない」

「陽くんが黙ってろっつったんだよ。男2人で銀座ウロついて、すげー恥ずかしかった」


 ヤマトも、記憶の整理に協力してくれた。

 陽太は、へぇ~、と相槌を打ちながら、メモを取っていく。


「2010年12月24日……陽太が行きたがってた、赤坂のお店かな?

 そのお店予約して……誕生日プレゼントはお財布をあげて、今も使ってくれてる」

「1回失くして、泣きそうになりながら探してたな」

「で……ご飯食べ終わって、デザートが出てきて。

 その時、陽太がポケットから指輪出して、『結婚して下さい』って」


 私が言うと陽太は、少し恥ずかしそうに頭をかいた。

 自分の知らない自分の話を聞くというのは、なかなか照れくさいものなのかもしれない。

 それから、あの事故の話。聞いている陽太は辛そうだったけど、全て漏らさず、ノートに書いていった。


「退院してからは、こっちが心配になるくらい……毎日毎日、料理の勉強してた」

「俺も花音も、何回味見させられたかわかんねーよな」

「うん。でもどんどん美味しくなって、またお店開けられるようになって……。常連のお客さんも、すごく喜んでたよ」


 昨日から、お店はずっと閉めっぱなしだ。

 心配した常連さんが何人か、わざわざ電話まで入れてくれていた。

 彼らには、再開はいつになるかわからないとだけ、伝えた。


「……あの時は、陽くんも花音も……ほんとによく頑張ったと思うよ。

 家族亡くして、自分たちも大怪我して。それでまた、店再開したんだから」


 ヤマトの言葉を、感慨深そうに聞く陽太。

 去年の夏の時点で、陽太はすでにお店を継ぐ気でいた。

 その気持ちさえあれば、記憶がなくなるとはいえきっとまたいつか、お店を再開できる。


「そんなにたくさんのこと、忘れちゃったんだな」


 最近までの記憶を辿り終えると、陽太はぱたんとノートを閉じた。


「なんかほんと、悲しいなぁ」


 今ここにいる自分も、明日には忘れてしまう。

 そうわかっていながら、明日の自分のために、メモを取る。

 陽太の戦いは、始まったばかりだ。







 それからしばらくは、同じような毎日を繰り返した。

 陽太は、起きたら必ず読むようにとノートを枕元に置いた。

 悲しそうにノートを読み進める陽太の姿は、見ていられなかった。

 しばらくは取り乱したり混乱はあったものの、徐々に毎日の習慣は身に付きつつあった。


「えーと……おはよう」

「おはよ」


 朝、私が家にいることにも、慣れてきた。

 記憶がリセットされること、私と結婚していること、家族が亡くなったこと、父親の店を継いだということ。

 記憶としては残ってなくても、なんとなく自分がそういう人間なんだということは、朝目が覚めても理解できているようになった。おかげで、朝の記憶を辿る時間は、少しずつ短くなっていった。


「うわぁ、今年ロッテどうしちゃったんだよ」

「ちなみに去年は最下位だよ」


 朝さえどうにかなれば、それからは普通の会話もできる。

 去年の夏からの記憶がないとはいえ、元々好きだったものは好きだし、記憶をなくした期間に気に入ったものは、もう一度見ても気に入る。

 陽太は陽太なんだと、少し安心する。






「違う違う。肉だけの状態で、粘りが出るまでよくコネるんだよ」

「えーと、肉だけでコネる、……と。すげぇなヤマト、俺より詳しくなっちゃって」

「せんぶ陽くんに教わったことですから」


 料理の腕……というか、店の味を出すという意味では、やはり去年の状態まで戻ってしまった。

 ヤマトが陽太の右腕となって働いてくれていたおかげで、どうにかお店の味を保つことはできそうだった。

 元々料理に関しては覚えの良かった陽太は、一度レシピにきっちりまとめてしまえば、それなりのスピードで料理を作れるようになった。


「おう、久々だな! もう調子は戻ったのか?」

「え、と、はい」

「はいぃ~? なんだなんだ、先週までの元気はどうした!」


 お店を開けられるようになったのは、記憶を失ってから2週間後。

 常連さんには、私から簡単に事情を説明した。

 初めはあまり理解してくれなかった常連のみんなも、少しずつ、わかってくれるようになった。






「よー、在原!」

「森下……じゃねぇや、そっちの在原も久しぶり」

「あはは、久々~。みんな来てくれてありがとう」

「なんか老けたなー! お前ら!」


 よく遊んでいた地元の友達にも、少しずつ会うようにした。

 陽太の記憶のことを隠すべきか悩んでいたけど、一度それを尋ねると陽太は、どんなに忘れてもいいからみんなと会いたい、と言った。

 友人たちには、私から事前に話をしておいた。そして陽太の前でも、その話をして問題ないと。


「寂しいよなぁ、今日のこの会話も忘れちゃうんだろ?」

「でもいいよ、いま俺楽しいし! それに俺が忘れても、お前らが覚えといてくれるし」

「キモ! お前そんなこと言う奴だったっけ?」

「ひゃひゃ、うるせーなぁ!」


 少し微妙な空気が流れることもあるけど、友人たちは理解してくれたし、陽太も気にしないように心がけているようだった。

 記憶には残らないはずなのに、陽太の心は毎日少しずつ、成長しているように感じた。






 料理以外のことも、付箋に内容と時間をメモしていき、夜になるとそれをノートにまとめた。

 動画や写真を撮って、それも合わせてノートにまとめたりした。


「うわぁ、今年ロッテどうしちゃったんだよ」


 今まで通り、とはいかない。事故に遭い、傷つき、時間をかけて一緒に立ち直った陽太にはもう二度と会えない。


「……ちなみに去年は最下位だよ」


 だけどそこを比べてしまうのはあまりに酷だとわかっているから、私は今日の、今の陽太を受け入れる。



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