忘れられ去られた館にて

ながはま

1.

 屋根を静かに洗っていた雨の音は聞こえなくなっている。入り込んだ時はわずかに差し込んでいた光も今はなく、吹き抜けのホールは暗闇に包まれていた。侵入時に使った二階回廊の片隅に置かれた用心灯から広がる薄ぼんやりとした丸い光だけが僅かに床と壁を浮かび上がらせている。

 三階の回廊から下る階段を二つのシルエットが静かに降りてきていた。用心灯のうす暗い光に近づくにつれ、若い男と長い金髪を後ろで束ねた若い女の姿をかろうじて見分けられるようになる。男は二の腕ほどの長さの幅広の剣を手にしていた。女の方は男が手にするものよりは長い細身の剣を持ち、革の胸甲を身に着けている。その耳は長く尖っていた。

「クレイ、掃除は終わったか」

 用心灯の近くに座る髭面で太った短躯の男が訊く。鼻筋を覆う垂れのついた兜の庇の下から穏やかな目が覗いていた。

 いや、とクレイと呼ばれた男が答える。

「上は使ってなかった。あとは下だけだな」

「ホドルの見た通りですね」

 太った男の隣に座る法衣に身を包んだ若い男が言う。頭には額金を被っていた。

「これで後ろは気にせず、下を洗える」

「まあ、ラクト坊の言う通りだけど」

 クレイは言葉を濁した。

「ここに土産が見つかるのかね」ホドルが言う。「お主ら、また国に戻るのが遠ざかりそうだの」

 クレイとラクトは顔を見合わせ、苦笑する。

「こんな森の奥へ続く石畳に報せ糸が仕掛けてあったんだから、何かはあるだろう。あとは酔っ払いが口を滑らせたのか、出まかせだったのか、どっちかだな」

「ま、儂らにはどっちでもいいがな」

 そうもいかないでしょ、と女が言う。

「わたしもあんたも背族者を探してヒトに付き合ってるんだから」

 そうだったなエルフ耳、とホドル。

「いつまでもハズレ籤ばかり引いてるわけにもいかんことは解っとるよ。フリーデに言われるまでもない」

「おまけに引かないとハズレかどうかも解らない」微笑みを浮かべながらラクトが言った。「とにかく引かないことにはここを去るわけにもいかないわけですね」

 ホドルは苦笑していた。

「バクチをやれとつつく坊さんか。そんなんで都に戻ってやってけるのか」

「旅の空に慣れたのも確かですけどね」

 ホドルとラクトの後ろで片膝を立てて座っていたシルエットが立ち上がる。少女のように見えた。左手を背中に回し、短弓を取る。

「そろそろか。ケイ・クー」

 クレイが静かに声をかけると、少女のシルエットが頷く。

 そうだな、とクレイは下へ続く階段に目を向けた。階下にあるランプの光が薄く手すりの影を壁に投げている。

「ケイ・クー、階段の上からロビーを押さえて。ラクト坊はケイ・クーの後ろに荷物を移して」

 ケイ・クーと呼ばれた少女のように見えるシルエットは一つ頷くと身をかがめて階段へ静かに歩いていく。

「堂々階段を降りるか」

 言いながらホドルはロビーを見下ろそうとするかのように近くの手すりを見た。

「丸見えだぞ」

「他に路がない。用心はするよ」

 フリーデを見て頷きかける。フリーデは細身の長剣を剥き出しのまま、腰を落としてケイ・クーの後を追った。

「ホドルは踊場を固めてくれ」

 解った、とホドルも戦斧を右手に下げたまま階段へ歩き出す。クレイは腰を落とし、足早になりながらケイ・クーが短弓を構えているところへ向かった。フリーデが階段の降り口で片膝をついてクレイを待つ。フリーデはケイ・クーが構える短弓の邪魔にならないようにしているが、頭がわずかに動くたび、その瞳が時折金色に光った。クレイが近づくと、ケイ・クーが顔を向け首を傾げる。

「どうした?」

「見張りらしいのがいる」

 弓を構え、階段越しにロビーを見下ろしながらケイ・クーが言った。

「左翼、扉の前。回廊の下。ランプの横」

「フリーデ、右翼側にいるか見えるか?」

「難しいこと訊くわね」

 暗がりでその表情は読めないが、フリーデは細身の長剣を鞘に納めると腰の後ろに回し、背を低くして這うように階段を踊場へ静かに降りて行った。クレイには辛うじてそのシルエットだけ見分けられる。

 そのシルエットが踊場で片手を上げ、頭上で何度か回された。

「ケイ・クーはここで。あの賊がこちらに気付くようなら構わず射伏せろ。ホドル」

 ホドルが頷くのが解った。クレイは慎重に脚を運び階段を静かに降りていく。暗がりに慣れた目に、ロビーのランプは十分に明るかった。その明かりはロビー全体をぼんやりしたオレンジ色に染めている。

「ちょっとやりにくいわね」

 囁くフリーデの姿は階段のつくる影の中に沈んでいた。

「ここから動けないな。下にいるの、あの一人だけと思うか?」

「たぶん。右翼側はいない。あれ一人だけと思う」

「腹括るしかあるまい」

 ホドルの言葉にクレイは階段上のケイ・クーを振り返り、右手の親指で自分の首を掻き切る仕草をした。

 ランプの方で何か柔らかい物に何かが当たる音が立て続けに三つ。その時既にフリーデが踊場から跳躍していた。物音がたつのも構わずクレイもロビーへ足早へ降りる。

 ロビーへ跳躍したフリーデはそのまま右手のアルコーヴ前で倒れている「賊」の両脇に手を差し入れてロビーへ引っ張りだそうとしていた。ケイ・クーの放った矢が胸から首にかけて三本突き刺さっている。クレイはまだあたたかい身体のもう片方の脇に手を差し入れ、フリーデと共に階段脇の暗がりの中へ引きずる。引きずられているのはヒトのようだった。腰に剣を下げてはいるが、胸甲はつけておらず、服も傷んでいる。下っ端と思ってよさそうだった。さっきまで喉に刺さった矢の根元から空気の抜ける音がしていたが、今はもう音はない。

「ホドルとケイ・クー、いつ降ろす?」

「今の物音で誰も出てこないなら」

 面倒ね、とフリーデが呟く。その耳が跳ねるように動いた。

「二人」

 クレイは腰を浮かすと右手に持つ剣を振り上げて肩に担ぐように構え、フリーデは長剣を持つ右腕を左へ回し、剣の刃が水平になるよう構えた。

 蝶番の軋む音。ロビーの床に延びる影が二つ回るように動いた。アルコーヴの縁からシルエットが覗くと同時にクレイは走り出す。ロビーの踏み出した一人に右手の剣を振り下ろしながら体当たりするように相手の身体を向こうへ押し出す。

 続いてシルエットがもう1つ。フリーデはそちらへ走り込みながら身体の左に構えていた剣を右へ払った。その刃が相手の脇腹に喰いこみ、そのまま切り開こうとするが、ベルトの上に乗っていた肉に挟まれ剣が動かなくなる。

 切りかかった短躯の太ったシルエットはフリーデに向き、右手に持つ戦斧らしきものを振り上げた。フリーデは剣を手放し、後ろへ短く飛びずさりながらベルトにさしたナイフを引き抜く。手負いとはいえ戦斧を手にした相手では分が悪い。

 最初の一人が床に倒れ、クレイが振り返り剣を構え直そうとしている。しかし距離があり、二人目に間に合いそうもない。フリーデは自分の背後が行き止まりということを強く意識していた。腹のあたりが冷えるような嫌な感覚。投げつけたナイフが相手の肩にささり、すぐに抜けて床に落ちる。

 戦斧が振りかざされる動きが嫌にゆっくりと見えた。その振り下ろされる軌道を見切れば、まだ時間は稼げる。

 フリーデが次の動きに入ろうと腰を落としたとき、相手の身体に短い棒が二本、三本と突き刺さるのが見えた。そのシルエットは脱力したように膝から崩れ落ち、戦斧が音を立てて床に落ちる。

「大丈夫か。フリーデ」

 抑えた呼びかけにフリーデは頷き、階段の上を振り仰いだ。ケイ・クーが無表情に短弓を構え続けている。その双眸がロビーのランプの光を受け、闇の中で金色に輝いていた。

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