第 13話 玉音放送

 8月15日が来た。この日の朝、司令部から陛下のお言葉がラジオで放送されるから、正午前には全員集合するように命令があった。

玉音放送ぎょくおんほうそうね」

「ああ、遂にこの日が来たのか」

 重要な放送があるとのことで、特別に兵舎の牢から出ることが許されたのだ。

「耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び、というとこだけがはっきり聞こえたんだって、お婆ちゃんが言ってたの」

洋子が杉本にささやいた。

「ふーん」

「お婆ちゃんは、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで頑張れって意味かと思たんやって」

「で…」

「すぐに負けたんだって分かったらしいけど、悔しいなんて気持ちはなくて、ほっとした気持ちになったそうよ」

「ふーん、そんなもんかな」

 杉本はそう言うと、列の前の方に並ぶ森を見た。左目を包帯で覆い、右手にも包帯をしている。

「ちょっとやりすぎたかな」

 杉本が洋子に言った。

「当たり前よ。でも、森さん死ななくて済んだよ。よかった。それにしても、何でよりによって私のお尻を喧嘩の口実にするのよ。失礼しちゃうわ。まあとにかく、杉本一飛曹、今回の件、まことに天晴れ、めてつかわす」

 洋子は、そう言うと杉本に敬礼をした。

 

 その時、爆音が響いた。紫電改が1機、着陸態勢に入っていた。

「あっ、嶋田の機だ」

 杉本が叫んだ。

 機体は基地の皆が呆然と見守る中、滑るように着陸した。操縦室が開き嶋田が出て来た。

「嶋田さん」

 洋子が駆け寄った。そして、誰はばかることなく嶋田に飛びついて泣き始めた。

「報告があります」

 嶋田は、司令室から出て来た源田司令に近寄ると敬礼をした。

「それは後でいい。これから陛下のお言葉がある。整列するように」

 源田はそれだけ言うと、整列した兵員たちの前に立った。

 玉音放送が終わると、兵員たちの反応は様々だった。涙を流す者、信じられないと叫ぶ者、徹底抗戦を叫ぶ者。だが、ほとんどの者がただ茫然ぼうぜんと立ち尽くすのみだった。

「次の命令が来るまで、戦闘行為は一切中止する」

 源田司令は、それだけ言うと司令室に消えた。


「俺も行ってきたんや」

 嶋田は、杉本の側に来ると耳元で囁いた。

「え!」

「お前の言う、未来の日本に行ったんや。お前の行った2015年じゃなかったけどな」

「本当か?」

「ほんまや。俺が行ったんは1989年やった。びっくりしたで、ほんま」


嶋田は話し始めた。

体当たりをした後、しばらく意識を失っていた。気が付けば海がすぐ下に見える。あわてて操縦桿そうじゅうかんを上げ高度を保った。

「ふうー、危ないとこやった」

 嶋田は冷や汗を拭った。

「俺は何をしてんのや。ここは何処どこなんや」

 しばらくてもなく飛んだ。

 確かB29に体当たりしたはずだ。嶋田は思い出していた。

「失敗したのか?」

 いや、確かに当たったはずだ。だが、その瞬間、B29の機体をすり抜けたような感覚があった。

「分からん。当たったとしたら、ここはあの世か?」

 嶋田は高度を上げてみた。

 見渡せば、何度も飛んだ豊後水道。沿岸の地形を見ただけで自分の位置も分かる。だが、大村基地に帰る燃料は残っていない。

「仕方ない。松山基地にでも降りるか」

 と思った瞬間、すぐ横をとてつもなく大きな飛行機が飛んで行った。鶴が尾翼に描かれている。

「鶴ということは、おそらく友軍だ。とんでもないのを造りやがったな。B29なんかこれに比べりゃただのトンボだ」

 と、独り言をつぶやいた次の瞬間、米軍の星の標識が付いた流線型の戦闘機らしき飛行機の編隊とすれ違った。

「今度は米軍か。どないなってんのや? プロペラないし、どうやって飛んでんのや? それにしても、ものすごい速さや」

 編隊は旋回して今度は追いかけて来た。逃げる間もなく、すぐに追いつかれた。「ダメだ」と観念した時、横に付けた戦闘機の操縦席のパイロットは手を振っておどけている。やがて、また旋回して去って行った。

 嶋田は訳が分からない中、松山空港に着陸した。

「知らぬ間にかなり整備されている。別の基地の様だ」

 嶋田が紫電改から降りると、松山の基地には見知らぬ初老の紳士が待っていた。

「よく来たな。御苦労さん」

 初老の紳士はそう言うと、付いて来るように言った。

 嶋田の話は続いた。

 直ぐに車に乗せられ、ある病院に連れて行かれた。そこには、やせた老人がベッドに横たわっていた。側には、初老の医師と婦人が、にこやかな笑顔で付き添っていた。

「司令、連れてまいりました」

 初老の紳士は、そう告げると直立不動の姿勢で敬礼をした。

 ベッドに横たわっていた老人は、医師と婦人に支えられて上半身を起こした。しばらく嶋田の顔を見ていた老人は、突然笑い始めた。そして、

「両名に紫電改搭乗、彩雲搭乗を許可する。二機ともお前たちの好きにしていいぞ。皇統護持作戦も終了したしな」

 と言うと、また、笑い始めた。

 二人の初老の老人は、

「有難き幸せであります。これより、阿蘇の秘密基地にある紫電改、彩雲を整備します」

 と言うと、また直立不動の姿勢で敬礼をした。


「それで、どうやって帰って来たんだ?」

 杉本が訊いた。

 嶋田は、一週間ほど松山にいた。初老の紳士と初老の医師が、三越で服とズボンを見繕って貰った。初老の紳士が紹介したのが全日空ホテルと云う名前の豪勢なホテルで、一週間の間、寝泊まりしたんだ。

「娘が勤めているホテルだ」と云っていたな。

「三度の食事もあちら持ちで大名気分やったで。宿帳台と綺麗な姉ちゃんが居て、『ありがとうございます』とニコッとして笑ってくれるんや。二人居たんやがな、一人の姉ちゃんが水戸光子に似とってな、大層な美人だったな。毎朝まいあさ『おはようございます』なんてな、ハハハ……モーニングスタンでハンドポンプ、夜もハンドポンプで就寝や」  ※ モーニングスタン……朝立ちの事

「それで……」

 暇ついでに松山の街をぶらぶらと歩いたようだ。昭和から平成に年号が変わっているのが分かった。見るもの聞くものが珍しく、あっという間の一週間だった。

「道後温泉にも入ったしな。ここは全然変わってなかったな」


そして、一週間ほどあって、出迎えた老人たちに飛行場まで連れて行かれた。そこには紫電改が用意されていた。搭乗するように促され、大村基地まで帰還するように言われた。

 松山の飛行場を離陸してしばらく飛ぶと機体全体が紫の光に包まれた。光が消えて視界が晴れると、グラマンの編隊が近づいてきた。やってやろうじゃないかと編隊相手に空戦を仕掛け一機の後方に付き機銃を放ったが発射しない。弾は既に抜かれていた。だが、相手も攻撃する気配はなく、ただ周辺をからかうかのように飛ぶばかりだった。全速力で逃げた。相手も追いかけて来たが追い付く機はいなかった。高いオクタン価の燃料を入れてくれたのだろう、速度が一割増しになっていた。そして、なんとか大村基地にたどり着いたという事だった。


 

 玉音放送から一人去り、二人去り、一週間で殆ど隊員たちは故郷に戻って行った。杉本と嶋田は、源田司令の最後の命令があった。紫電改一機と彩雲一機を阿蘇山の外輪内にあった海軍の秘密基地に隠れよという命令だった。

「洋子も一緒でいいんですか?」

 源田司令は、

「いいだろう」

 という答えだった。

 紫電改と彩雲を阿蘇まで飛ばして最後の仕事は終わりだった。

 三人で大分から列車に乗り大阪まで行き、そこで別れを告げ、杉本と洋子は東京まで着いた。其処からは戦後の世界になって行く。

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