第 7 話 国分基地、松山基地から長崎県大村基地

 だが、この第一国分基地にいたのも一週間ほどで、4月25日にまた元の松山に復帰した。しかし、この松山も一週間もいなかった。4月30日に長崎県の大村基地おおむらきちに転進することになった。上層部の混乱ぶりがそのまま現れているとしか言いようがない。与えられた任務は、特攻隊の直掩、九州、中国、四国地域に飛来するB29の迎撃、敵艦載機てきかんさいきの迎撃というものだった。関西地域において数少ない実働部隊に課せられた過酷ともいうべき任務だった。


「洋子ちゃん、君から預かってたこのリュックサック返すよ。忙しさにかまけてすっかり忘れていた。すまん」

 鴛淵大尉はリュックを洋子に渡した。二人は、長崎から大村基地に向かう偵察機の彩雲さいうんに乗っている。滑走路から離陸して5分ほどで高度3000メートルの巡航じゅんこうに入る。

「30分ほどで長崎の大村基地だ。少々揺れるけど我慢してくれ」

 鴛淵は操縦室から洋子に声をかける。

「何か怪しいものありました?」

 洋子がたずねる。

「いや、怪しいと言えば全部怪しい」

「はっは、言えてる」

 洋子は屈託なく笑う。機内の中での会話は、エンジン音で二人は叫ぶように話す。

「スマホとか云う電話、軍の技術部に送ったんだが、分析不可能の回答があった

よ。返せと言ったんだが、どうも壊してしまったみたいだ。すまん。同級生に東芝の技術者がいるんだが、返したら、そいつに修理をやらそうと思ってるんだ」

「もう気にしなくてもいいんですよ。ここじゃ役に立たないし」

「日本史の教科書も読ませてもらったよ。衝撃だったな。広島、長崎の原爆、無条件降伏、それに、陛下とマッカーサーの並んだ写真。信じられなかった。特に長崎は僕の郷里だからな。複雑だよ。広島が8月6日で長崎が8月9日だったね。だったら作戦立てないといけないね」

 そう言うと、ラジオを付けた。

「ラジオ聴いていいんですね」

「周波数を合わせるとラジオも聴くこともできるんだ。夕暮れになったら敵さんも帰るだろうし、そろそろいいかなっと思ってな。皆、ラジオは聴いてるよ。本当はダメなんだがな」

「そんな事、分かるんですか」

「艦載機は空母に着陸するだろ。夜の着艦は難しい。夕暮れになったら慌てて帰るってことだよ。敵さんもラジオを聴いているだろうな。アメリカの空母が出しているラジオの電波だ。ジャズなんかがよく流れるし、艦載機の帰還を待っているってことだよ。悔しいが、奴らの方が全然余裕があるってことだ」

「あのー、突然なんですが、隊長、軍人という事は、隊長のお父さんも軍人なんですか?」

「いや、親父は医者だよ」

「お父さんはお医者さんなんだ。お金持ちなんですね」

「医者が金持ち? 只の貧乏医者だよ。患者も貧乏で医者も貧乏だよ。診療代とかも海老えびたこ、大根、人参、さつま芋とかが多かったな」

洋子は、医者は金持ちで、高級車に乗って、大きな家で、テニスコートもあったりして、同級生のお医者さんの子は皆そうだと言う。

「平成に生まれてくるんだったな。間違えたかな。ハハハ」

 周波数を変えたら曲が変わった。

「ラジオだ。大概は堅い話と大本営の法螺話ほらばなしでうんざりするんだが、今日は歌謡曲なんかやってるようだ。長崎物語だ。洋子ちゃんも知ってるはずだ。楽譜に挟んでたしな」

「お婆ちゃんの好きな曲で、ピアノで弾くと機嫌がいいのです」

「僕のお袋も、夕飯の準備にこの曲を歌ってたな」

「今頃歌ってるかもしれませんね」

「そうかもしれんな。ところで、この洋子ちゃんの楽譜集、もう少し貸してもらえんかな。あの中にあった曲を聴いて、これは信じてもいいかなと思うようになったんだよ」

「はい、楽譜は何時いつでもいいですよ」

「あの楽譜集の楽曲は全く斬新ざんしんだ。にわかに作ることはできない。未来の楽曲と言っていいだろう。あのイエスタデイという曲なんか秀逸しゅういつだ。一度ピアノで弾いてみたいと思っているぐらいだ。さっきの長崎物語も編曲が新鮮だ。同じ曲とは思えない」

「あれは、ビートルズと言うイギリスのバンドの曲です。鴛淵大尉は、楽譜読めるんですね」

「ああ、今はこんな野暮な軍服着ているけど、これでも将来は音楽家になりたいなんて思ってたこともあったんだけどな。東京音楽学校にも行きたいと思ってたこともあったけど、貧乏医者のせがれが行ける処じゃないし、貧乏人の子沢山こだくさんで兄弟も多いし、しかも四男だよ。色々考えもあったけど、海兵しか選択はなかったな」

「カイヘーって?」

「海軍兵学校。海軍士官を養成する学校だよ。開いたり閉じたりの開閉じゃないよ。ハハハ」

鴛淵は続けた。

「海兵は入学金も授業料も要らないし、全寮制で三食付き。少ないけど給与もあったりして、貧乏人の四男坊にはこれしか無いだろう。だけど、軍隊と言うものは恐ろしい。殺すのが仕事なんだからな。実際、何人も殺してきたし。この戦争が終わったら海軍やめて音楽学校に入って何処かの中学校の音楽教師にでもなれたらいいと思っているんだ。生きていたらの話だけど」

「実は私も音楽の先生になりたかったんです」

「なりたかったってことは、もうあきらめたってことかい? まだそんなに若いのに」

「家の事情で。母が死んで父が再婚したんです。三人も連れ子が居て、大学は経済的に無理だから諦めてくれって言われて。卒業したら都会に出て働くつもりだったんです。家の中でも私だけが孤立してる感じで、何もかも嫌になって、現実から逃げたくなって、気が付いたらこの時代に来てしまって…」

「夢は諦めたらいけないな。音楽の先生、頑張ればなれるよ。僕も頑張ってなるよ」

 鴛淵はそう言うと、約束しようと言って小指を出した。

「はい、頑張ります」

 洋子は小指をからませた。




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