第 5 話 鹿児島県鹿屋基地

 四月になった。1945年4月4日、343空は鹿児島県鹿屋基地に移る。主な任務は鹿屋かなや基地から飛び立つ特攻機の直掩ちょくえんである。米軍の沖縄上陸は明白になっていた。沖縄を奪われては本土のほとんどが米軍の攻撃範囲に入ってしまう。目の前に巨大な不沈空母が現れるという事だ。沖縄防衛のための一連の菊水作戦が決行されようとしていた。

「これが特攻隊か……」

 水杯みずさかづきを交わし、杯を地面に叩き付けて割り、熱にうなされたように次々と飛び立ってゆく戦闘機の姿を目で追いながら、洋子は一人つぶやいた。特攻隊の事は知ってはいたが、現実に目の前に展開されている事象を理解することができない。自分と同じ世代の若者が、自らの死を受け入れ飛び立っているのだ。

「やっぱり何か変、おかしいよ」

 洋子はまたつぶやいた。


 特攻に飛び立ったと言っても、必ず帰ってこないという訳ではない。敵機動部隊を発見できなければ引き返してくることになる。この日は昼過ぎに飛び立った特攻機と直掩機が一緒に帰って来た。敵機動部隊を発見できなかったのだ。

「よかった」

 洋子は機影を見て思わず手を合わせた。

「ダメだ。敵さんも隠れるのが上手うまくなった。何処に居るのかてんで分からんぜ」

 護衛をしていた紫電改から降りてきた嶋田次郎しまだじろう一飛曹が杉本に声をかけて来た。首に巻いた紫色のマフラーが風になびく。嶋田は、杉本の海軍航空学校の同級生で、在学中から妙にウマが合い親友となった。343空では「新撰組」に属している。航空学校卒業後は、それぞれ違う分隊に入ったが、松山で再会することとなった。

「曇りの日に見つけるのは難しい。明日は晴れの様だ。明日は見つけられるだろう」

「ああ、明日は大丈夫だろ」

 杉本も応ずる。

 だが、側でこの会話を聞いていた洋子がたまりかねて叫んだ。

「あなたたち、何が大丈夫よ。人が死ぬのよ。平気なの。どうにかしてるよあなたたち。日本は負けるのよ。原爆落されて負けるのよ。杉本さんだって分かってるんでしょう」

 杉本は思わず洋子の口を手でふさいだ。そして、

「何も言うな。俺だって分かっているさ。しかし、これが歴史なんだ。どうしようもないんだよ」


 その日の夜、洋子、杉本、嶋田の三人は基地の近くの砂浜に来ていた。嶋田が洋子の発した言葉を嶋田は聞き逃していなかった。ちゃんと説明しろと言ってきたのだ。

 四月と言っても夜になると海岸沿いは冷え込む。打ち寄せる太平洋の波が月の光を刻んでキラキラと照らす。三人の薄い影が砂浜に伸びて重なる。

「日本は負けるのか。お前の行ったとかいう2015年の世界じゃ、日本は負けたことになってるのか?」

 嶋田は杉本に尋ねた。昼間の興奮から覚め意外に落ち着いている。

「そうよ、負けるのよ。もう……」

 杉本は言いかけた洋子を制して話し始めた。

「俺も最初は信じられなかったさ。だが、あれは夢でも幻でもない。本当の世界だ。日本は8月6日に広島、8月9日に長崎に原子爆弾を落とされ、8月15日に無条件降伏するんだ。俺は入院中に病院から抜け出して図書館で調べたんだ」

「無条件降伏?」

「そうだ」

「そんなこと絶対あらへん。貴様の見たのは幻や。悪い夢や。俺は信じんぞ、そんな事」

「信じろ。本当だ」

「信じられるか。大日本帝国が負ける訳ないやろ」

 嶋田は、杉本を突き倒すと、月夜に白く浮かび上がる砂浜を一人駆けて行った。

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