2.
床石を通して伝わる音はフリーデにしか聞き取れることができなかった。
「どこから地下に降りるんだろかな」
ホドルが独り言のようにいう。クレイはアルコーヴの奥にある扉を見た。
「あの向こうにはいない?」
クレイの言葉にフリーデは首を振る。
「聞こえないけど、それだけよ。待ち伏せしているかも」
「竜の汗を取るには、まずその尾を掴まなければならない」
ロビーに持ち込んだ用心灯に火を灯しながらラクトが言った。
「気楽に言うなよ」
クレイがぼやくと、ホドルが小さく笑った。
「坊さんの言うことは一理ある。だいたいやることやらんで帰れないのだからな。遅いか早いかだろうが」
「怪我はしたくない、って話でしょ」フリーデが小さく笑う。「こんな山奥で怪我して、アテにできるのが生臭坊主の呪文だけなんてぞっとしない」
「ひどいですね」ラクトは苦笑いを浮かべていた。「薬も軟膏もありますよ。だいたい、これが初めてでもなし」
「腹を括れよ。クレイ」
短弓を床に置いてケイ・クー言う。その表情は静かだった。
「アタリを引いたなら国に戻れるんだろ」
「それで終わりってわけじゃないけどね」クレイは微苦笑を浮かべている。「解ったよ。いつも通りに残りを洗おう。地下に降りる口を見つけても下は後回しだ。ケイ・クー」
「背中は頼むよ」
ケイ・クーは腰の後ろにまわした鞘から短刀を抜き、掌の中で回して逆手に握りなおすと、アルコーヴに入る。
「フリーデ」
その声に促され、フリーデはアルコーヴ奥の扉へ向かうケイ・クーに続いた。
「ホドルはあの扉を固めといてくれ」
クレイはそう言い残してフリーデの後を追って扉の向こうに入っていく。
「だとさ」ホドルはラクトを見た。「確かにそろそろアタリを引いてもいい頃合いだな。ハズレばかりというのも少々飽きる」
「そう思えばアタリを引くというものでもないでしょう。でも、確かにここは筋が良いかもしれませんね」
ホドルは訊き返す。ラクトは小さく肩をすくめた。
「館の回りの報せ糸、仕掛けが新しかった。たぶん、最近張りなおしてるのでしょう。この館は使われている。でも、上の階は使われてなくて、賊がいたのはここで初めて。いかにも頭数が少ない。となると、あの報せ糸は迎え撃つためのものではなくて」
「身を隠すためのものか」ホドルは短い腕を組む。「それも地下に身を潜める時間を稼ぐためというわけだな」
「たぶん、そんなところでしょうね。騒ぎを起こして目を付けられるのを避けるのは、隠したいものがあるから」
「それは銀の至福を精製しているから、と。なるほどな」ホドルはアルコーヴの奥に目を向ける。「背族者もいてくれると助かるが、さすがにそれは望めんな」
「精製場にはむしろいないでしょうね」
「まあ、そこから手繰れる何かがあればいいさ」ホドルは一人頷く。「じゃあ、わしも向こう側で備えるとしようか」
「御武運を」
その言葉に空いた左手を軽く挙げて答え、ホドルは扉を抜け、左右に延びる廊下に入った。左手、突き当りの床に用心灯が置かれ、ぼんやりと周囲を照らしている。反対側を振り返ると扉の脇に埋め込まれた金具にランプが吊るされているのを見分けることができた。ランプは消えていて、暗がりの中ではあったが、まだ新しいように見える。確かにこの館は使われているようだ。
左手から物音が聞こえた。用心灯の光を浴びてケイ・クーが廊下に出て来る。
「降り口は」
ケイ・クーは足早にホドルの方へ歩きながら廊下の右奥を黙って指さす。フリーデに続いてクレイが出てきて用心灯を拾い上げた。ケイ・クーはホドルの前を通り過ぎる。
「誰かいたのか?」
フリーデは黙って首を振った。そのままケイ・クーに続く。ホドルはフリーデの仕草の意味を掴みかねた。クレイと目が合うと頷く。
「便所やら洗い場やら。決め手は台所に食料庫かな」クレイは言った。「使われてる。でも、さっきの三人で使うには食い物が多い」
「残りは下か」
クレイは頷き、ホドルの肩を軽く叩く。
「来てくれ」
廊下の奥は闇に沈んでいたが、クレイが提げる用心灯が暗がりを払う。ケイ・クーが隅で片膝をつき、壁の下を睨んでいた。フリーデがその後ろに立ち、ケイ・クーと同じところを見下ろしている。
「降り口はあそこだけか」
「館の外にあるかもしれんけど」
「裏を突かれないか? 坊さんのところに戻ろうか」
「フリーデは屋敷の外に出る足音を聞いていない」
「聞き漏らしてることは?」
ホドルが言い終わる前にフリーデが振り向き、睨むのが解った。
「あの耳だよ」クレイは苦笑いを浮かべていた。「外に逃げていないとすると、隠れているか、待ち伏せしているか」
「あるいは気付いてない、はないか」
「そういう足音ではないそうだ」
ホドルは溜息をついた。
「エルフ耳だからの」
「何か文句でも?」
抑えた声でフリーデは言った。ホドルは首を振る。
「いや。この先面倒だなと思っただけだ」
そう答えてケイ・クーとフリーデが見下ろしていた先を見る。そこには人が一人通れる幅の下り階段があった。突き当りの木の扉は閉ざされている。
「嫌な階段だな」
クレイは頷く。
「ホドル、扉が開くか試してくれないか。ケイ・クーはその前で待機」
「鍵がかかってたら?」
「ぶち破る」
「だったら始めからそうしようや」
「音出して報せてやることもないだろ」
まあ、そうだな、とホドルは戦斧を左手で握りなおし、階段を降りる。ケイ・クーが先に降りて、扉の前で片膝を落としていた。
「フリーデ、ナイフの用意を」
後ろでクレイの声。ホドルは扉の前に立ち、取っ手を持つ。蝶番を確かめ、ホドルは扉を押した。蝶番が微かに軋みながら扉は右に開いていく。
開いた扉に音を立てて矢が突き刺さった。その時にはもうケイ・クーは扉の向こうへ飛び出し、左に向かって消えている。ホドルは開きかけていた扉を蹴り出したが、何かに当たって跳ね返ってきた。ホドルが扉に体当たりして押し開き、場所を作ると、フリーデが跳躍。一気に階段を飛び越え、開いた扉を目隠しとして低い姿勢で着地。続く一挙動で左に跳躍していた。
ホドルは扉を右へ押しやる。扉の裏には誰かがいた。ホドルは扉を一度引き、勢いよく押して扉の陰にいる何かにぶつける。
「そこはいい」
クレイに肩を叩かれ、ホドルは視線を巡らせた。そこはちょっとした広間のようだった。左手奥にランプの明かり。ケイ・クーとフリーデが弓を手にした一人の賊を相手に切り結んでいる。その向こうに、抜き身の剣を手に下げた男が左側の角から走り出してきた。ホドルが一瞬振り返ると、クレイが床に倒れた賊の身体へ剣を突き立てるところだった。それ以上は構わず、ホドルはケイ・クーとフリーデの向こうに現れた新手へ向かって突進する。
ずいぶん軽い相手だとホドルは感じていた。
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