第 8 話 特攻

 長崎県大村基地に移ってからは、343空は連日のように出撃をした。紫電改を駆使して、B29の迎撃、敵艦載機との空戦に明け暮れた。しかし、特攻の直掩ちょっくえんに就く任務には、やはり、重い空気が流れた。

 直掩の紫電改も全機が無事に戻ってくることは少なかった。何機かが戻ってこないことが普通だった。朝、冗談を言い合って笑っていた隊員が夕方には居ない。二度と帰ることはない。異常な状況が、ここでは普通の状況になっている。戦争と言う状況が異常と正常を逆転させているのだ。

 この頃、上層部から343空に特攻攻撃の要請が来た。源田司令はね付けた。志賀飛行長の意見をそのまま採用したのだ。特攻要請をしてきた上官に、志賀飛行長は、

「まずは、私と貴方あたなで行きましょう。次に海兵出身者で行きましょう。最後に源田司令にも行ってもらいます」

 と伝えた。特攻要請は来なくなった。


「この野郎、エンジンの調子が悪いとか言って帰ってきやがって。怖気おじけついたんだろうが」

 大きな怒声が響いたかと思うと、鈍い音がした。エンジンの調子が悪く目標まで到達できないと判断された特攻機が一機帰って来たのだ。その搭乗員を捉まえて酒井少尉が鉄拳を加えたのだ。

「断じて怖気着いたのではありません。明日、早速行かせてください。お願いします」

 殴られた若い搭乗員が声を上げる。

「なにを、こしゃくな」

 また鉄拳が加えられた。

 若い搭乗員は倒れる。その倒れた身体に蹴りが入る。

 殴った酒井少尉はたたき上げの戦闘機乗りで、150機以上の撃墜を自称する撃墜王として知られている。その自慢話と粗暴な性格は343飛行隊の若い搭乗員からは毛嫌いされていた。

「酒井少尉殿、彼の機のエンジン音がおかしかったのは、私も確認しております。私が隊長に伝えました。彼は命令に従ったまでです。それに、彼は343航空隊所属ではありません。責任云々を我が隊が追及する権利はありません」

 一人の若い搭乗員が声を出した。杉本の親友、嶋田次郎飛曹ひそうだった。

「なにをー。もう一度言ってみろ」

 酒井は目を逆立てて嶋田に迫る。

「そうだ。越権行為だ」

「そうだ、そうだ」

 周囲に居た若い搭乗員が口々に言い始めた。遂に溜まっていた鬱憤うっぷんが弾けたのだ。

「おい撃墜王、グラマンF6F何機撃墜したんだよ。零戦が絶対の時に赤とんぼみたいな敵さん何機落としたって自慢にゃならないぜ。デカい顔するんじゃないぜ」

 誰かが声を上げた。

「そうだ、そうだそのとおりだ。あんたが怪我して前線退いてる間に、俺たちゃ最新のグラマンF6F相手にやってんだ。先攻離脱せんこうりだつのあんたには分かんねぇだろう。今は編隊の時代だよな。わるがあんたは古いんだよ」

「火が吹いたら撃墜なんてな。今じゃ全然だぜ。グラマンなんかすぐに消してやがるんだぜ」

「………」


 酒井少尉は343空を去った。鴛淵がこれ以上隊にいても士気に悪い影響を与えるだけだと判断したのだ。

 昭和20年5月、この頃には343空も極度に疲弊していた。結成時80機の威容を誇った紫電改、紫電の戦闘機も半減している。満足に稼動する機といえば、30機がやっとと言う処なのだ。搭乗員も120名いたのが、今では60名になってしまっていた。


「へっへ、ざまぁ見やがれ、酒井の野郎、あんな男だったら憧れなんかとうの昔に捨ててやったぜ。零戦が限界の男だ。紫電改なんか奴にはもったいないぜ」

 杉本は、トラックを運転しながら大声を上げた。

「私もあの人大嫌い。なんか清々せいせいしたわ」

 杉本と洋子は、ここ大村基地でも毎日トラックに乗って生鮮食料品の買い出しをしている。この頃になると、食糧事情も逼迫ひっぱくし金を出してもなかなか売ってはくれなかった。売る物がないと言って断られるのだ。紙幣にはもう価値がなくなっていた。それよりも、基地の倉庫にある缶詰や煙草、酒などを持ち出して物々交換する方が手っ取り早い。それでも、思っていた半分も確保できずに帰ることの方が多かった。

「さすが鴛淵隊長、撃墜王であろうがなかろうが切る時は切るね。鴛淵隊長も撃墜王だが、酒井の野郎が撃墜した敵機とは比べもんにならんぜ。ほとんどがグラマンF6Fだ」

 トラックを運転しながら洋子に話しかける。

 杉本は鴛淵大尉を兄のように慕っている。

「海兵一桁卒業と言うのもすごいしな。頭の出来が違うね。でも、隊長はそんなことはどこ吹く風なんだから、ほんと尊敬するよ。これぞ大日本帝国海軍軍人ってとこだな」

 杉本は、我がことのように胸を張る。

「そうね、イケメンだしね」

「イケメン?」

「そう、いけてるメンズ!いい男って意味」

「二枚目、男前ってところか。確かに隊長、マンリーナイスだしな」

「それにしても、そのカイヘーって、そんなにすごいの?」

 洋子は訊いた。    ※ マンリーナイス…海軍用語・男の中の男という意味

「海軍兵学校はすごいなんてな、中学の主席と次席で占められてるようなもんだ」 

「へぇー、東大医学部みたいなもんね」

「東大医学部? ああ東大の理乙りおつか、あんなのだったら俺だって頑張れば行けたぜ。あれは、海兵、陸士に行きたくて勉強しすぎて近眼になって、そんでもって身体検査で落とされた奴らが泣きの涙で行くとこだ。理科なら理甲りこうだぜ。零戦や紫電改、戦艦大和を造ってこそ男だ。口開けてアーンなんて、日本男児の仕事じゃないぜ」

「ふーん、じゃあ、あなたもその海兵?」

「馬鹿、俺が受かる訳ないじゃないか。中学で並の成績だった俺が。まあ、一応希望はしたんだがな、中学の担任が、お前みたいなの受験させたら本校の恥になるなんて言ってよ、受けさせてもくれなかったぜ」

「へぇー、相当な難関校なんだ」

「そうよ、今じゃ定員がかなり増えてだいぶん入りやすくなってるそうだが、俺たちの頃は、学年の一桁に居ないと受けさせてもくれなかったな。でもよ、嶋田の奴は受けたそうだ。奴はあれでも大阪府立一中で十番前後に居たらしい」

「そんで、ヘー学校を受験できたんだ」

「ヘーじゃない。ヘイ学校だ」

「で、どうだったの?」

「傑作よ。身体検査は難なく通ったそうだが、最初の科目の得意の数学と英語でよ、自分では会心の出来だったんだが、あえなく受験番号に朱線が入っていたそうだ。万里の長城を見上げた気分になったそうだぜ。ハハハ、面白いだろう」

「じゃあ、鴛淵大尉って相当頭がいい人なんやね」

「当たり前よ。あの海兵で一桁卒業なんだからな」

「でも、本人は、本当は音楽学校に行きたかったそうよ」

 洋子は汽車の中で鴛淵から聞いたことを話した。

「それは初耳だな」

 杉本は少し驚いたが、鴛淵の微笑みを絶やさない温厚な人柄から何となく納得できるような気がした。


 6月11日、343空に悲報が入る。二日前のB29の爆撃により、紫電改の主工場だった西宮の鳴尾工場が壊滅したとの知らせが届いたのだ。もはや、紫電改の補充は期待できない。今ある機体をやりくりしながら運用するしかなくなった。

 今や、紫電改の数よりも圧倒的に搭乗員の数の方が多い。整備兵も同じだ。一時期とは違い、今度は誰もが暇を持て余すようになってきた。敵機来襲の報があっても、いつも飛び立つわけではない。少ない編隊とか、偵察と思われる場合は、やり過ごすことが多くなってきた。いちいち迎撃に飛び立っていては、いざと言うとき戦うだけの燃料がなくなるからだ。機体のみならず燃料の補給もままならない状況になっていた。


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