第4話
樽真田さんを追いかけて、たどり着いたのは一つの川。マグロが獲れたくらいだから、アマゾン川ほどではないにせよ大きな川だと想像していた。だけど、その川は想像よりもずっと小さい。川幅は三メートルもないのではないか。水底は見えないから、深さは結構あるのかもしれないけど、それでも小さく感じられる。
そんな川にかかる小さな橋から、ボクと樽真田さんは流水を眺めている。
「川だねえ」
「川ですね」
川のせせらぎを聞いているだけで、涼しく感じられる。冷ややかな風がボクたちを撫でていくけども、そこに潮の香りは含まれていない。
「やっぱり、でまかせだったんじゃ」
「あれ見て」
樽真田さんが川を指さす。ちゃぷんと音を立てて、魚が飛び出して、また水中へ。唖然としているボクの前で、二度三度と魚が飛び跳ねた。もちろん、バスやフナだってジャンプするけども、そいつは細長くて羽のような胸ビレを持っていた。
「トビウオ……」
「うん。海でしかみない魚だねえ」
明らかに場違いなその青魚は、ヨシだかアシだかをハードルのように飛び越していく。別のところで魚が飛び跳ねたかと思えば、それはボラによく似ていた。
町長が言っていたことはどうやら本当らしい。
「信じられない」
「確かに信じられないが、これが現実だ」
樽真田さんは言うなり、錫杖を持ち上げて、その先端で地面を打つ。上部の金属製の輪がこすれあい、シャクシャクと音を上げる。
先端から、地面へと光の割れ目が浮かみあがる。それは放射状に広がり、ボクの足元まで広がっていく。慌ててよけようとしたけれども、光の速さにかなうことはない。足元を通り過ぎてから、ボクは飛び上がっていた。
「な、なにっ!?」
ボクの疑問に、樽真田さんは答えてくれない。切れ目からこぼれる白光に照らしあげられた彼女は、ぼそぼそと何事かを呟いていた。切れ間のないその言葉は、何かしらのお経に違いないのだろう。だけど、ボクには理解できない単語の連なりのように聞こえてしょうがなかった。
日本語や、サンスクリット語とまた違う、外国語のような響き。
フラットな、呪文のような言葉が樽真田さんの口から発せられるたびに、光はその強さを増す。そして、光の帯は空中へと浮かび上がった。
ボクは目をこすった。見間違いか、熱中症で幻覚が見えてしまっているのか。でも、いくらまばたきしようとも、そこに光は浮かんでいた。
文字のように見えた。インクがにじんだだけの意味のないモノのようにも見えたし、卒塔婆に書かれている文字のようにも見えた。
結局、わからない。
だけども、目の前ですごいことが起きてるんだということはわかる。大地が揺れ、風は騒がしくなり、どんな火でも揺らめいてしまいそう。水は飛び跳ね、空は忙しくその顔を変えている。
それらを動かしているのは、光の中心に立つ樽真田さん。
その目がカッと開かれる。
また、錫杖が打ち据えられた。
シャクン。
清い音が空間へ響き渡る。
そこで、ボクはそれを見た。
川の上を漂っている、黒い物体を。
それは文字だ。だけど、先ほどの光が形づくっていたものとはまた違う。
見慣れた文字はアルファベット。それによって構成されていたのはプログラム。どうして、そう思ったのか、自分でもわからない。――見た瞬間に理解できたということは、もしかしたら。
ボクは、そうなっているということを知っていた?
目の前では、ブロックノイズがかった文字に、光が近づこうとしているところだった。ジャギジャギした黒文字に触れた途端、その文字は白くなり、書き換えられる。かちりと、何かがハマるような音がした気がした。あるべきところにあるべきものがぴったりはまったような感覚とでもいうか。
白は、黒を塗りつぶしていき、そして文字そのものが景色に溶け込んで消えた。
同時に、足元を走っていた光もまた、霧散していた。
後に残ったのは、海めがけて流れていく川。
魚が飛び跳ねる。それはボラでもトビウオでもなければ、マグロでもない。ありふれたコイであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます