さよならは言わずにおくべき

日月烏兎

第1話

「いや、あのさー……」


 彼女の、見慣れた困り顔が目の前にある。

 懐かしい顔で、会いたくて仕方なかった顔でもある。

 同時に、今一番会いたくない顔でもあった。


「三久、何も言うな」

「言うでしょ」


 即座にツッコんではくれるものの、それ以上はない。

 口をもごもごとさせて、何かを言いかけては閉じる。どの言葉が正確で、しっくりくるのか、当てはまるものがなさすぎるのだ。

 自分が逆の立場なら、同じような状況になることが分かるだけに、変にボケることもできない。


「言うなよ、俺だって気まずいんだから」

「私、どういう気持ちでいればいいのよ」

「また会えて嬉しい、的な」


 嬉しいことは確かなのだ。

 間違いなく、嬉しい。

 歓喜に踊りだしたいくらいの気持ちなのも本音なのだけど。


「そりゃね、嬉しくないと言えば噓になるよ」

「だろう?」

「でも気まずさが勝つよ」

「まぁ、人生そういうこともあるだろ」


 申し訳なさ過ぎて三久を真っ直ぐ見ることができない、

 恨めし気な視線が俺に突き刺さっているのは感じる。


「私、三か月前に感動的にあんたと別れたわけよ」

「悲しい現実だったな」


 受け入れることなんてできないほどで。

 泣いて、喚いて、荒れ狂って。


「他に好きな人見つけて幸せに生きてね、とか殊勝なこと言ってたわけよ」


 そんなこと、できるわけないこと一番分かっているくせに。


「で、覚悟決めて、でもまぁ良い人生だったなって目を閉じてさ」


 もう二度と会えないのだと思っていた。

 絶望に流されていたいのに、それすら許してくれない三久の最期を恨めしいとすら思っていた。

 それでも、どうにか。

 生きろと言われたから。ちゃんと見てるからねと言われたから。前を向かなければと思っていた。

 思っていたのに。


「来ちゃった」

「帰れよ」


 聞いたことないくらい冷たい声だった。


「俺だって来ようと思って来たわけではない」


 生きるつもりだったのだ。

 ちゃんと三久の分まで、生き抜く気でいたのだけど。


「まぁトラックだからさ。事故だから仕方ないけどさ」


 長い溜息とともに、三久が仕方なさそうに俺を見やる。

 俺だってまさか居眠りトラックが自分に突っ込んでくるなんて思っていない。

 絶望に身を任せたわけでもなく、誰かを助けようとしたわけでもなく。ただただ、普通に跳ね飛ばされて、死んだ。ドラマも何もなく死んで。

 死んだら、彼女がいた。


「赤い糸だな、うん」

「俺、精一杯生きて、またお前を迎えに……」

「やめろよ」


 俺だってあの別れから三か月で三久と再会するなんて思ってもいない。何なら死後の世界だって信じるタイプではないのだ。再会の可能性など口にすれど、信じていたわけではない。

 が、これである。

 気まずさここに極まれりだ。


「精一杯やる前にこっち来てるじゃん。三か月って。もうちょっと何かあるでしょ。寂しがり高校生の中学同窓会よ」

「ちょっと馴染めない感じな」

「懐かしい空気にこれこれってなるやつよ」

「居心地良くて『あー』ってなるけど、案外向こうは新しい友だちと仲良くしてたりするんだよな」

「実感こもってて嫌だわ」

「実体験だからな」


 そっと三久は目を逸らした。

 いや、そんな過去も知ってて話広げたんだからその反応は酷い。

 手慣れたそのやり取りに、何となくお互いの間にあった緊張が緩んだ。会話が途切れ、嫌ではない沈黙に身体を預ける。

 そうすれば、じわじわと今目の前に三久がいるのだという実感が湧いてくる。

 そしてそれはお互いさまで。


「……まぁ、その、喜べないけど、久しぶり」


 まだ複雑そうではあるが、そう言って三久はようやく微笑んだ。


「そうだな、久しぶり」

「結構頑張ってたね」

「頑張れって言われたからな」


 何回死にたいと思ったか分からない。

 約束したから。

 それだけを握りしめて、生きていた。

 死を選ばなくて良かったと、心の底から思える。


「可愛い子とも仲良くなってたね」


 揶揄うように三久が笑うが、生きることに必死だった俺としては一瞬誰のことか分からない。可愛いという条件で、何となくあの後輩だろうな、程度の。


「同情だろ」


 お前以外興味ない、とまではもう言えない。

 あの時は何の躊躇もなく言えたのにな、とは思う。


「たぶん脈あったと思うけど」


 そう思っていても、モテていたと言われれば嬉しくなるのはまた違う種類の話だ。


「マジ?」

「マジ」

「マジかー」


 あの後輩が俺のことを。そう思うと悪い気はしない。

 真実など分かりはしないが。


「鼻の下伸びてるじゃん。ちょっとむかつく」

「好きな人見つけろとか言ってたくせに」

「それはそれ、これはこれ」


 べーっと舌を出すその仕草すら、愛おしく思えるのは時間補正だと言い聞かせる。まるで俺ばかりが好きなようで。何となく悔しくて。


「お前こそ、こっちで何かそういう話ないのかよ」

「別にー。何だかんだ死んだんだなーって噛みしめてたら三か月よ」


 やりたいことは山ほどあった。

 夢もあった。

 全部、水の泡になった。

 寂し気な笑みが、自分たちが死んだことを思い出させる。


 それでも、再会はできた。山積みだったやりたいこと全部を今からできるわけではないけれど。


「……俺とまた一緒に居てくれるか」


 一緒なら、きっとまたいろんなことができると思えるから。


「死後まで追っかけてくるストーカーを人には任せられないしなー」

「死んでも俺から目が離せない奴が何言ってんだ」


 軽口の応酬。

 一度目も、こんな風に照れ隠しをした気がする。

 やりたいことも夢も、全部水の泡になった。

 それでも、変わらないものだってあるから。


「まぁ……」

「あー、まぁ、うん」

「よろしく」


 どちらからともなく、抱きしめて、キスをする。


 また会えた。

 それだけで、水泡の未来すらいつか笑ってしまえる気がした。

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