第3話

 駅まで歩き電車に乗りたどり着いたのは、大都会から離れた小さな町だった。コンクリートジャングルから距離を置いたことで、周囲には緑が広がっている。森からやってきた爽やかな風が、火照ったボクの体を撫でていく。包み込むようなセミの大合唱が騒がしい。


「どうしてここへ?」


「困っている人がいるらしくてね。話を伺いに来たの」


「人助けのためってことですか」


「そそ」


 町の中に入ると、好奇の目がボクたちを出迎えた。たぶん、よそ者が来たから、気になっているのだろう。よそ者の一人が、袈裟を着ているとなれば目立つというもの。少なくとも、ボクが見られているというわけではないと思う。


「この町って、来たのはじめてですよね?」


「そうだよ」


「でも、迷いありませんね」


「何となくわかるからさ」


「そういうものなんですね」


 あっという間に、とある家の前にたどり着いた。町の中でも特に大きなその家は、おそらく町一番の偉い人が住んでいるのであろう、ということを想像させる。


 トントントン。樽真田さんが扉を叩く。まもなく、男の人が出てきて、目を丸くさせた。


「まさか本当に」


 驚愕の声を発する男性に、樽真田さんは頷く。


「困っていることがあるのでしょう? お聞きしましょう」



 男性はこの町の町長らしい。町一番の偉い人ということで、人々からの相談が絶えないとか。


 その話がやってきたのは、少し前のこと。


 やってきたのは漁師であった。漁師っていっても、海へ行くわけじゃない。この辺りには海はなく、あるのは川。そこで投網漁がおこなわれているんだけど、獲れるのは当然ながら川魚。サケとかウナギとかがよく上がるらしい。


 漁師は、その日も漁を行った。で、いつも通り魚がかかった。


 かかった魚は、マグロだった。



「その漁師が買ってきたマグロを網に入れただけじゃないんですか」


「私だってそう思ったさ。だが、網の中でぴちぴち跳ねていたんだぞ。幻でもなんでもなかった」


 町長が肩をすくめる。彼もまた、信じられないようであった。


 だけど、樽真田さんは違った。意味深長に頷いたかと思えば。


「なるほど。わかりました」


「わかったんですか。どう考えたっておかしいですけど」


「おかしいから、この人は私に相談しようと思ったの。当然だよ」


「もしかして、本当だと言いたいんですか」


「それはわからないが、確認しないと。単に、海からここまで迷い込んで来ただけかもしれないし」


 樽真田さんは立ち上がり、頭を下げて部屋を出て行く。ボクは慌てて立ち上がって、後を追う。彼女は、今まさに、町長の家を出ようとしているところだった。


「あ、あの。マグロが現れたっていう場所は聞かなくても」


「それはわかるから大丈夫。それより」


 家から少し離れたところで、樽真田さんは立ち止まり、ボクの方へと向きなおる。


 邪気のない目が、ボクを貫いていく。体をすかし、心を、考えまでもを見透かされているような気がして、不安になってくる。そんな樽真田さんの前には、吹いていた風もすっかり止まってしまった。


「キミって、そういうところあるよね」


「そういうところって」


「なんでも疑ってかかるところ」


「そりゃ確かにそうかもしれませんけど、樽真田さんに何がわかるって言うんですか」


 ボクの言葉に、樽真田さんは黙ってしまった。


 言いすぎてしまった。――そう思ったけれど、心の奥底には、これでよかったという気持ちもある。心が読めたとして、だからなんだというのか。


 別に、長い付き合いというわけでもない。それなのに、わかったようなことを言わないでほしかった。


 風もなく、草木がこすれあうこともない静寂だけがあった。


「そうだね」


 呟き声が聞こえてきたと思ったら、樽真田さんは歩き始めている。その、マグロがかかったというポイントへと向かっているのはわかるけども、ボクがついていく理由はあるのだろうか。取材はとっくに終わっている。あることないことでっち上げることだって、できないわけじゃない。編集長をはじめとして、みんなやっていることなのだから。


 でも。


 ボクは小さくなりつつある背中を見る。そこはかとない興味が、膨らんでいく。どうして気になるのだろう。


 不思議な人だけど、樽真田さんとは、今日出会ったばかりで。


 違和感はそこにあった。初対面。デジャヴのようなもやもやとした違和感があったけども、その正体は結局わからなかった。

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