第 6 話 鹿児島県第一国分基地

 1945年4月17日、343空は同じ鹿児島県の第一国分基地に転身した。任務が特攻隊機の直掩、空路警戒からB29の迎撃げいげきに変わったからだ。この頃になると、日本のほぼ全体がB29の攻撃対象範囲に入っていた。343空の当初の目的である本土での制空権の回復は、米軍の圧倒的物量の前に、もはや実現は不可能なものとなっていた。

 アメリカがその技術の粋を集めて造り上げたこの爆撃機は、日本の全土を焦土に変えつつあった。排気タービン機能を装備し高度1万メートルを超えて飛行が可能なこの戦略空軍爆撃機に対して、紫電改は連日のように果敢に迎撃発進をした。だが、高度1万メートルを超えるとなると迎撃はきわめて困難になる。1万メートルまで上昇するのに20分以上かかるのと、紫電改は排気タービン、いわゆるターボ機能を持っていないため、高高度での運動性は極端に落ちるためだ。ただ、B29の側も1万メートル以上からの爆弾投下は命中率が極めて低く、目標に近づくと高度を徐々に下げてくる。そこを狙って待ち伏せ攻撃をするのが最も効果的な迎撃方法だった。


 4月19日、天誅てんちゅう組隊長、林善重はやしよししげ大尉が未帰還となった。B29を迎撃し僚友機りょうきとともに執拗しつように追い詰め「一機撃墜」の報を発したのが最後だった。分厚い装甲に覆われ、前方後方、胴体上部下部に機銃座きじゅうざを持つこの空の要塞を落とすのは容易ではない。ハリネズミのように機関砲を撃ちまくる機体の隙を狙って、弱点とされる操縦室、主翼の根元あたりに機銃を集中して撃ち込まなければならない。返り討ちにあう事の方がはるかに多い。だが、このB29を落とさなければ、何の罪もない人々が悪魔の仕業の如き無差別攻撃の餌食えじきになるのだ。一機落せば、何十人、何百人の命が助かる。この日、343空は悲嘆の中に春の夜を過ごした。


 米軍が本土に近くなると米軍の撃墜も多数になってくる。その日は米軍戦闘機コルセアが国分基地の近くで撃墜された。地上からの高射砲だった。コルセアは700キロ以上の速さがあり、紫電改は追い付けないのだ。コルセアの残骸の中に首を折って死亡した搭乗員がいた。操縦席の前に女性の写真があった。

「恋人やないか? それにしても別嬪べっぴんさんや」

 嶋田が云うと、

「キャサリン・ヘップバーンだ、ヘップバーンの贔屓ひいきだったんだな」

 誰かが言った。

「ヘップバーン? オードリー・ヘップバーンじゃないの? ローマの休日の」

 そう云うと、洋子は、すぐに時代が違うことに気が付いて、口を閉じた。

「確かに、キャサリン・ヘップバーンだ」

 杉本は云った。

「俺も、水戸光子のブロマイドを操縦席に飾ろうかな」

 嶋田はそう云うと、米軍の搭乗員の遺体に手を合わせた。

「ハンドポンプはいいが、操縦席はだめだぞ」

 杉本は笑いながら云った。

 嶋田は、

「お前、今日も高峰秀子でハンドポンプか?」 ※ 海軍用語で自慰のこと

 洋子は意味が分からなかった。

 

 


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